日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0209.htm#20020901
2002年9月
読・観・聴・その他
JET LAG『black of my mind』『First』
レモニー・スニケット『最悪のはじまり』
新妻昭夫『ダーウィンのミミズの研究』
アメリア・イヤハート『ラスト・フライト』
スピッツ『三日月ロック』
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(4)
9/30(月)
止んでしまえばとたんに邪魔になる傘のことを、必要がなくなったからこそ置き忘れたりしないようにとずっと思ってる。雨に降られて役に立っているときよりも気にかけている。
帰りに前を通る花屋さんに小さなもみじを盆栽仕立にしたようなのがあって、信号待ちをするたびに気になっているんだけど、今日見たら値段がぐっと下がってた。でも、欲しいのかどうかちゃんと考えてみると、一日中もみじのことを思うことはなくて見たときにしか欲しいと思わないので、それほど欲しくないんだろうと思った。
9/29(日)
昨日の午後、もちーの住むマルホラン堂に行き泊まらせてもらいました。いろんな人と、いろんなことをしたりしなかったり、話したり話さなかったり。雨が止んで良かった。
もっと遊びたいのが叶わずに名残惜しいのもいいものだ(でもやっぱりもう少し)。
TOEIC。テストが始まる前に放送の中断が何度かあって、結果すべてが15分遅れになってしまったのです。久しぶりに座る学校の椅子は自分のときのと変わらないし、だからこそ、その小ささに驚く。男子高校生がこんなのに座って授業受けなきゃいけないなんてまるで拷問だなあ。下駄箱、黒板消しを掃除するクリーナーや、教室の外にあるロッカーに「学校」を感じた。女子トイレマークのついている中に入ると男子用便器があるので一瞬ひるんで入口まで戻ったところへバッタリ出会った女の子から「驚きますよねー」と言われ、続けて「男子校なんですよね」と。それで理由がわかった。男子校に即席女子用トイレを作ったからか、と。疲れきったけど、高校、それも男子校、おまけに試験と3つも新鮮が重なればそれなりに楽しい。
9/26(木)
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』(4)新書館,2002
を読む。最終巻。なにかが壊れたり失われたりするのは突然なのに、その再生に突然はない。劇的な再生なんてありえないと噛み締めた。お菓子の華やぎと別のところで静かに落ち着いた閉じ方が素敵だと思った。
何度も挫折してる『ローマ帽子の謎』が今回は1/3くらいまで来たけど、やっぱりあんまり面白くない。で、山田風太郎『八犬伝』(上)朝日新聞社 に乗り換えた。久しぶりにグイグイ読む感覚を味わって、「あぶら壺から出てきたようないい男」(実は悪者でヘンタイ趣味)がちょうど死んだところまで。「あぶら壺から出てきたような」という表現をするんだなあ。
昨日届いた梅酒はもう少し置いたほうがいいらしい。送り主である両親は最近“南総里見八犬伝”のあたりに引っ越したので、どんな物語なのか興味を持ったんでした。馬琴の原作もちゃんと読めると素敵だろうと思う。
9/25(水)
メモ。移動速度と考えごとの量が比例した。
目は広角レンズよりも優秀に風景を切り取る。カメラを見るのは好きなのに使うことに興味を維持できないのは、そのせいだと思う。
玄関のドアを開ければすぐにキンモクセイの香りがする。香りは階段を下りるまで待っていない。鼻が慣れることを許してくれない。花花はそこかしこに、階段を下りて目の前にすでに3つ、角を曲がるまでにもう1つ。数えている間に駅に着く。
保育園の前を通るとお誕生日おめでとうと歌っているのが聞こえた。私にも今日誕生日の人がいる。宅配便のためにドアを開けるとキンモクセイの香りも入ってきた。荷物が届いたのにかこつけて電話をしよう。
CDをセットして、わざと離れた場所にいることがある。そして聴こえる音に惹かれたら近くに寄ってちゃんと聴く。スピッツ『三日月ロック』の「エスカルゴ」はそうして聴いた。歌詞カードを開くともっといいと思った。何度も何度も聴いて、そのうち一緒に口ずさんでみた。『花鳥風月』もかけた。「流れ星」「スピカ」を歌って、「猫になりたい」を聴いていたら悲しくなった。
9/12(木)
少しずつ読んでいる『基礎フランス語』大学書林。ヨーロッパに対する僻みみたいのが出てくるのには苦笑だけど、日本語にはない定冠詞・不定冠詞の概念についての根本的な説明がなされている。和訳したら消えてしまうその意味あいについて知っておくことはとても重要なのに多くの文法書は説明不足だと思う。この内容について触れ、こだわっていることが逆にこの本がもう店頭から消えつつある(消えた?)理由なのかもしれない。硬派だしとっつき悪いかもしれないけど、でも、これぞ基礎フランス語だ、と思う。易しいとわかりやすいはイコールではない。
お米を買いに行くと、ちょうど地元のこしひかりが玄米あるいはその場で精米して売っていて安かったので買うことにした。お米を作っているおじさんたちが総出で販売しているようだった。とても日に焼けていてかっこいい。玄米を2kgくださいと言ったら、ビニールに詰めてじーっと何かを待っているので、どうしたのかなあと思いながらも軽く話をする。どうやら精米が済むのを待っているようなので、勘違いされたかなと思い玄米のままでいいんですけど、と言ったら、え! そうだったの、ちゃんと確認しなくて悪かったねと言われ、玄米食べるの〜と驚かれた。
レジ待ちしていたら小さい子供がお菓子をカウンタに出した。母親もそこにいる。いったいこの先どういう態度を取るかしらん、と反応をうかがっていたら、あらだめよ〜みたいな口をききながらそのお菓子を回収するでもなくそのまま置きっぱなしのまま。どうやらこれは順番取られたの決定。ちゃんと回収したならば、「お先にどうぞ」と言おうと思っていたのに、そういう素振りも見せないんじゃこちらも頭に来る。さて、母親は私の顔を見るでもなく、子供に(私に)ごめんなさいしなさい、と言っている。私はね、子供だからって割り込み許さないです。任侠だから(?)。で、完全無視。お前が直接私に言え。それが仁義だ(たぶん)。割り込みした子供をたしなめるでもなくそのままにしておいたなら、親が割り込みしたのと同じ。「だらしないですね」と言いたくても言えるはずなく我慢。店員も店員だけどな。
せっかく楽しかったおじさんとの会話が取り消されちゃった気分だ。逆の順番だったら良かった。
ジャクリーヌ・デュ・プレのエルガー:チェロ協奏曲/エニグマ変奏曲(SRCR2643)。グールドのベートーヴェン:「悲愴」「月光」「熱情」(28DC5260)。グールドが弾くとやっぱりグールドだと感じずにはいられない。思わずウハハハと笑ってしまった。
9/11(水)
アメリア・イヤハート 松田銑訳『ラスト・フライト』作品社,1993
を読み終わる。赤道上をたどる世界一周飛行の途中で突如行方不明になってしまった女性飛行家による航空記。結局、途上でふつっと終わっているから、その余韻のなさに突如な感じがいや増す。が、読み物全体としては特別な魅力はあまり感じられず、どちらかと言えば無味乾燥に思えた。
9/10(火)
半年経ってないけど検診に行って来た。先生は「よう久しぶり」。診察では異状なし。でも、さいけつは免れず。先生、加えて曰く、「来週いないから検査の結果はそれ以降に聞きに来てね。夏が終わって夏休みだよーん」と言ってた。相変わらずで……。
注射室で延々待たされた挙句、今までで一番痛いさいけつだった。この下手くそめーっと気を張って呪いつつも痛いし長いし、めまいがしそう…、で、胸を押さえてうつむいていたら「気分悪いの? 大丈夫?」と聞かれたけど、針がささってるってこと自体が気分悪いんでと言えるわけもなく。「気分悪かったら最初に言ってね」とわけのわからんことまで言われた。苦手ですと申告しろってことなのかな、最初から気分悪いわけないじゃん。今回は少し強がってみたんだよ! でもだめだった。
2,590円も払うとは思わなくて、財布の中身が70円になってしまった。6時以降に降ろす手数料105円がもったいないので我慢してそのまま帰宅。
9/9(月)
アメリア・イヤハート 松田銑訳『ラスト・フライト』作品社,1993
が半分くらいまで来たけどあまり乗れないでいる。ただ、8000フィートの上空でコックピットに一人座ってホットチョコレートを飲んだことが愉快だったと書くような、ちらりと見える孤独の影に惹かれて、そういう記述がもっとないかな、と読み進めている感じ。
卵を使おうとカスタードクリーム作ったはいいが量が多すぎた。毎朝パンに多量にぬって食べまくるしかないか。
9/8(日)
レモニー・スニケット 宇佐川晶子訳『最悪のはじまり』草思社,2001を読み終わる。ハッピーエンドが好きなら読まないほうがいいという謳い文句で始まる物語。3人の姉弟が次々と不幸な目にあわされていく「世にも不幸なできごと」シリーズの第一巻。
「彼らがこうむった不幸は“ふりかかる”のではなく、悪者の策略によって陥れられる類のもの。人為的な不幸に対しては知恵をもって戦える可能性もあるわけで、そんなふうに頑張ってる彼らの頭の良さと行動力を読んでいると冒険話だなと思う。描かれる物語は確かに不幸なんだけど、ユーモアを感じさせる文章のせいか、さめざめと嘆く感情は起きない。子供たちに対して「かわいそう…」ではなく、悪者に対して「コンニャロー! なめんなよ!」だね。戦って負けちゃうけど(だから不幸)、戦っているせいか不思議と後味は悪くない。
お伽話で「幸せに暮しましたとさ」で終わるものはあるのに、「不幸になりましたとさ」で終わることがないのはどうしてだろう。不幸に終わる話っていうのがパッと思い浮かばないにしても。「幸せ」が表現するものは一つではないはずだけど、「幸せに暮しました」と書いてしまえば全ての幸せはそこに含まれて、読んでいる人は自分の思う幸せを当てはめて納得するのかな。「不幸になりました」でも同じように自分の思う不幸を当てはめればいい話だろうけど、なんだかあまりに曖昧な感じがしてしまう。
怒りの感情が刺激されると悲しみの感情にもスイッチが入る。落ち込んでいるときに言われた言葉、それはとても長く記憶に残りそうで、ときどき私を苦しめる。
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セガフレード・ザネッティでアフォガードを食べた。冷えた器にジェラートが入っていて、エスプレッソが別添えで付いてくる。エスプレッソをジェラートに注いでいただきます。アフォガードは2回しか食べたことないですが、パニーノ・ジュスト@池袋西武のほうがおいしかったように思います。
ところで隣の席はおばさんの2人組でした。騒がしさではどっちもどっちという感じもあるけど、耳に入ってくる話が結構面白いので、若い女の子2人組より嬉しいです。公民館での文化祭の話をしてました。ドトールやスタバなどが広まって、老若男女問わずその場に馴染んでいくのはいいなと思う。私自身、おばさんになってもおばあさんになっても、どこへ行っても邪魔にされないでいたい。
新妻昭夫(文)・杉田比呂美(絵)『ダーウィンのミミズの研究』(たくさんのふしぎ傑作集)福音館書店,1996。
ダーウィンが40年以上かけてミミズ観察した結果、最後の著作となったのが、『ミミズの作用による肥沃土の形成とミミズの習性の観察』(1881)というもの。“ミミズは地面をかきまわしている”という仮説で、地面の上に置いたものがミミズのフンによって次第に埋もれていく様子を観察していったダーウィン。33歳で牧草地の上に白亜をまき、土を掘り起こしてみたのが29年後の62歳のとき。その昔まいた白亜は見事に埋もれていて、「たいらな土地では、ミミズが石を埋める速度は1年あたり6ミリ前後」と結論を出した。さて、著者の新妻氏はダーウィンが実験をしたその場を掘り起こしてみたいと思い現地に飛んで掘り起こします。結末はここに書きませんが、ミミズ研究もきっと“進化”してるんだろうね。
9/7(土)
昔のように弾けるようになれば、無心になれるものを再び手に入れられることになる。それが欲しくて真面目に練習。今はまだときどき無心になる程度だし、なにしろ表現のための技術がおぼつかなすぎる。無心と感情表現は同時に成立すると思う。
9/6(金)
宇多田ヒカルの入籍がニュース速報で流れていたとかなんとか昼食後の談笑。年が離れてることにええっ15もと驚いたり、時代は年の差と言ったり、反応さまざま。隣席Tさん(既婚)が「でもちょっといいよね、それくらい離れてるの…、憧れない?」と言ったその顔はポヤンとうっとり気味に頬染めててかわいかった。年が離れてるのは気にしないけど、自分より年が上だっていうことに憧れはない。昔なにかの占いでオヤジ殺しと出たことが一度だけあったけど全然当たってないと思った。
とはいえ、工事現場で働いている40代50代のおじさんはやっぱりかっこいい。格好? 服装? にしびれてる気がする。植木職人もいいですね。
9/5(木)
何かをしながら音楽をかけるのが少し苦手。何度か聴いたことのあるものならば別のことをしながらかけたりもするけれど、初めて聴くものは「さて」と構えないと落ち着かなくて、だからCDをセットするまでに気合がいる。それでもこのごろは絞っても気合が出てきそうにないので、逆に眠るときにかけてみることにした。JET
LAG『black of my mind』『First』でしたが何曲目まで聴いたんだか思い出せない。
横になっても眠れなくて、すくっと起き上がってうろうろしてしまうのも寝つきが悪いって言うんだろうか。
9/4(水)
思わず席を立っていたのはウォークマンを聴いていたからだと思う。外からは私に触れられない。でも、私が手を伸ばせば望んだ分だけの世界に触れることができる。そのときの私は目の前の、赤ちゃんと荷物を抱えたおかあさんだけを選んで世界を眺めてた。
永昌源から「サンザシチュウ」というお酒が新発売になったのを電車内広告で見ておいしそうだなあと思ってたところ、「サンザシチュウ レッドラベル」をスーパーで見つけられたので買ってみた。甘酸っぱくておいしい。300mlしか入っていないのですぐに飲めてしまう。
本屋で自分と同じ苗字のが書いている『基礎フランス語』という本が目に止まり、手に取ってみると中は旧かなづかい。昭和15年発行というのを見ればそれもうなづける。旧かなで読みにくいものの、内容の硬さとユーモアのバランスがとても面白いので買ってみた。旧かな、かつ、ユーモアっていうと熟語本位斎藤英和を思い出すけれど、この時代のインテリってこういう感じの人が多いんだろか。
入門書だからと云つて、誰にでも平易に分かるやうにとはちと無理な註文である。(はしがき)
第一講は「フランス語を學ぶに就いて」。フランスの地理的位置の解説から始まってその位置関係からくるフランス人気質を分析し、フランス語の明晰さの理由について述べている。
第二講の「フランスの文字とその讀方」。mamanを例にとってこんな感じ。
それでママンと日本風に三音に發音したらフランス語ではなくなります。ママンとニ音に發音し、しかも最後にンの音が殘つてはいけないのです。云つてみればあの新聞漫畫のフクちゃんが折に觸れて發する「イヤンー」と云ふ鼻聲のアンです。おかあさんのことですから折角甘つたれて大いに鼻聲でママンとやらなくてはいけません。またたとへばFranceとあつたらフランースと此處でも甘つたれて、さて最後のceはcがセeはエだからセかと云ふとさうは行きません。(p.6)
9/3(火)
グールドのバッハ:インヴェンションとシンフォニア(SRCR9171)。確認したい一曲だけ聴くつもりだったのを、いつのまにか一枚聴きとおしてた。ユニークな曲順のおかげだとしても音楽を聴くことができたのが嬉しい。ちゃんと聴けるじゃん、こう聴けばいいのか、こんなふうに聴ければいい。CDをセットするまでが気合がいる。アイロンがけの前のように。
9/2(月)
大切なことを書き忘れてた。昨日、散歩しているときに薬局の前でサトちゃんの乗り物を見たのです。サトちゃんムーバーと書いてあってムーバーっていうのか!
と興奮。
それにしても、佐藤製薬にサトちゃんハウスというコーナーがあったり、ムーバーのことまで載ってるとは思わなかった。サトちゃんの歌ってなんだろう? と開いてみると。悶絶。「サト子ちゃんムーバー」まである……。
9/1(日)
江戸川橋にある関口フランスパン パティスリーダノワーズ店(文京区関口1-18-6)へ行った。明治になってキリスト教が解禁されやってきた神父のペトロ・レイ師が孤児院の子供たちに職業を身につけさせようと子供たちの中から一人を選んでフランスに送りフランスパンの作り方を学ばせ、彼の帰国後1888年に小石川関口教会(現カトリック関口教会)製パン部として創業。関口フランスパンは文京区関口に3店ある。
小奇麗で清潔感のある店で、気取ったところがなく値段も良心的。買ったパンを店内のカフェで食べることもできる。売っているパンを食べてものすごくおいしいと思ったことは実はあまりなかったんだけど、ここのパンを食べて意識を改めた。電車に乗ってもまた来たい。平日は朝の7時から開いているなんて近くに住んでいる人や勤務先のある人がとても羨ましい。
ここから早稲田方面へ歩く。早稲田駅に近いバオバブカフェ(新宿区戸塚町1-101)でひとやすみ。入って奥に広くて禁煙。コーヒー以外にも飲み物メニューが充実していて迷う。軽くごはんも食べられるし甘いものもおいしそう。おいしいし落ち着くし店員さんの感じもとても良いので、ここも自分の生活圏内にあったら嬉しいのにと思った。
甘泉園公園を抜けて面影橋、目白不動、鬼子母神。そして池袋まで。いつも電車賃をケチろうとして歩く距離が伸びる。
本当は少し無理して散歩に出た。自分から楽しみを見つけて活動しようとする気力に欠けている。充実した時間を過ごしたので結果としては悪くないけど、本来、無理と楽しみは結びつかないことなんだから、極端な無理をして楽しみに行くことはしないでいようと思う。すべてに対して受け身だったり待ちの状態だとわかっているし、早く自分でなにかを探しに行かないといけないような気がしてあせっている。ただ、楽しみを見つけにいく気力はないくせに、自分に苦行を課したりすることばかり考えたり、実際そうしてつらくなっている。バランスが取れていない。こんなふうに書いていれば、ふとまた積極的に本を読みたくなったり映画をみたくなったり音楽を聴きたくなったり、そんな楽しさに気持ちが向くような気がするし、それを望んでいる。おまじない。
自分が今何をしたいかは知っていてその理由もわかっているけどそれを言うのはガラじゃない。