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『性欲と体力は反比例なのか?』
 
 午後練終了後の更衣室にて、馬鹿なことを言い出したのは大概の話題がそうなように反町だった。着替え途中のTシャツを頭に被りかけのまま、「なに、なんのハナシ?」と若島津は背中に訊き返していた。
「いや、だからさ」
 自分は脇のベンチに腰掛け、スパイクの泥をほじくりながら反町はくり返した。
「体力死んでたら、お前らセーヨクって減退する?」
 『お前ら』の中に確実に含まれていた島野が、若島津の右隣でげらげらと笑いこけた。
「どしたよ! お前もう枯れちゃったの」
「バカ、逆だよ逆!」
 胸に投げ付けられた汗臭いランニングを、反町は島野に叩き返した。
「───くそ、窓全開で開けろよっ 臭ぇんだよ、この暑いのにしめ切んな!」
「だからストリップしたいんなら、反町てめぇ一人でやって来いって」
 正確に言えば、窓はしめ切ってまではいなかった。隙間5センチずつ、曇り入りのガラスは半端に風を通してはいた。
 窓を開けっ放しで着替えるなと、これは先月に風紀からきついお達しがあったせいだ。「別にいいじゃん」と気軽にぼやいたのはやっぱり反町で、「お前はな」と島野に変に冷静に言い返されてムッとしていた。日向は何がおかしいのか二人のやり取りに笑い転げた。「アホか」と思った若島津は一人素直に黙っていた。
 以来、反町には「ストリッパー」という下らないあだ名がひとつ増えた。「あいつ、脱いでるとこ見せたいってよ」と小池がふざけて触れ回ったおかげで、その名はしばらく女子の間でもひそかに流布した。そののちに、小池と反町の間にどんな確執が持ち上がり、そして沈静化したのかは定かでない。ただサッカー部内で知られているのは、小池のセガの人気ソフトが反町の手に渡ったという事実だけだ。
「あー、反町それでイト先に呼びつけられてたんだ」
 ひょいと、くだんの小池がロッカーの向こう側から顔を出した。
「マジ、お前また呼び出しくったのォ?」
「呼び出しまでいってねえよ!」
「でも引っ張り込まれてたじゃん、取調室に」
 取調室、とは保健室隣にある生徒相談室のことを指して言う。窓に格子がはまっていないだけで、ビジュアルとしてはほぼまんまだ。
「今度はなによ」
「やってねーって、オレほんとなんにも」
 あんまり信用できた話ではなかったが、島野と若島津はとりあえず「ふうん」と鼻を鳴らした。イト先──鬼の糸井学年主任教諭の説教は、まあ大抵の運動部の生徒が卒業までに一度はお世話になるというシロモノである。ちなみに若島津は一回、小池が二回、島野がゼロ回という成績を現時点では誇る。
「なあ。それ、さっきのネタとかぶってんの?」
 素朴な疑問を口にしたのは小池だった。思わず島野と若島津は顔を見合わせた。口にしなくとも、彼らは話の展開にきっちり予想がついていた。
「コンドー(ム)ちゃんでも落とした?」
「保健室のベッドでヤバイご休憩入ってるとこ見つかった?」
「あれだよ、書庫の密室、二人の空間、即ゲット・モードにいっちゃってたりして…」
「違うっつーのよ!」
 好き勝手に上がるヤジに、反町はついにベンチから立ち上がって喚き返した。
「お前ら下品ッ 下品すぎッ」
 ひとのことだったらいつも一番にハシャぐくせに、そんなマトモな台詞を吐いて憤慨する。
「昨日、ミスドにヤマザキといたとこ押さえられたんだよ。そいだけ!」
「え、北口の? そりゃー見つかるだろ、あそこイト先の巡回区域じゃん」
「それがさあッ 聞いてくれよ、も信じらんねーよ。オレら、隣の駅のミスドまでちゃんと行ってたんだぜ? なんでンなとこまであいつ来んだよ?!」
「…すげェ…」
 呟いた若島津に、「だろっ?」と反町は勢い込んで唾を飛ばした。
「じゃ、なくてさ。お前、ヤマザキとイチャつくために、わざわざ電車乗って移動したわけ?」
 若島津の感想を横から島野が代弁してくれた。ちなみに彼らは全員寮生である。寮は学園の敷地内に建っている。駅まで行く必要だって当然のごとくない。
「するでしょ、それは! そんぐれーの労力は払うだろうが男として」
「はー。そんでやられたんか、イト先に例のあれを」
「学生の学生たる本分、それは健やかな精神を育み鍛えるために学業し汗を流し、特にキミタチ運動部員はスポーツに力を入れるわが校の誇りでもあるはずで、…ってあれか。うう、不毛だ」
「──覚えるなよ、覚えるまでやられてるお前の方が不毛だよ」
 だからさ、とぐるりと話題が一巡したあたりで反町は頭をかいた。
「別だろ? スポーツの汗と、なんつーか…そういう汗と」
「それは、マ、そーだ」
 と案外あっさり小池は頷いた。
「うーん、みみっちい。サルだ。サル並み」
「いえいえ高尚な疑問ですわ」
「───そうかァ?」
 ズボンのベルトをとめながら、思わず若島津は振り返っていた。
「死ぬほどダルい時にまで、フツーそこまで頭回んねーだろ」
 この何気ない台詞に、一拍おいて「お前はなっ」と小池が大袈裟にのけぞった。
「お前タンパクだもんよ! この歳にして異常なまでに」
「えウソ。俺だけっ?」
 否定を期待したのに、更衣室内はシーンと静まりかえってしまった。
「だって…ええ?! それ一体どーいう体力で言ってんだよ? 無理じゃんかよ、マトモに部活やってたら」
「…若島津。イト先と気が合うだろ、お前」
 これも冷静に島野が呟いた。合うかよ、合うわけねーだろう、と怒鳴り返したかったが、分があまりにも悪そうで若島津はぐっと黙った。
「若島津ってさあ……、ちゃんと一人でカイたりしてんの?」
「なんっか、お前ってイマイチ想像できねえわ」
 するな、バカ。もう何も言う気をなくして(実際、島野が味方にならなかったのはショックだった)若島津は黙々と着替えを続行した。これ以上余計な突っ込みをされたくないというのが、この時の正直な感想だった。
 なのに、反町のくそバカヤローは、鉾先が自分以外に向いたのがよっぽど嬉しいらしく、
「日向っ おい、お前どの程度知ってんのよ」
 と、むちゃくちゃ余計な方向へ話を振った。
「んん?」
 それまで一言も発さず、日向はベンチの端でマンガ雑誌をめくっていた。通学生の誰かの雑誌で、寮に持ち帰るわけにいかないそれを、日向はノルマとして今日中に読み終えるつもりらしかった。
「あ悪ィ、聞いてなかった」
「若島津ってセーヨク他より少なそうって。お前、同室なんだから知ってるっしょ?」
「えー? テキトーにしてんじゃねえの? 知るかよ、他人の下半身事情まで」
「他人かあ? 日向と若島津って他人じゃねえじゃん!」
 叫んだ小池に、若島津はドン、と額をロッカーの扉に打ち付けた。
「…どーいうイミだよ、殺すぞてめえっ たかだか他より、ちょっと付き合い長いだけじゃんかよ!」
「ああ。隠し事なんかはないな、そう言や」
 更に日向が追い討ちかけて余計なことをぼやいたりして、島野までロッカーに頭を突っ込んだまま笑い崩れた。
「じゃセンセ、質問質問! 若島津の記念すべき初恋って?」
「小3で同じクラスのナカジマミエコ」
「最初の女は」
「どっかのOL。わりと派手めの女で、…あれ名前なんつったっけ、そこまでは覚えてねえや」
「……覚えてねえでいいよっ なにそこで日向もさくさく答えてんだよ!」
 若島津に怒鳴られ、ここで初めて日向は顔を上げた。なんかマズイか?、的な目で見られ、こいついっぺん殴っとこうかと凶悪な気分がこみあげる。
「おー…えるっ なんだ、それいつの話だよッ」
 若島津が止める間もなく、反町の問いにまたさくっと日向が答える。
「去年の学祭のあとだよ。お前、確か呑み屋で逆ナンされたんだよな?」
 そこで俺になぜ訊くか。若島津が絶句している間にも、ばたばた人が集まってきた。気づくと下級生まで参加している。
「食ったの? それでいきなり食っちゃったのっ?」
「いやー。正確に言えば食われたんじゃねえか、あれは」
「その後は? それから連絡とか取ったのかよ」
「ケータイのナンバー渡されたハズだけどな、多分それきり連絡してないだろ」
 本人を無視して、よくもそこまで盛り上がれるものだ。ここですっかり、若島津は萱の外に放り出された形になっていた。

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