《 STAGE;1 》

 




「お前とサシで飲むの久し振りだよなぁ。ええと、いつ以来?」
「いつかな? 7月の中原の結婚式からだから……」
 反町の何気ない質問に、若島津は暗い照明の下で一つ二つと指を折った。
 今日は一日、いつもと勝手が違う緊張をし通しだった。おかげでこいつとこうして飲めるのは素直に嬉しい。特に彼はいわゆる「遊び上手」でもあり、その時その時の気分にぴたりと合った店をチョイスしてくる。今日のこの店は、静かな落ち着いたムードが漂う地下のカフェパー。
 一応は有名人の自分達の顔も他人には見えない暗さで、こそこそと斜め後ろ辺りから伺い見られる心配もない。細かいお気遣いに心底感謝、本日は真に疲れ果てました。丁度こういう場所で少しのんびりしてから帰りたかった。
 な、飲みに行こう。
 と本日夕刻、スタジオでの写真撮りが終わる頃、反町はススーッと側に寄って来たかと思うと耳打ちしてきた。不思議な男で、いつ会ってもまるで昨日の続きのように笑って話せる。「とっつきにくい」と評される若島津にとっては、得難い友人と言わねばならない。
 学生時代、今よりずっと世界が見通しよくて単純だった頃。それでもこいつが側に居たおかげで俺はラクしてたよな……。
「──だろ? おい、寝るなよ!」
「寝るか、こんな所で! ……ああ悪かった、何だって?」
 あのねえ、と大げさに反町はため息を一つついて、手元の水割りを口に運んだ。
「…よく今日来たなって言ったの。お前苦手だろ、ああいうミーハー雑誌の取材はさ」
「だってしょうがない。俺が聞いた時はもう決定事項だったんだ。広報さんからハイよろしくって回ってくる」
「なに、お前んとこって本人の承諾ナシでオーケー出しちゃうの? 噂に違わず強引なフロント態勢だなあ」
 まったくです。お説の通り、ごもっとも。チームにも監督にもさしたる不満はないけれど、あの強引さだけはどーにかならんか。少なくとも出るテレビ番組とか雑誌とか、せめて本人に確認ぐらいは取って欲しい。
 常々、若島津が上部に訴えている事柄である。だってそうでしょう、専門誌ならまだしも、なんで女性向けファッション雑誌なんかで、俺が春夏ジャケットの広告しなきゃならないんだ? 眩暈がする、こっち向いて下さい、あっち向いて下さい、堅くならないで、はい笑って下さい…──。
 他チームからも何人か来てたけど、控室で反町の顔を見つけた時は心からほっとした。中には楽しそうにスタイリストと喋っているルーキーなんかいて、うわー、今どきの若い子の気持ちって分かんねー、などと我ながらオヤジくさいことをぼやいてしまう。
「オヤジってお前幾つだよ!、よしなさいよ、俺も同い歳なんだから。…俺は結構好きだけどね、自分の身の回りに気ィ使うの。おかげ様でこういう指名って大抵うちのチームじゃ俺だもん。もー、やっかまれてますよォ、この間なんてモデルの──と対談しちゃってね、…」
 誰だ、分からん。若島津は眉をしかめてジャーマンソーセージをフォークでぶっ刺した。
 申し遅れましたが、このお二人はJリーガーでございます。言わずと知れたプロのサッカー選手。25歳、双方独身。年収は…同年配のサラリーマンよりはいいですよ、そりゃ。車?、ええ車も外車乗ってます。反町はともかく若島津のはオールスター戦の時の景品(て言うの?)だけどね。おかげで真っ赤なイタ車だよ、誰かとその内取っ換えてやろうと現在は目論んでいる。
 ああ、にしても。
「勘弁してほしいよー、今度はCMとか言ってんだぜ。マジかよ、やってらんないよ…」
 ぎゃははと豪快に反町は笑った。ちなみにこの男は去年、パソコンのCMなぞやっとりました。さわやかーにキーボード叩きながら(しかもなぜかユニフォームでだ)長ったらしいカタカナ名前を連呼したりして、マンションで一人で飯食ってた若島津を何度か吹かせた。
「お前、見た目の割に地味だもんな。そのギャップのせいでいらん苦労してると思うわ、ホント」
「お前は見たまんまだよ、羨ましいことに」
 でしょう、と反町はにこにこと染めた茶髪をかき上げ、人の分まで新しい水割りを作ってくれる。少し嫌味だったんだぞとは今更若島津も言えなくなって、無難に礼を述べてグラスを受け取った。
「うちのチーム来るかあ? けっこー、そういうのは本人の自由意思よ。今日もな、うちからは俺と日向二人だったんだよ。でもあいつは自分からパスしてきてさ。日向、分かるだろ? ほら先月サテライトから上がってきたルーキー」
「分かるよ、いくらなんでも。…ふうん」
 日向ね、と若島津は誰にともなく呟いた。
 日向小次郎、19歳。おお、ぴちぴちの若人くん。
 今年の冬までは高校生で、それなりに正月のテレビを賑わしておりました。若島津だってちゃんとそれぐらいはニュースで見た。サッカー雑誌のインタビューも何本か拝見した。全日本ユースでも筆頭に名前が上がる。
 超高校生級だの久々の大型ルーキーだの恥ずかしいくらい騒がれて、それにしては本人、随分と落ち着いて見える。試合ではまだ一回しか当たってないが、なるほど、これは怖い子だなという感想は抱いている。
 ───しかし、
「なあ、日向って……どーいうヤツ?」
「は? どうって?」
「いや、うん」 
 ごにょごにょと、そこで若島津は言葉を濁した。
 なんかねー、妙っつうか変な敵意を彼からは感じるんだよね。先日、実は試合が始まる前からもう気になっていた。ああ日向って今日はスタメンからか、早いね、そんな会話をチームメイトと交してフィールドに出て、ちらりとそっちを見た時に若島津は驚いた。
 凄い眼で──そりゃもう凄い眼だったさ──日向小次郎くんは若島津の方を睨んでいた。若島津は周囲を見渡し、視線の先が自分なのを思わず確認したほどだ。
 いささかムッとして睨み返してやったが、すると彼は眼が合ったことに気まずそうな表情になり、ふいっと顔を逸らしてしまった。おい、何なんだよ、と若島津が狐につままれたような気分になっても仕方ないと思う。
 何なんだよ?、俺はお前に睨まれる覚えはないぞ。新人のくせにいい態度じゃねえかよ。
 試合の前でエキサイトしていたし、その時はそれで発奮材料として済ませたのだが、後々になるとどうも気にかかる。だってハーフタイムの間も試合終了後もその調子だったんだ。後で雑誌をひっくり返して彼の母校を確かめもしたが、自分や反町の母校と特に折り合い悪い校名でもなかった。…と言うか、あんまり有名校ではお世辞にもなかった。
 まあね、その理由だと反町とも反目しなきゃおかしいし。だけど俺個人が何をしたかと言うと、これはもうさっぱり想像も付かないのだが。
「はあまあ、…若島津も変に気ィ回すよな」
「───悪かったな、小心者で」

 


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