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『オタンジョウビオメデトウゴザイマス ゴメンナサイ キョウハアイニイケマセン ツイカデアケオメ!』
朝っぱらからそんな電報が来て若島津はびっくりした。いや、朝でないと家に居ないんで受け取れないんだが。
それでもトレーナー姿で(ジョギングから帰ったばっかりだから)受け取りにサインをして、しみじみ読んでまた首をかしげる。
何だこの『ツイカデアケオメ』って。
しばらく靴箱にもたれて考えてから、やっと単語の変換が組み立てられた。ああ、『追加で、明けましておめでとう』か。
何やってんだ、あいつ。ケータイメールの略語大会じゃないんだぞ。
そこでまた疑問。こんなん電話か、せめてメールで寄越せばいいものを。いつもは「いい加減にしろ!」と怒鳴りたくなるようなささいなことでも、ヘラヘラとケータイメールを寄越すくせに。
とかなんとかボヤきながらも、とりあえずパパっと着替えて出かける支度を整える。今はチームのグラウンドへのご出勤準備が、最優先事項として挙げられる時間帯。
……えーと泊まりは明日からだから、今日の準備はこんなもんか。そうそう、書き終わった年賀状もついでにポストに入れないと。ちなみにこの日付けじゃ一日に届くかどうかはほとんど賭けだ。あとは…あとはゴミ出しは明日の朝でイイんだよな? 今年の最後の資源ゴミっていつだっけ! しまった、明後日だったらもう俺居ないぞ!
年末年始、この彼は落ち着いて過ごせた記憶が高校辺りから一度もなかった。下手すりゃ12月が一番ハードなスケジュールだ。どうしたってそうならざるを得ないのは、まあ今の日本サッカー事情からしたら仕方がない。そこに関しては家族持ちほど切実な悲しさではないにしても、サッカー選手とはやや因果なご商売と言えるだろう。
というわけで、29日の自分の誕生日も同様に。我が事ながら覚えていた方が珍しいっつーか。なのにここ数年、忘れることを許されないのは、強引に祝いたがるヤツが身近に出来ちゃったせいでしょう。
そりゃもう強引に。情け容赦なく。こちらの事情にもお構いナシ!、に、どんな手段を使ってでも祝いたがる若造が…。(しかしそれは本当に『祝い』になっているのか)
車のキーをチャリンと取って、若島津はボストンバッグを肩に担いた。ついでに靴箱の上に置きっぱなしになっていた電報も、何となく手を出して取り上げる。ちょっと、も、持って歩きたい…かなー…、なんて。
───思った自分が、若島津は今一瞬果てしなくイヤだった。
大分感化されて来ているコワい自覚が、山のような圧迫感で迫ってくる。いっそそんな自分を諦められちゃったらラクなのに、とも考える。
でも、とまた思う。そうやって簡単に諦めちゃったり、往生際が良かったりしたら、それはもう『自分』じゃないんじゃないか。何のかんの言っても意地汚くて、見栄っぱりで、根性悪(これは主に同チームのDF陣から)な自分が、曲がりなりにも全日本で正GK張ってられる己を育て上げて来たんじゃなかろーか。
頼むぜ、この辺りはそーいう事情で見逃してくれ。
そう誰かに向かって胸中呟き、彼は無意識にジャケットの胸元へんを軽く叩いた。そこには当然、自分の携帯電話が入っている。感触で確かめ、靴を突っかけて外に出かけ、
───動きが止まった。
なぜ、あいつがケータイで電話を入れなかったか? メールの一つで済ませなかったか? 電報なんて古くさい手段で、祝いの言葉を寄越す羽目になったのか?
もっともな理由は『携帯電話が使えない状況だから』ってのが思い浮かぶ。そして『携帯が禁止されている場所』というのも、若島津の頭には一つハッキリ浮かんだ。
病院、だ。
日向の左足の遊離軟骨が悪化したのは、セカンドシーズン半ばからだった。先月末に会った時には(会ったっつーか、押し掛けてこられたっつーか、…ごにょごにょ)「天皇杯までは騙し騙しでやる」と本人は言っていた。手術をするのは年明けだと。
一昨日の準決勝では、日向はラスト10分の出場だった。追う形で点差が2点に開いた時点で、チーム監督はリザーブメンバーの日向投入に踏み切った。いわば、そこまで日向を出すのを渋った辺りで、彼の怪我が予断を許さない状況なのがよく分かった。
《───くっそ、悔しいよ。ここまで来てて》
負けた直後に電話が来た。
《今年の組み合わせだと、ラストまで行かねぇとあんたのトコと当たんねーの分かってたから。俺、正月にやる気満々でいたのにさ》
でも、そっちはおめでと。正月国立はさっむいぜぇ。
そんな茶化すような言い方で、若島津に慰めの言葉すら言わせずさっさと切った。移動中らしいからしょーがないかなと思っていたが、もし。ひょっとして。
あのスライディングで、あのDFのタックルで、あの転倒で。
決定的な悪化を招いていたのだとしたら。
すーっと、血が引いていくのが若島津は自分で分かった。立っているのがマンションの外廊下でなかったら、その場にへたり込んでいたかもしれなかった。惰性で鍵をとにかくかけようとしても、指先がうまく動かないせいで刺さらない。
おい。
おい、日向。勘弁してくれ。
もう遅刻を覚悟で、若島津は足許にドサドサと荷物を落とした。胸ポケットから電話を取り出し、まだ少し震える指でコールを入れる。
日向の番号は繋がらない。だけどこれは予想通りで、次にかけるのは「そ」でメモリを探った「反町/携帯」。一昨日の試合の後はチーム完オフに入ると言ってたはずだ。
頼むよ、反町。今までお前の電話は邪険にしてたのは反省するよ。留守電の折り返しも結構サボッた。改める、今度からは速攻で返事を入れるから。頼む、今日ばかりはこれに出てくれ。
4回目のコールで電話は繋がった。
「──…反町ッ?」
向こうが名乗るより先に言葉が出る。それは意識せずともほぼ「叫ぶ」に近い響きで、若島津は改めて自分の動転ぶりを認識した。
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