大室古墳群 (おおむろこふんぐん)  (長野県)
  長野県長野市松代町
大室古墳群は、積石塚324基と合掌形石室39基を含む、総計505基の古墳よりなる特異な古墳群である。
積石塚古墳は、四国(香川・徳島)や長野・山梨県の一部に顕著に見られる。香川・徳島のものは、古墳時代前期(3~4世紀)の築造で、石清尾山古墳群では積石による前方後円墳などもある。積石塚の源流は、高句麗・百済にあると考えられ、その移入経路は興味深い。
また、信濃国は、5世紀の馬文化移入に伴う馬飼育の場として早くから開かれ、その技術は渡来人に依っていたと考えられている。古代牧の存在が、信濃の随所で見つけられている。日本の馬文化発祥との関連も興味の一つである。

今回は、大室古墳群の大室谷支群を見学する。大室古墳群では、北山支群に属す5世紀前半の全長55mの前方後円墳(18号墳)を最古とする。5世紀中頃~後半には、積石塚に合掌形石室、箱型石室、竪穴式石室が組み合わせられた直径15m前後の円墳が造られた。6世紀後半になると、横穴式石室が導入され、土石混合墳が主流になる。古墳築造は、8世紀まで続いたと考えられている。

大室古墳群は、古くから知られていたが、明治大学考古学研究室の継続的な発掘調査により、その構成内容や分布が明らかになり、平成9年に大室谷支群の主要部分(約16.3ha、古墳数166基)が国史跡に指定された。



  北西上空から見る大室古墳群のある奇妙山
 (左の谷筋が大室谷支群、古墳館展示の航空写真より)

大室古墳群は、奇妙山の北西斜面に群集する古墳群で、三つの尾根上の「北山」、「霞城」、「金井山」と二つの谷筋の「大室谷」、と「北谷」の五つの支群に別れる。
平成9年に、大室谷支群の主要部分が国史跡に指定され、史跡入口部より山頂に向けて七つのゾーン(エントランス、施設整備、自然散策、歴史景観保全、遺構復元整備、山林修景、展望)に別け、保存整備中である。平成24年度には、エントランス・施設整備ゾーンの正式公開が予定されているが、現在も整備された所は公開されている。
  
史跡指定された大室谷支群の古墳分布
今回はエントランスゾーンだけを見学した。
遺構復元整備ゾーンにある積石塚・合掌形石室の典型写真を拡大)
大室谷支群は、上信越道の大室第一トンネル(左に見える)と大室第二トンネルの合間にある。ホワイトリンクのドームが左の山裾に見える。善光寺平の奥に、長野市街、遠くに戸隠の山々。
大室古墳館、駐車場を含む施設整備ゾーン
古墳館右から林道(ムジナゴーロ周遊路)があり、多くの古墳が見られる。
駐車場から北側のエントランスゾーン


古墳館では、
大室古墳群の概要、発掘調査・整備の歴史などがパネルやビデオで解説されている。入口ホールには、大室谷支群の立体模型があり、長野市教育委員会発行の解説小冊子、見学マップ(エントランスゾーン編(左写真)とムジナゴーロ周遊路編)が用意されている

マップに沿ってのエントランスゾーンの積石塚・古墳見学の記録

     
235号墳 大きさ不明の円墳。6世紀後半。墳丘は失われているが、石積技術の確かさで、横穴式石室は残存している
手前右238号墳、その奥に240号墳、ブルーシートの所に241号墳、左木の下239号墳 238号墳 「再現された土石混合墳」と紹介
239号墳 「築造当時の古墳の姿」と紹介 239号墳 石室の石組み
240号墳 「巨石を使った墳丘の土留め石列」と紹介 240号墳 石室奥壁の大きな石
241号墳 「合掌形石室を発見」と紹介 242号墳 「再現された石積み墳丘」と紹介
243号墳(左)と244号墳(右) 244号墳の北側には上信越道が走る
244号墳 「古墳群最大の古墳」と紹介 244号墳 広い石室内部
244号墳(左)と243号墳 北側から 243号墳 盗掘穴 西側から
23号墳 「移設復原された古墳」と紹介 23号墳 復原のようすを写真展示
245号墳 「その名も死人塚」と紹介 246号墳 「築造過程を示す石列」と紹介