耳障りなくらいにエマジェンシー・コールが鳴っていた。何度も、それは何度も。
 うるさいな、と日向はぼんやりと思う。うるさい、もう判った。もう誰もお前を必要としていない。わざわざ教えてくれなくたって結構なんだ、非常事態なのは嫌と言うほど身に染みている。
 隔壁の中には二人だけしかいなかった。
 片足が使い物にならないこの有様では、彼をここまで引きずってくるのが日向には精一杯だった。そして当然のように後は無い。出来ることだってもう一つも無い。救難信号は自動発信してあるのを確かめた。探し出した非常ボックスの医療品は、止血程度にしかものの役には立たないし、例えそれ以上の設備があったとしたって、ズブの素人に扱えるとも思えなかった。
 動かない左足を投げ出すようにして壁に凭れ、日向は横の意識の無い友人の顔を覗き込んだ。
 友人。幼馴染み。それよりもっと。
 側頭部からこめかみにかけての裂傷は、日向自身の手で手当をした。稚拙な応急処置、それでも出血だけはおかげで止まった。意識が戻らないのを不安に感じないでもなかったが、敢えて今それを起こそうとは思わなかった。だってそうだろう。デキの悪いパニック・ムービーじみたこの場面に、無理に彼を引き戻したりする必要がどこにある? 
 それに、といくらか言い訳めいて思い足す。酸素消費量だって、こうしていた方がずっと少なくて済むじゃないか。
 もつのかな。
 初めて、その時になって言葉が浮かんだ。何も出来ることが無くなった状況で。
 あまりに明瞭で基本的な疑問で、今まで考えなかったのがおかしいくらいだった。だからそれはひょっとしたら、無意識に避けるべく努めていた疑問だったのかもしれなかった。
 もつんだろうか。
 救助が来るまで、隔壁の中の酸素がもつんだろうか。外では火の手が治まっていなかった、あの、馬鹿みたいに酸素を消費する赤い炎が。
 隔壁をロックした時点で消火剤散布、そして空調ロックもかかるのを漠然と知っていた。だがそれから、この小さな部屋にどんなシステムで酸素が供給されるのか、日向にはまるで見当もつかないのだった。
 物理工学、それもシャトル設計をかじっておくべきだったな。そんな今更なことを冗談半分に考えた。手持ちの博士号なんてクソっくらえだ、遺伝子工学なんてこの事態に何の助けにもならない。ささやかな知識でもいい、せめて原因の察しぐらいつけば、パニックだの言う愚にもつかないものを遠ざける助けにはなるんだろうに。
 あいつ、あいつの専門はそっち方面だったなと、不意にもう一人の友人の顔が脳裏に浮かんだ。
 反町。あいつ、まったく昔から悪運だけは強い奴だ。本人は歯ぎりして悔しがったが、今度のバカンスも断りきれないオファが突然に舞い込み、彼だけが急遽キャンセルの憂き目にあったのだ。コロニー・環境システム設計の専門技術者。新理論が確立したばかりで、若手はみんな引っ張りだこだ。そうか、シャトルとは少し違うか。
 待てよ、日向。少しなもんか。大分違うぜ、大雑把にくくるなよ。
 そう頭の中で罵られ、日向は声に出して小さく笑った。途端に胸部の骨がキシキシと悲鳴を上げる。今まで意識してはいなかったが、肋骨のどれか一本くらいはイカれていそうだ。
 でもそっちはマシだ、痛みがまだあるのなら。
 スラックスまでどす黒い赤に染まった左の大腿部は、既に何の感覚も伝えてはこなかった。ただ随分と重いだけだ。他にもあちこち怪我をしたはずなのに、それらの感覚もだんだんと意識と共に霞んでいくようだった。
 自分が失神しかけているのに気付いて、日向はドン、と背後の壁に頭を打ち付けた。
 数をかぞえる。いち、に、さん。ああオーケー、まだ大丈夫だ。苦労して腕を持ち上げ、右肩に寄り掛からせている友人の口元に何度目かに手をかざす。微かにだが、しめった息が掌にかすった。ほっとして腕を下ろし、自分も深い息を静かに吐く。

 


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