「バッカじゃねえのか、お前はッ!」
「何度も言うなよ、自分でもそー思ってんだからっ」
 しつっこいぞ、あんた。上目使いで若島津を恨めし気に見て、日向は盛大に豪快に、ため息をつく。
 
 
 四日前、若島津は朝っぱら反町に電話をした。半ば動転したまま日向の消息を問い質した。だが呑気と言えるほどの訝しさを伴い、返ってきた彼の言葉は、
《日向ァ? あっ、ちょーど起きてきた起きてきた。今そこに居るぜ。何なら換わるかぁ》
 ───そこに、居る?
 付き過ぎた勢いのやり場に自分でも狼狽えながら、若島津は《ああ》とだけどうにか答えた。続いて《……あれぇ? どしたの? オハヨォ…》なんて聞こえてきた日向の声は、若島津が息を忘れるほどノー天気で牧歌的で、
「紛らわしい真似してんじゃねえッ このバカ!」
「そんなんオレが悪いんかよー!」
 ……丸三日が経った現在も若島津の腹立ちは収まらない。
 
 敢えて結論から先に述べよう。
 こいつは便所にケータイを落っことしたのだ。
 28日午後、その日から日向のチームは完全オフに入っていた。天皇杯準々決勝・敗退残念会と忘年会を兼ね、夕刻より内輪での呑み会が企画された。内輪なだけに展開ムチャクチャ。移籍メンバー含めてお別れ涙もベタベタに。
 随分と早い時間をスタートにしたせいで、夜の二次会突入時点では、日向青年はヘベレケ状態ここに極めりになっていた。そんなヘベレケ酔っぱらいにありがちに、口許押さえてふらふらと店の便所に一人立つ。我慢し切れず吐き戻そうと前のめりになったところで、彼はジャケットの胸ポケットから携帯電話を落っことした。どこにってもちろん、──便器の中に。
「ポチャーンて、気が付いたら水ン中にポチャーン!、て! 思わずオレ便器に手ェ突っ込んだぜ! あー、よく考えたら綺麗な水でマジ良かったよな」
 例え綺麗でも綺麗でなくても、もイッペンその手を洗って来いッ、と怒鳴り付けたいのを若島津は懸命にこらえる。
「ホント、冗談抜きで泣きそうだったよ。メモリー全部パーだもんよ! ヒトの携帯番号って、けっこー聞いたそのまま登録するじゃん。紙にわざわざ移し書いたりってしないだろ。だから他にも分かんなくなっちまった番号いっぱいあって…!」
 そりゃ、己の身に照らし合わせれば、それがどれだけイタイ事態かは想像もつく。一応は有名人という身の上からしたって、『携帯番号しか交換してない』あやふやな知人も山のように。
 だからって、
「何であんな紛らわしい真似をお前はするかな……」
 電報ですよ?!、このご時世に自宅に電報!
 こっちこそ泣きそうだったよ。とは言いたくなくって、若島津は仕方なくテーブル上の缶ビールに手を伸ばした。
「もーショックだった、よりにもよって28日あと数時間ってとこで! だって0時回ったらその瞬間に、オレはおめでとメール入れる気でいたんだからな! ちゃんと文も作って下書きファルダに入れて、準備バンタン!っつー感じで待ってたのっ …すっげぇヘコんだ。よっぽどカズさん辺りに、あんたの番号だけ訊こうかとも思ったんだけどさ。何で今すぐなんだよとかって、突っ込みくらってもイタイかもって。や、オレはいいけどあんたがそーいうのイヤがんだろうなって」
 どっちが良かったのさ?、と真面目に訊かれてグッと詰まる。正直に答えればどっちもイヤだ。ただでさえ近頃、反町には「仲がおよろしくて」と冗談混じりにからかわれてるのに…。
 泡くってかけた電話の言い訳をするのにだって苦労した。
 言えるかい。誕生日当日に祝い電報が来たからパニクった、なんて。若島津はしどろもどろと、『ちょっと頼み事があったのに、連絡付かなかったから心配になって』だのと、かなり怪しい口実をでっち上げなければならなかった。
 付け加えるなら、反町もそれを額面通りに受け取ったのではなさそうだった。ふうん、と呟いたあの不穏な声が凄くコワい。
 ちなみにどうしてあの朝、反町のすぐ傍にタイミング良く日向が居たか? 答えはカンタン。それは日向がクラブ寮の門限に間に合わないのを最初から見越し、届け出をきちんと出して、三次会の後に反町のマンションに泊めてもらう算段を立ててたから。日向のチームはそういった規律には厳しい方で、門限破り・無断外泊は、かなりがっちり絞られる。何ともなれ、この青年には前科があるのだ。(『ラディカル...』参照)
 もっとも、泊めてもらったのは日向ばかりでは無かったらしいが。後ろでガヤガヤ声がしていたので(歯ブラシないスかー?、とか、風呂借りますー、とか)若手多数が一緒に転がり込んでいたものと思われた。
「だいたい何だって正月早々、お前は人のマンションでそうも寛いでるんだ…。実家はどーした、実家は!」
 リビングのローソファーに、のてーっと横長に伸びている日向を上から見下ろし、若島津はまだ気分が収まらずに口喧嘩をふっかける。
「だから一度は帰ったって! 年越しソバもちゃんとアネキとオフクロと食って来たの! 親父の墓参りも今朝行って来た! そいで余った時間を、ちょっと自分の好きに使うくらい、別に全然いいじゃねぇかよ」
 車かっ飛ばして県境二つ超えるのが『ちょっと』かよ。こいつの価値観は時々えらくトンチンカン(死語)だ。
「あんたこそさー、正月一日は仕方なかったとして、そろそろ帰んないとマズかったりしねぇの?」
 日向のこの言い種にも若島津はムッとした。
 帰ろうとしてたよ、俺は! 今日の午後には実家に引き上げる予定でいたともさ! こいつが朝っぱらから電話して来て、「今日空いてる? 行っていい?」なんて訊くから、マンション出そびれたっていうだけで。
 とも、しかし当り前のように若島津は言いたくない。そんなん言ったら、まるで自分がこいつに会いたかったのを認めたのも同然だ。実家に慌てて連絡入れて、地元の級友と交わしてた約束を変更して。そんなことまでして、ただこいつの顔を見たかったのかもしれないなんて、……認めたが最後落ち込みそうだ。
 その若島津の考えていたことがパレたわけでもなかろうが、日向は「チェっ」と軽く舌を打った。
「……何だよ」
「ケチ。なーんか、あんたはまた出し惜しみしてるよな」
「どういう根拠で言ってんだ。第一、俺がいつ何を出し惜しみしてるって?」
 根拠なあ、と少し自分でも彼は不思議そうな顔をした。
「なんだろーな。でも分かる時がマジであんだよ。…あんたがナンか我慢してんなーとか、あ、今言いたいことわざとヤメたりしたんだなーとか」
 へぇ、と若島津は何気なくそっぽを向きながら呟いた。でないと真顔で突っかかりそうだった。
「まあ、俺は異常に見栄っ張りだそうだから」
「それ言ったのカズさんだよな?」
「あいつ、どこででもンなことベラベラ喋ってんのか?」
「違う違う。雑誌で読んだんだよ。ホラ、前に二人で対談してただろ。…あれ面白かったな…。あんたの高校生ン時の写真とかちょっと載ってて…」


 

 


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