若島津健26才、日向小次郎20才。それぞれ違うチームに所属するJリーガー。反町は若島津と同窓生で、今は日向と同チームの先輩FW。
という設定の許に成り立っているシリーズです。



 



 
「だから、お前は一体何を怒ってるんだよ?!」
 いい加減、ぶち切れかけて怒鳴った若島津に、別に怒ってなんか、と日向小次郎くん(20)は吐き捨てた。
「怒ってなんか、いない。───いません」
 だああっ、と若島津は頭をかきむしりたくなった。この坊っちゃんはご自分でお気付ではいらっしゃらないらしいが、緊張した時、もしくは何かに腹を立て始めている時、敬語の使い回しが不自由になるのだ。だいたいが若島津に敬語を使おうとしてるって辺りが、もうすでに態度が頑なになっている証拠としか思えない。ここ数カ月、第三者が同席しない場所での会話においては、ほとんど彼はタメ口仕様になっていた。
 まあつまりその、なんだ、ホラッ ──…寝ちゃった後では特にさ。
「お前なぁ」
 すぅ、と若島津は意識して目を細めた。
「…いつまでも、俺が素直にお前のワガママ聞いてやると思うなよ」
「いつ、そんなことしてくれたんだよ。知らないですよ、オレ」
 あ、そう。そー返すかい。
 もうこいつ、胸ぐら掴んで一発殴っちゃおっかなー、と若島津が剣呑に考えていると、レジの方から反町とシュナイダーが談笑しながら歩いて来た。ああ良かった、一瞬で我に返った。いくら何でもこんなとこで乱闘事件は避けたいところ。若島津は息をゆっくり吸って・吐いてを二度繰り返し、にこやかな笑みを浮かべてくるっと振り返った。
「ごちそうさま」
「おい、ちょっとォ。こないだも俺が財布持った気がするぜー。たまにはそっちが持ちなさいよ」
「それ、俺に言ってる? 日向に言ってる?」
「お前だよッ ワリカンならともかく、後輩に奢らせるほど俺は極貧生活じゃねえっての!」
「だいたい、俺は一滴も呑んでないのに払わせる気か」
(呑むとどうも失敗が多いらしく、この人は初めてのお相手とは基本で酒は呑まない。呑めない、のではなく敢えて『呑ま』ない)
「おーい、そーれは、あんたが車で来たテメぇ都合でしょー」
 とここに来て、ワリカン、とシュナイダー氏が反町の後ろで呟いた。
 フェアにね、払いましょうとかそういう意味ね、と反町が真顔のカンタン英語で説明する。と、これも真顔で金髪の皇帝陛下は、背広の胸元から自分の財布を出そうとしたので、慌てて反町はそれを押し止めた。
「違う違う! take no notice、じゃ違うか、オーライッ、ええと好意、好意って若島津、英語でなんつった?!」
 なんだっけね。そんなこと急に言われたら出てこんわい。
「goodwill、kindness」
 ボソッと日向が後ろから答えた。その仏頂面に、若島津もシュナイダーもちょっと気まずい間を置いたが、すかさず反町がフォローに走る。
「なんだよもー、酔うとこいつすぐ眠くなって、まァた眠いとご機嫌斜めになっちまうんだから!」
 こんな時間だから疲れたでしょう、といった意味に変換し直し、若島津はシュナイダー氏に英語で伝えた。まあね、とややキザな仕草で肩を竦めてみせ、シュナイダーは反町と軽く握手を交わした。
「楽しい。今日、トテモ楽しい時間。アリガトウ。私また会う、ショーブする、楽しみ。───試合でネ。ソリマチ、あなたのゴール」
「やー、世界の皇帝にそんなこと言われると緊張するね」
「しとけ、しとけ。で、それを俺がばっちり止めると」
「うっわ、そーいうこと言う! ヤな奴だね、お前!」
 変換せずとも、ニュアンスでこの掛け合いは伝わったらしい。シュナイダーも、反町や若島津と一緒になって声に出して笑った。
「アリガト。サヨナラ」
 次に、彼の手が差し伸べられたのは当然のごとく日向に向けてだ。渋々なのが見え見えに、日向も別れの握手を交わし合う。
「…どうも」
 チラッと、反町が若島津に目で合図を寄越す。こいつ後でシメとくからさ、とか多分そういった意味合いを含んだ視線だ。若島津も素早く頷いて返しておいて、今日のとこは日向に対してこれ以上の言及は放棄した。
 ま、妥当でしょう。こと、サッカーに関しては、坊っちゃんの仕込みは同じチームの反町の管轄だ。例え私生活で日向と自分かどれだけの仲(嫌な響きだ…)であろうが、ここはチームメイトに任せるのが筋ってもの。その代わり、シュナイダー氏に対するフォローの分は、後々に若島津自身が引き受けるつもりではいる。
 ───しかしまったくもー、何だってのよ? 
 店の表へ出て、今日の主賓をお乗せするタクシーを止めるために手を挙げながら、若島津は若干ハタチの若者に悪態づいた。
 
 
 
 話は約一か月前の、昨年十二月に遡る。
 この月、セカンドステージも年間王者決定戦も無事終わって、『Jリーグ・アウォーズ』、選手にとって試合以外の晴舞台が到来する。念のためにご説明すると、これは毎年恒例の年間ベストイレブン・新人王・得点王、その他諸々が表彰されるイベントである。(蛇足ついでに付け足すと、確か二○○○年度は東京国際フォーラムで開催、一部が舞台での表彰式、二部が場所をどっかのホテルに移しての慰労パーティ、…だったらしい)
 マスコミも詰め掛けて結構華やか、しかもほとんどの表彰選手はタキシードなんかを着込んで参加する。ちなみに日向がスタメンに上がって一年目、新人王を獲った時は、若島津は舞台裏で大爆笑して皆にヒンシュクをかった。だ、だってタキシード似合ってなかったんだもん…。
 どこの七五三かと思ってしまった(チンドン屋とまで思わなかったことを誉めてほしい)。まず首回りが異様に苦しそうだった。実際、本当に苦しいかとかより何より、本人がそう思って死にそうになっているのがよく分かった。そして取って付けたように胸元を飾る派手こいコサージュ、何をどーして一体誰が、銀色の蘭の造花なんてものを選んだのだか。生花を差していた方がよっぽどにマシだったろう。
 涙をこぼして、控え室のテーブルに突っ伏する若島津に、いやそこまで笑ったら可哀想だろと、思わず居合わせた他の選手が注意したほど。その頃、まだ若島津と顔見知りになったばかりだった十九の日向小次郎くんは、だからヘンって言ったじゃないですかッ、と顔を真っ赤にして反町に八つ当りしていた。
 ───んで、次の年の十二月。
 晴れて最年少ベストイレブンに選出された日向くんは、やっぱりまた似合っていないタキシードを、着心地悪そうに召して控え室に現われた。
 でも、一年目よりは似合ってるかな。
 そう若島津が言うと、ちょっとだけうろたえたように目を逸らした。照れてこういう態度に出てるのをもう知っていたので、これも失礼ながら若島津は笑ってしまった。
 今度はフロント任せにせず、反町みずから貸衣裳を実地に選んでやったらしい。とりあえず「苦しそう」からは彼も開放されているのが見て取れた。(ただ「死にそう」はまだ少し残っていた。気恥ずかしいのと、多分に慣れの問題か)
 低く何かを呟くので、聞こえなかった若島津が耳を寄せたら、『別に、いいです。二度言うことじゃないし』と怒った顔で椅子から立ち上がってうろうろしていた。後で反町から聞いたところによると、若島津のタキシード(ごめん、俺のも貸衣裳だよ)を誉めたらしい。カッコいいっすねとかなんとか、そんな意味のことをボソボソと。
 あいつ怒るぐらいだったら、もっとデカイ声で言やいいのになぁ。本気でそうぼやいている反町に、若島津は随分と複雑な顔になってしまった。
 付け加えると、こういった場で反町はいつも自前のスーツを着用する。この時はトラッドに上品な焦げ茶のスーツ。襟元にはネクタイ代わりにワインレッドのスカーフを覗かせ、胸ポケットを同色のハンカチーフでぴしっとしめる。スタイリストでも付けてんのか?、とつい訊ねてみたら、『バカ言え』となぜだか偉そうに返された。

 


 ■ ■ ■ 次頁


NOVELS TOP