継体天皇の地  (福井県)
  清水郷土資料館小羽山30号墳三国神社椀貸山古墳横山神社高向神社
六呂瀬山古墳群手繰ケ城山・石舟山・二本松山古墳足羽山公園
  (福井市、坂井市、永平寺町)

継体天皇が越前で育ったことは事実であろう。越前平野を横切る九頭竜川は、美濃白鳥に近い岐阜・福井県境の油坂峠に水源を発し、大野市・勝山市・永平寺町を通り、三国港で日本海に注ぐ。国道158号線(福井市から岐阜県群上市・高山市を経由して長野県松本市に至る)では、大野市と美濃白鳥区間で九頭竜川と並走する。越前大野市からは温見峠で岐阜県本巣市・関市へ抜けることもでき(現在の157号線)、越前と岐阜は直接に結びつく。したがって、継体天皇と美濃(牟岐氏)・尾張(尾張氏)との関連が深く、尾張連草香の女・目子媛を妃として迎えている。愛知県・断夫山古墳は今城塚古墳と相似で、尾張氏の墓所とされている。九頭竜川は福井市大瀬附近で日野川と足羽川を合流する。継体(男大迹王)または越前の豪族集団は、治水王として、あるいは日本海貿易の利権をもって、近江・山城・摂津と同時に美濃・尾張の勢力と一大地方勢力を築いていたと云う壮大な構想もある。福井県の弥生・古墳時代は興味深く、その入口を探して旅した。

三国神社(三国湊)から小羽山30号墳、清水町立郷土館までの半円上を巡った。この半円上には、幾つかの古墳群が在り、継体天皇伝承地とともに、古代の首長墓系列が見られる。

北陸道(緑)沿いに上から、横山古墳群の椀貸山古墳と横山神社、高向神社と六呂瀬山古墳群、九頭竜川の左岸に渡って、松岡の山稜上に手繰ケ城山古墳、石舟山・二本松山古墳、福井市中心部に足羽山公園(山頂古墳)、そして、清水町界隈に幾つかの古墳群がある。

首長墓の時系列としては、小羽山30号墳の弥生時代後期から始まり、古墳時代最古の首長墓・手繰ケ城山古墳が4世紀後半、次に六呂瀬山古墳群の1号墳(4世紀末)と3号墳(5世紀前半)、更に、石舟山古墳(5世紀後半)と二本松山古墳((6世紀初頭)と移り、6世紀後半には、北端の横山古墳群に椀貸山古墳が造られる。 

清水町立郷土館 福井市清水町風巻21-17 
日野川流域・清水町の有形・無形文化財を紹介している。縄文・弥生・古墳時代の遺跡出土品が綺麗に纏められている。縄文時代の土器の各種土器、弥生墳丘墓の小羽山30号墳、古墳時代の小羽山12号墳、杉谷3号墳、在田2号墳からの出土品展示など興味深い。奈良時代には福井市周辺には東大寺領荘園が広がり、清水町には「椿原庄」があった。平安時代後期には京都・賀茂神社の荘園「賀茂御祖領志津庄」も成立する。
右の建物が郷土館(3F) 駐車場から見る小羽山方向の景色
縄文時代 縄文中期の土器は、関東・中部の影響を受けた土器、北陸地方に共通の土器、瀬戸内地方の影響を受けた土器が出土する。 弥生時代後期の小羽山(こばやま)30号墳、古墳時代前期の小羽山12号墳
小羽山30号墳(四隅突出墳丘墓)の発掘時の航空写真
弥生時代後期後半(AD130年頃)に造られた首長墓。
小羽山12号墳(前方後円墳)出土の倭製獣毛紋鏡(捩紋鏡)、鉄短剣、ガラス小玉。   清水町内には古墳時代に造られた約200基の古墳がある。
古墳時代後期6世紀後半に在田古墳群(円墳4基)が造られた 石室発見時の在田2号墳模型

小羽山(おばやま)30号墳  福井市清水町小羽小羽山
弥生時代後期後半(2世紀初頭)の四隅突出型墳丘墓。墳丘長は27m(高さ2.7m)で、突出部を加えた大きさは28m×33mを測る。埋葬は墳丘の完成前に行なわれ、長さ5.3mの墓壙に長側板の長さ3.7mの組合せの箱型木棺が安置され、副葬品として碧玉製管玉103点・ガラス勾玉1点・鉄製短剣1点が出土した。北陸地方で最も古い四隅突出墳丘墓。(清水町教育委員会説明板より) 貼石、列石はなされていないようだが、出雲の西谷3号墳と同時代の築造で、埋葬に関する祭祀も酷似しているという。
  神社の右側(西側)に沿って登って行く道があり、案内標識もある。
弥生時代の墓(四隅突出墳を含む)約40基と古墳時代の墓(前方後円墳を含む)20基が今井神社の背後の小羽山にあるという。
今井神社本殿の右側に上って行く道がある。この道は頂上の奥社につながっている。奥社周辺にも小羽山26号墳(四隅突出墳)があるらしいが、埋められているようだった。
説明板 今井神社本殿と奥社の中間に小羽山30号墳がある。
写真左が北、正面が東
西側道路側(高所)から見た四隅突出墳丘墓
西北突出部が一番目立つ 西南突出部は幅広いが、確認できる
東側最下段から見上げた四隅突出墳丘墓
東南突出部は墳丘上からはやや幅広く見えるが下から見ると明らか 墳丘上から見た東北突出部は明らかでない

三国神社 坂井市三国町山王6丁目
延長5年(927)、桜谷の地に千手観音を祀った小社より始まり、永禄7年(1564)に山王宮(後に桜谷神社)を建立し大山咋命を祀った。明治5年、興ケ丘の水門宮の御神体・継体天皇を合祀し、明治18年に三国神社と改称した。
九頭竜川河口、三国港の辺り。新保橋(国道305号線)の東側に三国神社がある。
ケヤキの大樹が右にある三国神社の鳥居 随神門(三国湊が最も繁栄した江戸末期に建てられた豪華なもの)
随神門を過ぎ、木立神社・桜谷公園に向う左側に宝物殿、右に絵馬堂がある。境内東に神輿堂があり、大神輿と小神輿(祭神は大山咋命と継体天皇)を納める。         拝殿には、大山咋命と継体天皇の額が見える。
拝殿・本堂を中にして、八幡神社、厩戸神社、事代主神社、木立神社、富理姫宮、稲荷神社がある
拝殿・本殿の一並びの姿 本殿左の八幡神社の梁上の彫刻は、龍に乗って武内宿禰が御幼時の応神天皇(八幡神社御祭神)を抱き上げている珍しい図。

横山神社 坂井市丸岡町坪江19-37
継体天皇を祭神として祀る。裏山丘陵(南北3km)上に横山古墳群があり、前方後円墳15基を含む約234基の古墳が存在する。確認は難しいという。
山裾の住宅地の奥に横山神社がある。畑仕事中のおばさんに尋ねると、親切に教えてくれた。
式内郷社横山神社のお碑、昇格の碑がある。 郷社に相応しい素朴な本殿が嬉しい(”継体”の一文字もない)

椀貸山古墳 (わんかしやまこふん) 坂井市丸岡町坪江
古墳時代後期後半(6世紀後半)築造の前方後円墳。全長45m、後円部28m、二段構成で葺石あり。埋葬施設は九州に多い石屋形のある片袖型・横穴式石室であるが埋め戻されている。馬蹄形周濠をもつが、現在は埋められている。継体天皇の皇子・椀子王(まろこのきみ)の墓といわれる。椀子皇子は、継体天皇と三尾君出の倭媛(やまとひめ)の第二皇子で、三国公氏の始祖とされる。継体天皇には、近江高島・三尾君氏出身の妃が二人居て、最初の正妃であった稚子媛(紀)(記では若比売)と倭媛(紀)(記では倭比売(記))である。横山古墳群の南端に当る。国道8号がバイパスと別れてすぐの旧道(県道147)東側にある。和興㈱の工場敷地内にあり、休日であったが、居合わせた社員に断って見せて貰った。
和興㈱の工場入口。左に後円部の端が見える。 工場内に入れて貰って、前方部から後円部を見る。右側は8号線旧道。
国道8号線・旧道から「わんがし山古墳」碑と説明板が見える。 国道8号線(バイパス)から田圃を挟んで見た和興㈱の工場と、後方は横山古墳群のある丘陵。

高向神社 (たかむくじんじゃ) (高向の宮跡) 坂井市丸岡町高田1字7番
男大迹王(継体天皇)の母・振姫の故郷・高向(たかむく)にある継体天皇ゆかりの宮跡と推定される。「延喜式」神社帳にある高向神社は、4字久保庄あたりで『古堂様』と呼ばれ、振姫一族の氏神であり、高向郷の総社であったとも伝えられる。(丸岡町教育委員会)

丸岡城から県道を永平寺町へ向い、白山神社のある交差点を右折(西)する。九頭竜川右岸にある。
白山神社から北陸道方向に走った途中にある。 隣の住宅の屋根・屋敷構えが立派。

六呂瀬山古墳群 (ろくろせやまこふんぐん) 国史跡  坂井市丸岡町上久米田
六呂瀬山山頂からの丘陵尾根上に造られた大首長墓。
1号墳:古墳時代中期初頭・5世紀初頭の前方後円墳。全長140m、前方部幅58m(高さ11m)、後円部径78m(高さ13m)。
     家形埴輪出土。北陸地方最大の前方後円墳。
2号墳:方墳。頂径;6.5m×7m、裾径;14m×16m(高さ2.2m)。
3号墳:古墳時代中期前半・5世紀前半の前方後円墳。全長85m、前方部幅60m(高さ9m)、後円部径67m(高さ11m)。
4号墳:方墳。頂径;10m×6m、裾径;16m×13m(高さ2.7m)。
九頭竜川右岸・上久米田信号付交差点 直進(国道364号線)すると峠上に六呂瀬山古墳がある。更に大内峠を越えると、加賀市・大聖寺・山代温泉に至る。十字路を右に国道364号は永平寺町につづく。 六呂瀬山古墳は右上。左下からの道路は、右コーナーで3号墳下をトンネルで抜ける。
古墳周辺の鳥瞰図 「史蹟六呂瀬山古墳群」の説明板と石杭があり、小公園になっている。風光明媚な東屋もある。平成19年から坂井市により、古墳群への登道が整備作業中。 公園から古墳群への道は、1号墳の北側に通じている。
東屋を通り抜け、石段を上り、林間を古墳群に向って歩く。 1号墳後円部北側裾に突当る。墳丘下を右に廻れば、3号墳の前方部に。
六呂瀬山山頂(1号墳後円部墳頂)より西側を見る。写真右奥に、3号墳とその先に4号墳がある。
山頂(1号墳後円部墳頂): 左墳頂下樹間(東)に造出し、2号墳がある。正面(南)墳長下に1号墳の前方部がつづく。右側(南西)は落込んでいる。
東方向; 造出し、2号墳(方墳) 南方向; 1号墳の前方部
南西下に見える越前平野。福井大、九頭竜川方面。
左下から、西(3号墳・4号墳)ー北ー東墳頂下に造出し、2号墳がつづく
1号墳裾下から3号墳に廻る。3号墳前方部は東方向(手前)を向く。 3号墳後円部を東側から
3号墳墳頂部(東側から) 3号墳後円部右奥(北西)に、4号墳(方墳)が見える

手繰ケ城山古墳 (てぐりがじょうやまこふん)、石舟山古墳・二本松山古墳・鳥越山古墳  福井県吉田郡永平寺町
九頭竜川左岸に築かれた4世紀半ば~6世紀初の越の大首長墓。いずれも準備不足と時間の関係で古墳に辿り着けなかった。
国道364号線は九頭竜川を渡り、永平寺町に入る。 手繰ケ城山:松岡丘陵上、越前に造られた最古(4世紀半ば)の大首長墓(全長129m)がある。埴輪、葺石、段築を備えた機内と共通する形式であるという。(永平寺町松岡志比堺)
手繰ケ城山につづき松岡丘陵上に、石舟山(5世紀後半)・二本松山(6世紀初)・鳥越山(6世紀前半)の首長墓(前方後円墳)がある。石舟山古墳と二本山古墳には葺石を備えていない。二本松山古墳からは、鍍金冠、鍍銀冠が出土した。大陸との盛んな交流が窺がえるという。 国道346号から二本松古墳への入口には標識看板がある。
ホソー林道を5分上る。標識があった。ここから歩いて40分。一応登りにかかる。 始めは遊歩道、段々に道がなくなる。先日勝山市街で熊が出た。松岡公園に廻って入ろうとしたが、よく分からずに断念した。

福井市立郷土歴史博物館 福井市宝永3-12-1
福井市のあゆみを常設展示している。
弥生時代後期の原目山墳墓群が紹介され、弥生墳丘墓が九頭竜川、足羽川、日野川沿いに築かれたことが展示されていた。
古墳時代では、二本松山古墳や十善の森出土の金装飾品・馬具、天神山7号墳出土の甲冑・多数の鉄武器・細線式獣文鏡・珠文鏡、足羽山古墳群(4-6世紀)の笏谷石(しゃくだにいし)の繰抜き石棺と石積み石室模型、花野台1号墳出土の三角縁神獣鏡と連弧文銘帯鏡、免鳥長山(めんどりながやま)古墳(5世紀前半)、御茸山(みたけやま)古墳群(4-5世紀)などが展示されていた
奈良時代に入ると、東大寺領荘園(道守荘など)の展示が目立つ。江戸時代の松平春嶽に関する展示も多い。
足羽山公園 (あすはやまこうえん)  福井市足羽山公園 
足羽川流域、現在の福井市中心部に位置する。
        古墳頂上に立つ継体天皇像
越前から出た継体天皇には、越前平野の治水や笏谷石(しゃくだにいし)採掘に関する伝説が残る。明治17年に笏谷石の石工により、「足羽山から海に向って矢を放ち洪水を治めた」伝説を表した像が造られた。

山頂古墳は、公園整備時に削られたが、現在でも直径60m、高さ約7mの大きな円墳として残っている。直弧文を刻んだ笏谷石の繰抜き石棺、笏谷石の石積石室、石室周囲から玉類、墳丘上から埴輪、三角縁神獣鏡破片などが見つかっている。

福井市郷土博物館に、出土した石棺が石室の推定復元模型とともに展示されている。「足羽山の主な史蹟および墓碑分布図」という公園内案内図があり、幾つかの古墳が示されていたが、見つけることは出来なかった。

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