【2】

 そして言い出す台詞が───
《考えたんだけどな…。滅多にないくらい、今、オレは時間が作れる期間だよな》
《だね。まあ珍しいっちゃ珍しい》
《で、せっかくだし、どっか出かけてみるってのもこの際いいよな、とか》
《なるほど》
《な?、ほらだから反町辺りに車借りて。だから…だから場所の選別は任せるからさ、お前、二日くらいテキトーにオレに付き合えよ》
 ときたもんだ。
 戻る、冒頭の若島津の罵声。
 なーに、考えてんだ、あいつは。授業を休むってだけならともかくも、ぴんしゃんしてる俺には、当然いつもの生活があるじゃないか───……。
 
 
 
「や、お前それで?」
「それで──って?」
 そう返答がくるとは思っていなくて、若島津は思わずオウム返しに反町を見上げた。
 手許の机の上には、ワリバシと熱湯注いだカップ麺が、きちんと並んでスタンバイしている。あとは時間を待つばかりなり。
 それとはまるで対照的な様子で、反町はウロウロウロウロと落ち着かない。こちらはカップうどんの紙ブタをめくりながら、さっきから狭い研究室内を歩き回っていた。
「オイ何やってんだよ! うっとーしいなッ」
「いや、だからその話さ、お前はどーしてやるつもりがあるワケよ? って、…あれ?、あれー。なあ俺、自分のワリバシどこ置いたっけかー」
「ポットんとこじゃねえの? 無かったらゴミ箱のビニール袋!」
 若島津の指摘に彼はゴミ箱を覗きこみ、「あったあった」とコンビニのビニール袋の中から目的物を救出した。
 それを横目に、若島津は腕の時計で確認する。ヨシ、俺のもそろそろ3分たった。容器のフタをぺりぺりと剥がしつつ箸を割り、しかし全部開けちゃってからハタと思う、あヤベ、これは3分じゃねえよ、4分のだよ……。
「あー! それは違うだろ、4分だろっ!」
「知ってるよ! 思ったよ今!」
 怒鳴り返して、でも今からまたフタをするのも間抜けなので、若島津は容器にワリバシをやけくそ気味に突っ込んだ。
 ちなみにこれは彼らの「お昼食」ではない。
 昼飯はン時間前に学食で食いました。午後練参加前の、ほんのオヤツとしての食物摂取。そしてなぜに研究室にまで来て食ってるかと言えば、ここには立派な電気ポットがあるからに他ならない。
「どーもこーも…。ナンもしてやりようがないじゃんよ」
「……ま、確かに日向、ここんとこボケてはいるけどさァ。でも、…うーん、お前が言うほど大袈裟な話かねえ」
「じゃ何か、俺といる時が特別一番ひどいってのか」
「そう聞こえる」
 反町は言って、やっと若島津の向かいに腰を下ろし、たぬきうどんをズズッとすすった。
「あ、だけどほら、お前の場合は生活空間も一緒ってことだから。他より目につく頻度が高いってのもアリかもよ」
 そう──なのかな? 何か納得がいかなくて、若島津もくわえ箸で首をひねる。
 時間帯だけを注視して言うなら、若島津と日向は大学に来てしまえばほとんどが別行動だ。日向と同じ学科の反町の方が、よっぽど日向と居る時間は長い気がする。
「少なくとも授業中はそんなに酷かないすねー。実験データ数値読み違い凡ミスなんてのは、俺らが班組んでりゃいつもっすからねー。……おい若島津、ここ笑うとこな」
 素直に頷こうとしたらチェックが入ってしまった。時々、反町のかます冗談は難しい。
「とにかくさ、あいつがペース崩すとこっちまで狂うんだよ。参ってるよ、正直なとこ」
「それ、本人に言ったか?」
 無言で若島津は首を振った。言えるか、そんな微妙なこと。まかり間違ってでも、これ以上トーンダウンされたらたまらない。とりあえず「ボケて」はいるが「暗く」はないのが、今現在唯一と言っていいほどの救いなのだ。
「俺から見たら……、ナーバスなのお前じゃないの?」
「ええっ?」
 いきなり、まったく考えていなかった方向へ話を振られて、これは本気でツユを吹きそうになった。
「──ナーバス? 俺がっ?」
「だって、日向は日向なりに割り切ってると思うぜ。ここぞとばかりに筋トレだのなんだの、けっこーそれなりにやることやってんじゃん。今日だってあれだぜ、ちゃんとセンター寄ってから学校来てたぜ」
 センターというのは、トレーナー契約を結んである、ご近所のスポーツセンターのことである。そこのジムでの筋肉トレーニングは、通常の練習メニューにも組み込まれている。足を傷めた日向は当然のこととして、そちらの特別メニューのみの参加になっていた。(ただし朝練は無理。なぜなら早朝からは建物自体が開いてないから)
「そりゃ…そりゃ当然だろう。これで呑気に遊びほうけてやがったら、それこそ俺は日向に愛想つかすよ」
 ブッと、今度は反町がツユをわずかに吹いた。何か一人で勝手にウケて、咳き込みかけながらも肩を震わせ笑っている。
「な……なんだよ?」
「い、今の俺、凄ぇウケた。ハマったわ、ツボに!」
「だから何が!」
「───お前ら、トウのたったカップルかってぇの!」
 いやカップルちゃうか?、夫婦か?
 反町はまだワリバシくわえて転げている。
「若島津ってマジ、日向のシンパな! 付き合い長ぇくせによー続くよ! 判った、あー判った! 俺、そこまで日向に夢ねえもん。アレだ、お前が日向見る目が人一倍厳しーのよ。だろ、そんでウダウダ言ってんのよ! 奥さん、ちょっとは手綱を緩めてやりな? 旦那にだって息抜きは必要でしょー」
 ゆ・めぇ?!
 『奥さん』の単語は意外と自分でもするーっと聞き流して(まあよく言われるギャグなんだよ、これが)、若島津はこっちの単語にショックを受けてしまった。
 それこそマジで何年の付き合いだと思ってんだ、おまけにタダの付き合いではない、寝食共にしての付き合い方だ。家族より親密度で言ったら確実に深い。
 その相手に、今さら『夢』ですかぁ?!
「なんだよ、ソレ……、俺馬鹿みたいじゃんかよっ?」
「だからそう言っている」
 またこれもサクーッと、身も蓋も無く反町は言った。しかも顔は真顔に近くなっていた。
「お前、やっぱちょいナーバス入ってるよ。連られてんだよ、なんのかんの言っても日向に」
「ううー…」
「あと、これも矛盾してっかもしんねーけどな、決定的に日向に甘いのもお前のクセ。結構、日向の美点だけ見てるって感じする時あるもん。それがあいつ今サッカーしてなくて、お前は色々と一気に目に付いちゃってんじゃないの? ほら、子供が育ったあとの熟年夫婦の家庭不和っつーか…」
 あくまで夫婦ネタから離れるつもりはないらしい。クソっ、と口汚く罵り、若島津は片腕で頭を抱えた。


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