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日記のフリindex

2004.112005.01

日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0412.htm#yyyymddd


2004年12月

その他


12/30(木)
KinKi Kids コンサート@東京ドーム。アリーナBブロックの端のほうで、サイドステージに対しては実質1列目になるという考えられない席でした。こんなことに運を使ってしまってー。サイドステージに彼らが来ると本当に手が届きそうでウワー。縦横無尽に動いてくれたのはいいんだけど、バラバラに左右に分かれて動いたことが物足りない。KinKi Kidsのコンサートなのだから、二人でいるところを見たいからだ、と気付いた。ジャニーズのコンサートってどんななんだろうと思っていたけれど、普通だった。逆に、案外みんな冷静なんだな、と思ったくらい。私自身、もっと熱狂しちゃうかと思ったけれど、終わってみると興奮状態ではなくしんみりした気持ちになった。彼らは本当にプロなんだなという隙のなさ、そつのなさ、自分たちのことを良くわかっている、というそのことに圧倒されて。彼らはみんなを見ているけれど、私たちから遠いように、彼らにとっても遠いんじゃないかな。みんなに対して歌う歌が届いている実感は、彼らは得られているんだろうか。彼らは私たちを楽しませようと力を尽くす、その結果、私たちが喜ぶ。でも、彼らが心から「楽しい」と思うことはあるのかな、「楽しませる」ことだけに頑張ってしまってちゃんと楽しんでくれているのか、とてもとても気になった。彼らに心の安らぎはあるのかな。1人1万円落とすとして、1日に5億6億のお金が動く、その重さを彼らが知らないはずはなくて、求められる自分を見せる、その立場、自覚。純粋な甘い気持ちで楽しめたら良かったのに、もちろんそういうつもりだっ たのに、なんでこんなに切なくなってしまったのか、自分でもよくわからない。彼らは本当にプロなんだな、ただただそう思った。

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12/29(水)
しばらくお酒を飲まない間にワインをグラスに3杯で酔っ払うからだになってしまった。ショック! が、醒めるのは相変わらず早い。

魚住くんシリーズを3巻まで読んで、あまりにつらくて中断してしまった。でも、先に進んだほうが楽になれるのだろうか。

麻耶雄嵩『螢』幻冬舎,2004(→Amazon) を読み終わる。“普通の展開”である、「登場人物たちにはわかっているけれど、読者にはわからないこと」が知らされるのではなく、その逆、「読者にはわかっているけれど、登場人物たちにはわからないこと」が知らされるのには驚いたし、面白いことは面白い。でも、読者にわからないことが知らされるほうが甘美に思えます……。


12/28(火)
スカルラッティの曲はおあずけだ、と言っていたのにジャケットに惹かれて買ってしまった。ニコラウ・デ・フィゲレイド『スカルラッティ:ソナタ集』(→TOWER)、それから、アンナー・ビルスマの限定盤BOX(→TOWER)も。

スカルラッティのほうは、解説書に載っているフィゲレイドが煙草を手にしてる写真がCDにもプリントされていた。かっこいいなあ、この人。演奏もなんだかはじけている。


12/27(月)
フランソワ・デュペイロン『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』(フランス・2003)(→公式サイト)。しつこく描けばいいって問題ではないけれど、なにを伝えたかったのか良くわからなかった。女の子のことも、親子のことも描きたい、一緒に過ごした時間にも重きを置きたいし、ロードームービー要素も入れたかったということなのか、散漫な印象を受け、結局は物足りなかった。

以下蛇足。トルコに入ってモスクが見えてきたときには胸が震えた。サバサンドにニヤニヤ。イブラヒムおじさんの信仰宗教、あれは確かメブラーナ教。

映画はさておき、映画の予告編一番最初でシャネルNo.5のCMのロングバージョンが流れたのが嬉しかったです。ニコール・キッドマンがここではひたすら美しくかわいらしい(→CM)。監督は、バズ・ラーマンでした。


12/26(日)
法月綸太郎『生首に聞いてみろ』角川書店,2004(→Amazon)を読み終わった。語られてみれば陰惨でやり切れない事件のはずなのに、案外アッサリとした読後感だったのをどうしてだろうと少し考えていた。たぶん、亡くなった人たちが言葉で何も残さなかったからなのではないかと。事件のあと彼らによって語られたことがないということ。日記や手紙はおろか、誰かへの伝言、誰かとの会話が明らかになったとしても、それは「その人が残したもの」ではなく「誰かの伝聞」になってしまう。いや、亡くなった人たちだけではないな、「殺人者の告白」もなかった。そうか、それが物足りなかったんだ。法月綸太郎の『頼子のために』がいまだに私の中で印象的なのは、「殺人者の告白」とあの幕切れのせいなんだと改めて気付いた。


12/23(木)
マノエル・デ・オリヴェイラ『アブラハム渓谷』(ポルトガル=フランス=スイス・1993)。189分、頭を使って観た。感覚的かつ論理的。エマのちょっと顎を上にあげてみせる表情の嫌ったらしさ! いけすかなさ! カルデアノの聡明さが良かったな。

ほかには、カーテンを洗ったり、冷蔵庫を拭いたり、『フィガロの結婚』を聴いたり、『KinKi Kids Single Selection 2』(→Amazon)を流したり、ピアノの練習に行き詰まったり。


12/21(火)
ニュースを見て知った。そっかー冬至だったんだー。柚子のお風呂も、かぼちゃもなし。お猿さんでさえ柚子のお風呂を用意してもらったというのに。

花村萬月『父の文章教室』集英社新書,2004(→Amazon)を読み終わる。まとめて読むことができてよかった。

王林を買ってきて食べた。めんどくさがりなので、りんごの皮をむくなんていうのはニュースです。


12/19(日)
読めるだろうかと思ってたのに、読み始めたら早かった。綾辻行人『暗黒館の殺人』上下 講談社ノベルス,2004(→Amazon)。もったいぶった文体や語尾の特徴の繰り返しが多少しつこい。でも、あれだけの厚さの上下本を一気に読めたのは、やはり面白かったから。奥さん作の『屍鬼』を思い出す。トンデモに近いものも合理的に説明できてしまえば、それは合理的な世界の中に入ってしまうのかも。要はいかに納得させるか? 本格ギリギリの範囲に踏みとどまっている作品……などと、本格の定義をしないままに言ってみたりして、でも、そんな印象。逆に、自分の中の線(範囲)に気付いたり、本格の枠というものを改めて考えたりもした。読んでいる間だけ。


12/18(土)
クァク・ジェヨン『僕の彼女を紹介します』(韓国=香港・2004)(→公式サイト)。ラストシーンの驚きで、「え、この物語はまさか『猟奇的な彼女』の前の物語?」と気になり、『猟奇的な彼女』を観直してしまった。結果、そうではないことがわかったけれど、つながらないのであれば、あのシーンは別にいらないと思う。つながるのであればあのシーンは素敵だったのに。せつないシーンでX-JAPANの曲が流れて興ざめした。日本語の歌詞がダイレクトに入りすぎて気持ちを乱される感じ。物語は思ったよりかなりシビアな展開で、チョン・ジヒョンの演技は『猟奇的な彼女』のときと比べてより切なく胸に迫り素晴らしかった。だからこそ、『猟奇的な彼女』と同じテーマ(死んだ人を思っていつまでも悲しく思わないでいてほしい、と死んだ人は願っているのではないか)ならば、人が死ぬところを見ないで済むほうがいいな… …と思った。


12/17(金)
花村萬月『父の文章教室』集英社新書(→Amazon)(→集英社の解説)がやっと発売されたもよう。買いに行こう。

一番最初にクラシックのCDをかけるとスピーカーから音が出なかったりジージーいったりして、ほかのクラシックCDに替えてもだめなのに、例えば椎名林檎だとビシッと鳴る(オリジナル・ラヴでも同じく鳴る)。仕方がないのでとにかく一番最初は椎名林檎の「正しい街」で音を通して次から、と。でも、『グルダ ノン・ストップ』(→Amazon)は大丈夫だった。内容がクラシックだけじゃないからですか? などと、冗談みたいなことを思ったりする。帯域とかの問題? よくわからない。


12/16(木)
美内すずえ『ガラスの仮面』(42)白泉社(→Amazon)。何年ぶりだろう。昔雑誌で読んだ「亜弓さん失明の危機」までどれくらいあるのかしらん。それすら随分前だというのに……。

バルテル・サレス『セントラル・ステーション』(フランス=ブラジル・1998)(→Amazon)。ドーラは、追手から逃れるためにジョズエに同行したんだと思ってた。ジョズエの母も父もお互いを待っていたことが届かない手紙でわかったし、兄弟ともうまくやれそうだという判断からジョズエを置いていったんだろう。でも、一つ前の家族の状態が現実だとしたら彼女はどうしたんだろう。その時のジョズエの表情をドーラは見たか? 彼の母が亡くなり、父が生きているとなれば心情からは届けたい。でも、血縁者のもとへ届ければいいってものでもないし、自分が一緒に暮らせばいいってものでもないんじゃないか?人に売ってしまうのも、人のところへ届けるのも、その人の人生への関わりかたからすれば、そう違いはないような気がした。人の人生を引き受けるって「人助け」の範囲を超えるものだし、そんな簡単なことじゃないと思う。じゃあどうすれば良かったかなんて、私にだってわからない。ただ、丸くきれいに収まったようなものを見せられたって、それはたまたまラッキーなだけだよ、とか、ドーラの自己満足だよ、などと、なんとなく醒めてしまったのだった。


12/15(水)
『すいか』のDVD(→Amazon)を最終話までみおわってしまった。共同生活に向いていないくせに(だからこそ?)、共同生活ものに弱いんです。ところどころ舞台っぽいところがあってそれも面白かったな。

ビョルンソン 山内清子訳『日なたが丘の少女』小学館(→Amazon 品切れ)を読み終わった。先日、紀伊國屋新宿本店の「ふるほん文庫やさんコーナー」に千円超で置いてあって、読みたかったけれど千円超も出せなかったので図書館で探したらあっさりあった。なんだか良くわからない話だった。物語の中心はいかに少年が自分の弱点・問題点を乗り越えて、周囲に二人のことの理解を得てゆくかってことか。数度会って以来、特に過程もなく二人は好きあってしまってるし、なんとなく置いてきぼりなまま物語が進む感じだった。

『ブラック・ジャック』を豪華版16巻まで読んだ。これですべての作品を読んだことになるのだろうか。核心が手術シーンにあると物語の結末がわからないものもあったけど仕方がない。あんな分量だからもっと時間がかかるかと思ったのに読み出すと早かった。飛ばすからかしらん……。


12/13(月)
今やっているショパンのワルツが終わったらこれはどうですか、と、エルガーの「愛の挨拶」。チェロやバイオリンの曲だと思ってた。


12/12(日)
イ・ハン『永遠の片想い』(韓国・2002)(→Amazon)。

パパは素敵だけど足りないものがある。今まで「もしかして」と思わせておいたスインの気持ちが明確になるこのシーンは見事で切なかったなあ。

気持ちの矢印が時の経過とともに逆方向へ向いた。(ギョンヒ→)ジファン→スインが、(スイン→)ジファン→ギョンヒへと。ジファンの気持ちの変化前は、ギョンヒの気持ちがうまく隠され、変化後は、スインの気持ちが隠される

人の気持ちが変わるのは仕方のないこと。でも、ギョンヒは最初からずっと変わらないままだったんだ。自分の気持ちを託した手紙をギョンヒ経由でスインに届けようとするジファンは、男らしくない。女心がわかってない。おまけに、ギョンヒがそれを見るだろうと想定した内容でしょう。自分の好きな女の子が、他人宛の手紙を見るだろうと思うなんて嫌な感覚だ。ちょっと頭に来た。

韓国では写真に特別な思いがあるんだろうか。『八月のクリスマス』『ラスト・プレゼント』、それにこの映画。写真と手紙は、「そこに存在しない」せつなさを表現するには必要な道具なんだなと改めて思った。


12/10(金)
西原理恵子『上京ものがたり』小学館(→Amazon)を読み終わる。かなり大変な上京生活が、シンプルな絵とシンプルな文章で描かれているため大変そうに見えないけれど、やはり淡々と壮絶だと思う。どこかさみしい。

『すいか』のDVD(→Amazon)を少しずつみている。TVで放送していた時は、第4回から見始めたんだとわかった。改めて絶妙な配役だなあと感心する。笑わない回はなく、じーんとしない回もない。そこかしこが素晴らしい。


12/8(水)
村山由佳「天使の梯子 最終回」小説すばる 11月号」(→Amazon)。悪くはなかった。自分の心のうちをモノローグで語っていた第2回までと違って、今回は対話が多くなる……というか、やっと“始まる”展開。対話の力が強すぎるなあと少し思った。モノローグは自分対自分の会話だけど、誰かがと対話が始まれば自分との対話よりもわかりあえないと思ってしまうので。でも、10年前の出来事が一晩の対話で魔法のようにまろやかになるわけではなく、ただ、10年という時間が過ぎたのだという確認と、言葉という共通の“形”にしてみれば誰かと一緒に大切にしまっておけるものだという気持ちを得られたんだから、それでいいのか。そうだな、それでいいのかもしれない。


12/7(火)
フリードリヒ・グルダ 田辺秀樹訳『グルダの真実 クルト・ホーフマンとの対話』洋泉社(→Amazon 品切れ)を読み終わる。面白かった。


12/6(月)
ピアノ。次は平均律の5番を選んでもらったほか、「何かやってみたい曲ありますか。なんでもいいです」と聞かれた。先生はどんな曲を選んで欲しいんだろうと思いつつ、なんとなく予想していた質問だったので、「シューベルトの即興曲の1番……」と答えてみた。

「2番はやったことありますか」「2番と4番はあります」「1番はちょっとさみしいですね……。来年にしましょう!」と言われてしまった。先生は基本的に明るい曲が好きで、年末年始ということもあり余計に明るい曲をやりたい模様。結局、ショパンのワルツをもう一つやることになった。「1(Op.18)か4(Op.34-3)か5(Op.42)、どれでもいいです」(好きなのは5だけど、今年中で何とか形になりそうな長さなのは4だなあ……)。ショパンのワルツはいつまで経っても指が慣れる感じがしなくてどうにも苦手。

自分でやりたいと思う曲は思い入れがある分、だめだーという落差も感じやすい。実際、以前「なにかやってみたいものありますか」と聞かれたときには、「ブラームスの間奏曲Op.118-2……」と言った挙句、練習すればするほど泥沼で、ほんと落ち込んだ。酸いも甘いも、じゃないと弾けない感じ。自分がお子ちゃまに思えて仕方なかった。そういう意味では、先生が選ぶものをやっていくほうが精神的に楽だったりもする。

「平均律と交互に、来年になったらスカルラッティもやりましょう。何がいいか考えておきます」とも言われた。スカルラッティの曲を聴いたことがないけれど、自分で弾いてみて初めて知る楽しみをとっておこうと思う。


12/4(土)
原リョウのサイン会@新宿紀伊國屋。読み終わることができたので、紙に感想を書けて良かった。紙を渡して待っている間に隣にいた編集の人? に読まれるのが恥ずかしかったけど。10年前にも「ありがとうございます」しか言えなかったし、今回もそうだった。細いのと太いのが1本になったサインペン(名前忘れた)を使って、細いほうで読者の名前を、そして、くるっと回して太いほうでご自分の名前をさらさらーっとサイン。でも、その回転のせいで右手の親指と人差し指の付け根のところにサインペンが付いてしまっているのがとても素敵だった。

2日に書いた友達からの誘いは「原リョウのサイン会に一緒に行こう」。「そんなに好きだったっけ?」とたずねると、「○○が『私を殺した少女』をくれたじゃん」と言われた。でも、まるっきり覚えていなかった。お茶しながら、くだらなくて楽しい会話をして、サイン会が終わったらお開き。軽い囚われの身の彼女は、「今いちばん何がしたい?」の問いに「デパートを一日中見て回りたい」と答えた。ただ黙ってのんびりお茶を飲む、そういう時間も含めて会話というものは成り立っている。別れが惜しいくらいのほうがいい、なんて嘘ぶくにはやっぱり短い時間だった。「話したりないね」と言えるほど、彼女の前ではずいぶん素直になる。


12/2(木)
7月頃、久しぶりに電話をもらったときに、会うのを断ってしまった友達。私の具合が良くなったら連絡をするね、と言いながらタイミングがつかめなくて結局連絡じまいなのが私のいつもの薄情パターン。ところが彼女から、土曜日に会おうよ、とメールが届いた。私以外の人はいつも絶妙なタイミングで連絡をくれる。お互いに相手のことを「毒舌なやつ」と思っている間柄。一緒の会社だったときには、仕事で連絡をするついでにミステリの話をしたり、社内便を使って本の貸しかりっこをしていました。

夏には2組の人たちと会う機会があって、少し前にどちらとも再度会うことがあったときに、申し合わせたように「顔色が良くなった」だの「元気そう」だのと言われた。ちょっと驚いて面白かった。「夏には言えなかったけど……」と付け足しがあるし。うち1人には、「夏に、貸していた本を全部返された時には大丈夫かな……と思った」とまで言われて(死ぬのではないかという不安を持たせた?)、そんなにひどい顔してたんだなあ、と。確かにあの時は焦点を合わせるのがちょっとつらくて、人の顔を見るのに疲れてました。rさんどうもありがとう。

12月に入って今年を振り返ってみると、精神的に辛かった反面、人に恵まれていたと思います。どうしようもない自分の頭の中に疲れたのは確かとはいえ、それを理由に(?)人と無理に会ったりしなかったし、それを理解してくれた人たちに感謝しています。私の周りの人たちはみな優しい。疎遠になった人たちもいるけれど、それはそれでそういう流れなのだと思う。できないことはしなかったり、したいことだけをしたり、“いつも以上に”そういうふうに過ごせました。今のところ、「焦燥感」からは逃れられているような気がします。


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