【1】

 
 
 チームの午後練が引けてすぐ、クラブハウス一階のプレスルーム。
 備え付け大型テレビで、資料ビデオの鑑賞にいそしむ日向は、先輩の長弁論をその頭半分も捉えてはいなかった。
「会ってくれよ、な! とにかく一度、会うだけでいいからさあ」
「はー…? なんでしたっけ。名前、聞いたことはあるよーな…──」
「聞いたことはそらあるよ。最近だろ?、テレビでお前だって顔ぐらいは」
 へええ、テレビ。じゃ俳優かなんかスかあ、と呟きながらリモコンを片手で手繰り寄せる。
「あこれっ これかあ! オレ自分で覚えてなかったんすよ! ンだよー、しっかりカズさんのコーナーキックからじゃんか」
「って、あのなあッ 真面目に聞く気ねェのかよ、お前はァ!」
 シャワールームから追っかけてきていた反町の声が、そろそろ忍耐の限界モードに入ってくる。しかし日向には邪険にしてる自覚なぞまったく無い。単に目の前のビデオに真剣なだけで、
「えー?! 今期ベストゴール・ランキングって、昨日のテレビでやってたじゃないすか。見てたら4位とか、その辺にオレが入ってて…んで資料室さんに頼んだらビデオ出してくれるって言うから……あ、2位にカズさんの最終節のが挙がってましたよ。でもあれってさ、」
「──ええい、聞けっつうの!」
 怒鳴られ、渋々ソファから振り返る。見ると、まだ濡れてる頭にタオルを被り、反町は怒れる大魔人のように立っていた。
「シャワールームからだぞ。お前はずうっと、人の話を無視しおってからに。ええッ、なんで俺がこんなパシリみてえなことしなきゃなんねェんだよ?!」
「いや、…なんでですか?」
 むっと顎を引き、反町は日向の頭をラリアートの要領でぶん殴った。
「お前、サッカー関係以外の取材は全面拒否って、広報さんにいらん通達出しただろ!」
「えーっ? だってっ、嫌ですよオレ! わけ判んねえファッション誌のインタビューとかっ 何喋っていいのかも判んねえし、フロントも嫌なら断わっていいって」
「一応、中身聞いてから断われよ!」
 聞いても断わることに変わりはないと思う。殴られた頭を押さえて日向が唸っていると、上から数枚のプリントと名刺を叩き付けられる。
「うーもう、何なんすかっ これ…え、相撲取り? 違うかな。あれ、だけどこの名前って字面も覚えがあるなぁ。やっぱそうだ、俳優とかそういう──」
「だからね、お前さん話を聞きなさいと! タレントじゃないよ、芸術家。名刺の裏にも書いてある」
「ゲージュツカぁ?」
 ますます自分とご縁のある方とは思えない。裏と言われて名刺をひっくり返し、全文英語なのにも日向は眉をしかめた。
「でも、ならなんでオレが名前知ってんだろ…」
「──それはですね、テレビコマーシャルにご出演なさってるからだと思いますよ、多分」
 声に顔を上げると、広報室の平泉さんが、困ったような苦笑を浮かべてそこに居た。
「あ、どうも」
「どうも、お疲れサマです。──…あの、ご説明させて頂きますとね、こちらの取材申込みは正式にチームに打診されたものなんです。で、勝手ながら広報からお断わりのご返事を差し上げてまして」
「そんな、勝手じゃないですよ! 平泉さん、オレに頼まれたからそうしてたんだし」
 慌てて、反町からかばうつもりで差し挟む。だがハナから反町はそんなことは承知だったようで、
「問題はそこですよ」
 と、背広の平泉氏にしみじみと呟いた。
「はあ…。とにかく、サッカー及びスポーツ専門誌以外の取材は、今までもほぼ一切をお断りしてるんです。日向くんに関しては監督もその意向ですから。それに、…ご本人もこれでしょう」
 うんうんと、日向は思いきりよく首を縦に振った。
 あのね、誤解無きよう説明するなら、本当にわけの判んない取材もくるんだよ。日本プロサッカーリーグ、一時のブームよりは落ち着いたとはいえ、場合によっては選手・監督、タレント並みの商品価値があるらしい。
 自分を有名人とは日向は捉えていない。そりゃ一般の人よりは知名度があるかもしれんが、こんなの微々たるもんだと思っている。(まー、思うのは自由だ)
 高校卒業からすぐにプロ入り、2年目。スタメンには半定着、今年はワールドユース選抜もありました。でもはたから見たらご活躍の現状も、彼自身にしてみれば全て納得いった結果でもない。リーグでは故障中の先輩に代わってのスタメンだし、気を抜けばすぐさま控え落ちの可能性をはらんでいる。ワールドユース・ベスト4の快挙を騒がれたって、最後にはやっぱり負けて帰ってきたわけで、フル代表のユニフォームへだってまだ手が届かぬ。
 そんな中で、主にマスコミ言うところの『期待の新星・日向小次郎!』くんと自分との間に、この頃、変なギャップがある気がしてならないのだった。言い訳に聞こえるかもしれないが、プレッシャーとはこれは絶対違う。とにかく愉快ならざる、奇妙な──ギャップ、が。
 それこそが、プロとして跳ね返さなきゃならない重圧だよとコーチは言う。そうなのかな、日向だって真剣に考える。でも邪魔だよね、今のオレには必要ない。実力とそれに見合った評価だけが切実に欲しい。厳しさだけだって構わないんだ、それがそのままオレの形なら。
 出来ればスポーツ紙・サッカー雑誌のインタビューだって逃げ通したいくらいだった。こっちに言わせたい科白や反応が見え見えなのが居心地悪い。あまつさえ、あれやこれやと洋服取っ替え引っ替え着せられるファッション誌なんて、頭っから御免だと日向は思う。
 実際、このチームに入って良かったと思う数多いことの一つに、フロントがかなり本人の意志を尊重してくれるというのが挙げられる。中には取材許可出しちゃってから、本人に伝達がいったりするチームもあるらしい。後援企業のCMだったりすると、まず断われないとも聞いている。
 まあ、…大抵は喜んで出たりするんだろうけどさ。
「ふん。甘やかしてますよ、皆さんして」
 そう言ってまた日向を睨む反町などは、取材・CM出演大好きでサッカー界でも有名だ。自分を演出するのを楽しむタイプで、それがまたいい意味でパワーの源になっている。
 ちぇ、ズルいよな。好きなんだからそりゃあ苦じゃないでしょうよと、日向はズルズルとソファにすがって沈み込んだ。
「カズさーん。オレ、まァじでヤなんですけどォ…」
「判ってる! 判ってるから、今回だけは一度本人に会え! そのあとで断わるのはもう構わんから。そら資料、いっちょカルーく、な、目を通して」
 反町の語調は、更に懇願する響きまで帯びてきていた。そう言や、何でこの人がそこまでしなきゃいけないんだろう?
 日向はさっきも一度考えた疑問に口ごもった。だがそれはあっさりと、横の平泉さんの科白に解決を見る。
「──しかし奇遇ですねえ、反町さんとご友人でらしたとは存知ませんでした。うちの家内がえらくファンでしてね、私も幾つか作品は拝見したことがあるんですよ」
「友人て言うか…まぁ友人なのか…ハハ、友人ですかね」
「ええ?! カズさん、ゲージュツカの友達なんかいたんですかッ?」
 らしくない先輩の語尾の濁し方はするっと見過ごし、本気で驚いて顔を上げる。
「悪いか?!」
「スゲェっ、モデルと芸能人専門かと思ってた!」
 ──あ、しまったこれは一言余計だった。
 言ってから後悔するがもう遅い。
 元から機嫌の悪そうだった反町に、日向は本日二度目のアタックをくらってソファから転げた。
 
 
 
「初めまして。若島津です、…今日はお忙しいところをありがとうございます」
「あ、ハイ。どーも…初めまして。日向、です」
 パキパキに緊張して右の掌を握り合わせる。
 そのまま硬直しそうになった日向だったが、座りましょうか、と笑顔で言われたのを合図にして、ギャルソンがススーッと後ろに寄ってきた。何されるのかと身構えたら、なんと彼はわざわざ椅子を引くためだけに来たらしかった。
 ──うー。今日のオレの服見て、カズさんが何で顔をしかめたのかやっと判った。
 こんな店なら、先にちゃんと言っといて欲しかったッ なんたってジーパン、かろうじて綿シャツ。ラフな服装過ぎて、オレはムチャクチャ浮いてんじゃんか。
 そう日向が小声で耳打ちすると、「教えておいたらお前、合う服を用意出来たか?」と痛いところを突っ込まれた。
 ……出来ません。確実に。実はスーツをまだ一着も持ってない。そろそろ買わねばとは思ってんだけど。
「反町にも悪かったね。突然電話して、驚いただろう?」
「ああ、驚いた驚いた。よく番号知ってたとまず思ったね」
「ハシダがさ、同窓会の幹事をやってるじゃない。彼に教えてもらったんだ。代わりに、今年は絶対に顔出す約束をさせられたよ…──」
 聞いてみたら、このゲージュツカ先生と反町さんとは、中学の同級生というのが真相だった。
 結局、反町センパイのセッティングで、一度夕食をご一緒にということで話がまとまりを見せてしまった。あいつ蓮の糸ほどのコネ使いやがってと、反町はかなり後々まで文句をたれていたが、それだけにしちゃ随分と彼らしくなく腰が低い。また、どうしてそこまでしてこのお方──若島津健氏が、自分に会いたがったのかも日向には疑問。
「すいませんでした。そう、ご迷惑だったでしょう? ただ僕はどうしても君をじかに拝見したかったです。画面や写真ではよくお目にかかってますけど…」
 実物もそのままですね、と穏やかーに微笑まれて、それはこっちが言いたいと日向は唾を呑み込んだ。
 名刺を握らされたあの日の夜、クラブ寮の自室でそれを手にテレビを見ていて、日向は彼をどこで見てたのか思い出した。うっかり、画面を指差し叫んでいた。
 コーヒーのCM。日本中、知らぬ者はいないだろう。
 十年以上も前からやっているシリーズで、何年かおきに出演者は代わる。歌舞伎役者とか指揮者とか雅楽奏者とか、ええと他は誰がいたかな、ピアニストとか純文作家とか。格調たかーい文化人シリーズ、なのによく考えるとインスタントコーヒーなのはもしかして笑える。
 彼らは色んなシチュエーションでコーヒーを一口含み、「この一杯、このひととき」なんてやるわけだ。横にはでかい字でフルネームと肩書きが入り、例えば「作家・〇〇氏のステイタス」等々とナレーションがバックに流れる。
 レストランに入ってまず、テーブルに先に着いていた彼を見て、日向の頭には思いっきりそのCMテーマ曲が鳴り響いてしまった。うわあ、ホンモンだよ、おい。わー、ゲージュツカだあ。
 それから驚いた。あの、あんまりにその『まんま』なので。
 と言うのは、あれはやはりCMであるし、ある程度は構図を狙ってんだろうとは思ってたんだ。メイクの技術ってのもあるかもしれない。男でも最近は『塗る』らしいし。カズさんのCMやポスターだって、たまに現物より二割増しぐらいにカッコいい(本人に言ったらきっと殴られる)のがあるし。
 つまり、目の前の方はそれほど顔立ちの整った御人だった。失礼でなければハンサムよりは美人、に近い。切れ長の目付きの純和風美人。細い紐で今は括っているけど、肩より長い真っ黒で艶々の髪。ムードもあって、自分の方こそが美術品みたいだ。このままラクに芸能界入りも果たせそう。
 へええ、まるで人種が違うよなと、つくづくと日向は感心して彼を眺めた。
「こらこら」
「は?」
「お前、人の顔をそんなにじろじろ見るもんじゃない。田舎のガキじゃないんだから」
「あ、あースイマセン」
 つい反町と若島津氏の両方に謝ると、構いませんよと若島津氏は軽く手を振った。
「僕だって人目が無けりゃ、上から下まで見尽くしたいくらいだから」
「…は」
「だって本当にねえ、」
 僕は、君を見たかったんです。
 にこにこと言う彼に日向が抱いた感想は、容姿うんぬんを抜かしてしまえば、『ヘンな人』の一語に尽きる。普通、こういうのは「会いたかった」と言わないか? 最初からそうだ、彼は「会いたい」より「見たい」の言葉を優先させてた。
「気にするな、日向」
 ちょっと困惑してる日向を察してか、横からポンと反町が肩に手を置いた。


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