善光寺平の古墳 川柳将軍塚古墳・姫塚古墳 (長野県)

善光寺平(長野盆地)は、長野県北部、千曲川流域の一帯を指す。信濃国には、松本、佐久、伊那、善光寺の四つの平があり、それぞれの地域は、古今少しづつ異なった歴史・文化を持つ。長野道・更埴ICを中心とした千曲市から長野市にかけての善光寺平を見下ろす位置に、古墳時代前期の幾つかの古墳がある。

このページでは、千曲川左岸の川柳将軍塚古墳と姫塚古墳を見る。姫塚古墳は4世紀前半の前方後方墳で、川柳将軍塚は4〜5世紀の前方後円墳である。

次ページでは、長野県立歴史館を中心に、森将軍塚、倉科将軍塚、土口将軍塚などを見る。いずれも山上または尾根に築造されている。

川柳将軍塚古墳 (せんりゅうしょうぐんづか) 長野市篠ノ井石川   
全長91m、後円部径42m・高8.4m、前方部幅31m・高5.5mの前方部を北北東に向けた前方後円墳。5世紀初頭前後の築造と考えられている。前方部と後円部の頂部に主軸に平行に竪穴式石室と推定される埋葬施設があったと伝えられる。寛政年間に盗掘され、漢式鏡28面、銅鏃17、筒形銅器2、筒形石製品1、碧玉製の琴柱形異形石製品2、車輪石1のほか、硬玉製勾玉7、金銀環、管玉、平玉、小玉など多数が出土した記録がある。現存するものは、倣製内行花文鏡、碧玉製垂飾、勾玉、管玉、切子玉、小玉など(当地の説明板より)。豊富な副葬品、前方部周辺で出土した埴輪棺が注目される。
駐車場(スペース)に分かり易い案内図がある 駐車場から遊歩道は谷を登る。自動車道は右を迂回し、谷の左側に出る。
アズマヤより南東方向を見る。更埴の左側に長野市の中心部が広がる。後方右の山(有明山)に森将軍塚がある。
アズマヤを過ぎ、培塚が幾つかある右側の丘陵 古墳近くの培塚のある辺り。
自動車道を登っていくと、後円部の後方が見えてくる。後方部の右下にも道がついている。 川柳将軍塚古墳と姫塚古墳は昭和52年に国史跡に指定される
右に後円部、左側に前方部。後円部に登る道が付けられ、左側の周辺も歩くことができる。
後円部に上る。祠、石碑、説明板がある。 後円部から前方部を見る。
後円部ー前方部の左下に小池 前方部はここで斜面になる。奥右に見える石碑は埴輪棺の出土地点。
前方部下右前から見上げる。 前方部から更に自動車道に沿って歩くと、左側に姫塚古墳の表示板がある。ここを入る。

姫塚古墳 (ひめづか)  長野市篠ノ井石川
説明版によると、全長31m、後方部長約20m・高約4m、前方部高さ2mの前方後方墳。墳丘の残存状況は極めて良いが、内部構造は未調査で知られていず、出土品の伝承もない。川柳将軍塚古墳から200mの位置にあり、立地、墳形から古墳時代前期前半に、川柳将軍塚に先立って築造されたものと考えられている。

整備された上り坂を登り詰めると、姫塚古墳の説明板が見えてくる。
案内板の向こうを後方部に登る道がついている。 途中で振りかえると、前方部の形が分る。(案内板の位置を参照)
後方部はこんもりとしていて、方形は釈然としない。 後方部を反対側の右端に下りて見る。

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