「おーい、しっかりしてくれ。充分ヘンな酔っ払いだよ」
 どしたー、と呑気な声がリビングからかかる。「潰れてるよ、こいつ!」と怒鳴り返すと、予想通りまた「ほっとけ」の声だけが返ってくる。
「ヘンじゃないっすよ、オレ」
「ああ?」
「あー、わっかんねー、ヘンなのかな。マズいんかなあ、……判んないっすよねー」
「判んねえよ!」
 とにかくリビングに連れ戻した方がいいかもしれない。思って、若島津は日向の腕の下に手を差し入れた。
「こら立て! 立つ気を起こせ!」
 お、重い。身長は若島津の方がかろうじて高いが、ウエイトはこいつの方がありそうだ。幅があると言うか、よく雑誌でボディバランスがいいと誉められているだけはある。
「日向ァ、───と、バカやめろ!」
 立つ気が無いどころの話じゃない、ここで日向は逆に若島津の腕を掴み、ぐいと下に引っ張った。当然、重力と日向の力に負ける形になって、若島津はフローリングの床に両膝を打ちつけた。
「痛えッ カンベンしてくれよ、酔っ払い!」
「ヤベぇかなって、ちゃんと思うのに。ダメなのかな、くそー、オレかっこいいですよ、マジで。ヘンだとは思うけど」
「それはいいから、とにかく離せ!」
「食いたいですよォ、食えるモンなら。うー、オレ冷静だよな、ストッパーあると思うもんな。みんな、その辺判ってねぇんだから───、も、ゼンッゼン…」
 会話が、会話がまるで成り立っていない。ええい、肩を押さえつけるな、圧迫感がくるじゃないか。
 この理不尽さに、だんだん怒りがこみ上げてきて、若島津は日向を跳ね飛ばしてリビングに戻ろうとした。なるほど、反町が正論でした。ズバリほっておくのが一番でしょう。
 しかしその行動は果たせなかった。
 日向はガッと、どこから出したんだか判らないような力で、若島津を仰向けに床へ押さえ込んだ。
「ひゅーがあ?」
「ダメですか、ヘンだとやっぱマズいですか。…オレじゃ、ダメですか。こんなに好きでも、ダメ、───なのかなあ」
 だっ、かっ、らっ、坊ちゃん、何がなんだね! 俺に理解出来る言語で喋ってくれよ。
 反町の言ってた「その場の勢い」って、ひょっとしてこーいうのも含んだ意味でか? 日向なりの理屈はあるのかもしれないし、それは説明されればしごくもっともな理由であるのかもしれない。だけどこの状態じゃ判らない。判ってもらう気があるのかもはなはだ疑問だ。
 もうこうなるとうっとおしいし重いしで、面倒臭くなった若島津はつい答えてしまった。
「あーあ、ダメじゃないさ。いいよ、ヘンでも」
「ほんとに? ホンットーに? …嘘だったらオレ死ぬ」
「ハイハイ、ほんとに」
 言った次の瞬間、若島津はハッと後悔した。
 それは予感ではない、『確信』。
「───待ていッ 日向、ちょっと待てこのバカ、」
 きゃあ。
 ここに至って、これが「押し倒されている」とでも言うべき状況なのを、初めて若島津は理解したのだった。今までなんで理解してなかったのか疑うほど、それはそれはパーフェクトな体勢だった。と同時に、さっきから日向が管巻いていた理由も瞬時に悟る。
 ───もとい、これまでの日向の「違和感」ってやつの理由を。
「好きなんだ…、なんです。だからヘンだー…、オレ」
 この状況で律儀に敬語を使おうとする努力も変なら、呂律の回り具合も相当変だ。それなのに目つきだけはマジだという、その恐ろしさときたら言葉にならない。
 更に恐ろしいことに、互いの唇がぶつかりかけるその直前、日向はピタリと動きを止めた。
 若島津は若島津で、息はうまく出来ないわ、眩暈がきそうだわで、半パニック状態に陥りかける。うわお、その隙間1センチ、視線の距離にして5センチ弱。焦点もまともに結べない。
 反町、そうだ反町に助けを求めるべきか。問題は男のプライドと貞操とどっちを取るかだ。朝の満員電車、痴漢に襲われた女の子が、他の乗客に助けを求められないワケを身を持って知った。…なんて俺は呑気に考えている場合じゃない。貞操って貞操って、まさか日向だってそこまでする気じゃないだろう!
 パニックしたまま、若島津は決断を下す。だって蹴り上げようにも、足も自由にならない姿勢からでは仕方がない。 U19ユース代表選手を、下手に大怪我もさせたくなかった(ここらは割と冷静だ)。
「そ、───反町ッ!」
 叫ぶと同時に、ぐら、と日向の身体がのしかかってきた。ただならぬ若島津の声の調子に、酔ってはいてもすぐさま反町も廊下へ飛び出してくる。
「どうしたッ」
「う……」
 そこで反町が見たものは───床に転がる若島津を下敷きに、素晴らしく豪快に熟睡している日向だった。
 これがどのくらい豪快かを説明するなら、彼はほぼ大の字状態で、すかすかと穏やかな寝息すら立てていた。
「な…何やってんの、あんた方……」
「いいからこいつどけろっ! 早く!」
 助け起こされた若島津は、血の昇っている頬をさすって舌打ちする。ああああ、舌打ちしたくもなるってもんだ。
 知らなかったよ、なんてこったい。
 いいか、俺はお前を気に入ってたんだよ。なんてこったい、今だってその気持ちは変わってないけど。
 走り過ぎ、イエロー通り越してレッドもんだっつーの。
「絶対ヘンだぞ、こいつ!」
「何だってのよ…、そこで俺に怒るなよー」
 反町が日向の両足を抱え持って、ずるずるとリビング引きずって行く。若島津は腹立ち紛れ、その日向の頭を一つ蹴っ飛ばした。ねえ、これくらいは許されるでしょう!
 セイテンノヘキレキ、なんて言葉が唐突に頭に浮かぶ。晴れた冬のある気持ちのいい日、空から落ちてきたのは何だったんだ? 雷、隕石、バクダン、だとしたらメガトン級。
 晴天の霹靂。やってらんない。
 
 ───ある日、それは天から降りくる。


 



END
NEXT STAGE!

 

 

 


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