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「ひゅーが。──…おい、日向ッ」
 切れかかった若島津の叫びに、「ん」と日向は雑誌に視線を戻しながら呑気に答えた。本気で動じてないのが判るだけに腹が立つ。
「あのなあっ お前のこともバラすぞ、しまいには!」
「なになに?!」
「こいつ人のことばっか言ってるけどな! そん時もう一人のOL、しっかり自分も食ったんだからなっ」
「別に俺は隠してねえもん」
 だがきっぱりと、しらっとした顔で日向は言い切った。
「特に付き合ってる女もいねえし、そんなモンダイごとじゃねえだろーが。金貰ったんでもないしさ」
 糸井学年主任が聞いたら青筋立てそうな言い種だったが、うっと若島津は詰まってしまった。普段は若島津よりよほど常識的なことを言うくせに、日向はこういう時に突然リベラルになったりする。そしてだいたいにおいて、その押し切り形式に若島津は敗北を余儀なくされる。継ぐ言葉を失って口をパクパクさせていると、
「いーなァ。…年上かあ」
 と、牧歌的なまでに、本気で羨ましそうに小池が漏らした。それがあんまりに平和に響き渡ったので、さすがに全員がそっちを振り返った。
「あれっ、──みんな思うよな、これ普通だよな?」
「いや…どうっスかね」
「その方がラクだってのはゼッタイあるよ」
「だよな? 初めて同士って色々と悲しいよな?!」
「それは! それはつらいよ、小池ー!」
 何が過去にあったのかナゾの連帯感で、小池と反町はひっしとすがり合った。
「そんなに…えーと、違うモン?」
 若島津も自分を棚に上げた好奇心にかられ、おそるおそると尋ねてみる。
「違うよツライんだよ、マジ! もー、何がなんだかワケわかんないぞ、あれ!」
「ワケわかんないって…」
「なのに負担は大きいんだよ。手間ひまこっちがかけなきゃいかんしさぁ。そんなヨユーあるかっての!」
「ああ…」
「差別だよな? オレいつも不思議だよ、バージンには価値あんのに、男のドーテイには逆価値ってのは」
 それは、誰しも思うところではなかろうか。
 それこそ深遠な疑問に若島津が眉を寄せていると、反町は真顔で首を振り、「ドーテーとかけて粗大ゴミととく」と低く吐き捨てた。
「そのココロは?」
 これも真顔で島野が間の手を入れる。
「そのココロは、金を出しても捨てなさい、と」
「座ぶとん一枚!」
「一枚すか?」「二枚はちょっと…」
 がやがやと話題がそれている間に、若島津はさささと着替え終わった。国体前なのに、もしかしてこいつら無駄に体力が余ってる。しかし…そうか体力と性欲か…切実なとこまでいったことがないから俺には判らん。
 などなど、自分に関係ない内に逃げ出そうとしていると、後ろで反町がまたバカなことを日向に訊いている。
「なあなあ、OLうまかった?」
「うまかったんじゃねーの? よく判んねえけど」
「判んねえって…お前もそれ薄情だよな。まさか他のとごっちゃになっちゃってる?」
「覚えてるよ、インパクトだけはあったぜ。狭かったし」
「───せまいィ?!」
 また素頓狂な声で反町が叫び、更衣室内の視線は自然と日向に集まった。
 それを日向本人は知ってか知らずか、
「あ、いや、車ン中だったから。あっちこっちぶつけてさ。けっこー後で痣ンなってて驚いた」
 何度目かに絶句して、若島津は額を再びロッカーに打ち付けた。

◆◇◆
 

「お前なあ! 喋るなよ、ひとのことまでサクサクと!」
「本気で止めろよ、じゃあ」
 止めてた。俺は本気でしっかり止めてたよ。お前が理解してなかっただけだよと、若島津はぐったり二段ベッドの下段に沈んだ。
「それにもう、…くるまァ? なんなんだ、初耳だよ」
「だから俺は別に隠してねーって。お前、知ってると思ってたんだけどなあ」
 あー、そーですか。にしたって車…いきなり車中かい。つくづく日向ってのは、若島津の想像力のカバーのきく範疇を超えている。
「アオカンよりマシだろ?」
 なのに日向はそんなことをさらりと言って、うつぶせに寝ている若島津の髪に手を伸ばした。
 飯も食ったし、風呂も入ったし、予定としてあとは寝るだけの状態だ。寝巻き(用のトレーナー)に着替えてこそいなかったが、二人とも机に向かうでもなく、だらだらと夕方の話をむし返していた。
「なに…あのOLって車で来てたの?」
「そうそう。お前らが店出てったあと、一応はラブホ探したりもしたんだよ。でも混んでたしさ、金はねえし、まあバタバタっと。お前はあれだろ、相手に金払わせてたんだろ? それに比べりゃいいと思うぜー」
 だって、──だって金ねえもの。
 相手がOLだったら、必然的にそういうことになりゃしないか?(余談ながら彼らの飲み代もオネーサン達が支払いしてくれた。…余談である)
 良い悪いより、必然の問題として、選択肢がほとんど無かったんだからしょーがない…──。
「っ、ちょっと日向……なんだよ、この手ッ」
「あー。なんか寂しいなと」
「勝手にいじんなよ、触るなよ!」
 髪をかき上げた指が、うなじと首筋をたどっている。ヤバイ雰囲気になってきていて、手を払いのけながら若島津は飛び起きた。
「お前さあっ 女好きだし、俺が知る限りだって不自由してないよな? なのに、なんで俺にこーいうことしたがるワケ?!」
「今さら言うなよ!」
 今さらったって、若島津は最初から言っている。日向がそれにちゃんと答えていないだけなのだ。
 
 なんとなーく、触られたり…ええと、互いに「お手伝い」しちゃったりし始めたのは、彼らが中学生の時だった。まだ女性が未知なる世界の領分の頃。
 恥ずかしいとは当初からちらっと思ったが、実は日向に触られるのはイヤじゃなかった。ひっくり返せば、日向に触るのもイヤじゃなかった。喋りながらの時もあるし、そんな時の話題は風呂場でする会話と大差はない。
 『幼なじみだから』で、納得していた若島津は、他のいわゆるフツーの『幼なじみ』が、一般的には『そういうこと』をしないと知って驚いた。
 え、オレタチって異常だったの、そう日向に疑問をぶつけてみたが、「たまにはいるんじゃねえの」で日向は済ませてしまった。「だって手前ェでするよりイイし」とまであとに日向は言った。
 そうか。ああ…そう。
 それで流してしまう自分も異常な気はしたが、二人が同室をあてがわれている限り、とりたてては不都合なことも起きなかった。───つい、先頃までは。
 ここで事件が勃発する。日向のくそたわけは、最近になって『それ以上』を若島津に要求するようになったのだ。しかもかなりの強引さが伺える。
 ヤだよ、そこまでやったら俺らホモじゃんよ。
 正直に率直に、若島津は日向に感想を述べた。日向はしばらく考え、それってマズイかな、と真面目な顔で若島津を見た。
 なんで俺が逆に訊かれなきゃいけないんだよと若島津は思って、当り前だろ、とごくまっとうに言葉を返した。そうして更に日向が言うには、
 ───なんで。
 なんで?、そんなこと質問されたって困る。世界が根底からひっくり返ってしまう。若島津はうろたえ、「なんででも!」といささか乱暴にその時は会話を打ち切った。もちろんそれで日向が納得などするはずがなく、こうしてことあるごとにちょっかいを出してくる…。
 
 ああ、まったく今さらだ。
 どーしてこんなことで俺は悩まなくちゃならないんだろう。いったい前世でどんな悪さをしたとゆーのか。
 若島津は非観的な気分になってため息をついた。ちょうどいい、今日という今日は、ちょっと真剣に話し合っておく必要があるかもしれない。
「なあ、日向…」
「ん?」
「お前、たまってんじゃない?」
 狭い二段ベッドの中で向き合ったまま、日向はこの若島津の台詞に、実に実に不愉快そうな顔になった。

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