そんなこんなで本番まで待たされる中、まあ当然と言えば当然のように、表彰者選出基準の話題になんかなったりする。最優秀監督はそっちかと思ってたよ──、いやでもカップ戦がミスったと言えばミスってますよね──、馬鹿野郎、選手が二人も選ばれてれば充分だろ──、等など。
 若島津のチームからはDF一人と若島津の合計二人、反町と日向のチームはこいつらスタメンFW二人組みが選ばれていた。
 よしゃあいいのに、若島津のチームの倉本さんというDFが、『FWだけ二人も選考されるチームってどんなモンよ?』とゲラゲラ笑いながら突っ込んだ。思った通り『サイドバックとGK選ばれてるチームに言われたかねェぞっ』と鋭い突っ込み返しで逆襲される。
 ああ、ああ、すいませんね、ウチもバランス欠いてるチームですよ。お雇い外国人が、ファーストステージ半ばで期待外れに壊れちまいましたよ。
 ───1点差、が多いんですよね。
 黙っていた日向が、そこでいきなり呟いた。『ン?』と振り返る形になって倉本が聞き返す。
 ───あ、だから…80パーを1-0で勝ってるって。昨日、スポーツニュースで言ってたんですよね。すげぇ耐久力っつーか集中力っつーか。
 全員が絶句したあと、反町が叫んだ。
 ───えっれえコンパクトな試合運びだな、おい!
 ───日向お前なぁ、喧嘩売ってんのか?!
 ───えぇッ? オレ本気で、すげえなって。マズ…かったですか、すんませんっ
 勝ち上がってるくせに、失点数もやたら多いチームのFW反町は、ぐ・ぐ・ぐ、と咳込むようにして日向の頭を横からはたいた。
 ───マジこいつ悪気ないんだよ、ごめんなー!
 ───いや…ああ、うん…。
 毒気を抜かれて倉本氏も呟く。
 ここ笑うとこかな、笑っていいのかな。俺が笑ったら却ってヤバイか? 若島津はピクつく頬の筋肉を隠すため、口許を押さえながら椅子に座り直した。
 ───ま、そんなこと言われんのもね、今の内ってことになりそうだし。
 ───あれ、でもユゴティ解雇したんだろ?
 その反町の言葉を聞き、倉本と若島津は意味深に視線を合わせてニヤニヤした。言う?、言ってもいいんじゃないの、へへへ、というアイコンタクトが交わされ、結局倉本氏が先に口を開く。
 ───まだオフレコだけどな、ドイツのカール・シュナイダー獲るらしいぜ、うちのチーム。
 ───そう、かなり本決まりで。契約自体もう済んだって話だから。
 う、と反町が唸って身体を引いた。『う』の後は『そだろォ』と続けるつもりだったと思われる。事実、口の形はそう開きかけていた。だがその彼の真後ろの青年、椅子を股いで腰掛け、ガタガタ揺らしながら話を聞いていた青年の方が早かった。
 ───…っそ、マジッ?!
 叫んで立ち上がり、もちろんその姿勢から立ち上がった瞬間、ヤワなパイプ椅子はふっ飛ばされている。ガシャーン、という派手な音も重なった。
 ───マジっすか?! マジでシュナイダー、日本に来るんすかっ?
 この会話に参加していなかった人々(たまたま居合わせたスタッフ含む)も巻き込み、狭くない控え室内は奇妙な静けさに覆われた。日向は一人で興奮の握り拳を作った後、反応に気付き、『え?、…え?』と周囲を見回して困惑の表情になる。
 さすがと言うか、我に返るのは誰よりも反町が早かった。てめェ…、と地の底からのように低く絞り出す。
 ───オフレコって言ってんだろッ つーか、相手チームに最強FW入って喜ぶな、バカ!
 あ。
 何度目かの波にもう耐え切れず、その年も若島津はテーブルに突っ伏して泣くほど笑った。
 
 
 
 日向小次郎くんがドイツの代表選手、カール・ハインツ・シュナイダーのファンになったのは、彼がまだ高校生の時分であった。学校の寮の視聴覚室で見たワールドカップ、あの決勝が忘れらんないんだと、珍しくはしゃいだ調子で若島津に話した。
「カンドーしたよ、すっげカッコ良かった! あのスピードなのにあの切り返しだもんな!」
「聞いた聞いた。前にも聞いた」
 オフ日、若島津のマンションで夕飯食って、ダラダラと二人でくつろいでいる内にそんな話題になった。しごくまっとうに食器洗いは日向が率先して片付けた。こうやってなごむ分には呑気でいいが、そろそろこいつ帰さないと寮の門限って何時だっけ、なんてことを考えながら、若島津がワールドサッカーにチャンネルを合わせていた時だった。
「うーん。オレと、でもタイプ全然違うんだよなぁ…」
「そりゃお前、違うから好きなんじゃないか?」
 率直に言ってみた若島津に、しばらく考えた後で「そうなのかな」と日向は頷いた。
 例えばインタビューで『理想の選手』を聞かれると、彼は強情なまでの頑なさで「理想ってのはないです」を繰り返す。それは高校時代の記事に遡ってもそうだった。
 ───訊かれたくない。理想って相手挙げちゃったら、それで終わりになるんじゃねぇかって思うから。だから理想なんか決めたくない。オレはオレになりたいんだ。オレは、オレにしかなれない選手になりたい。
 ポツリポツリと、後に彼は若島津にだけそう言った。伝えんとする意味はなんとなく分かって、若島津はそれを記者に素直に言やいいのにと思った。良くも悪くも日向はインタビューに答えるのが不得意だった。時には誤解も少なくなかった。
 いい機会だからとそのことを蒸し返してみたら、ダメだよ、と日向は若島津の肩に寄り掛かって眉をしかめた。
「ダメだよ、だって伝わんねえもん。オレ言葉足んねえし、ちゃんと人と話しすんの、…苦手だし」
「苦手苦手言ってないで克服しろ、バカ。まあ俺にしたって人のこと言える立場じゃないかもしれんが」
「───あのさ、そういうの、自分が悪いんだって分かってる時もある。ヤベェ、って後悔なんかもする時ある。けど、しんどいんだ。オレが言いたいこと、聞こうって思ってもらえないと、すげェしんどい」
「なるほど…」
「バカ、なんだと思う」
 ため息みたいな呼吸が重なった。そうしてこの青年は自分に対して怒るのだ。言葉にならずに黙り込むのだ。
 うん、と曖昧に相槌を打ち、若島津は頬にかすった日向の髪をくしゃっと撫ぜた。
 こうなふうにしてさり気なく、若島津の傍らに自分の位置を確保するのが彼はうまい。ローソファの足元でも、コタツ(あるんだなぁ、他は洋風なのにこんなものが)の横でも、ぶっちゃけたところ、ベッドの上でもその彼の気配は穏やかだ。ふと気付くと傍にいる。それは体温がそっと伝わってくるほど、穏やかに近く。
 逆に、これに自分が慣れ過ぎてしまいそうで若島津は怖い。無いと生きていけないかもなんて思うのはサッカーだけで充分だった。必死になったり、喚き散らしたり、そんな想いは一つだけで精一杯だ。
 そのことを日向には言えないなとも、また時々若島津は思ったりする。傷付けそうで。怖いよ、お前が。ああ、俺は近頃怖い思いが山のようだ…。
 不意に意地悪心がわいて、「お前、俺にはいいの?」と言うと、日向は不思議そうな表情で頭を上げた。
 

 

 

 


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