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読後メモ index

2007.032007.05

日記の フリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。

日付ごとにアンカー付けています。

e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0704.html#yyyymmdd


2007年4月

その他


4/30(月)
2つのケーキ屋に行く。
レゼルブランシュは明るい雰囲気、ブロンディールはシックで落ち着いた雰囲気の店構え。どちらの店でもガトーフレーズを買い、食べ比べてみた。レゼルブランシュのは、卵の風味が感じられる反面、すこし肌理が荒い。ブロンディールは肌理も細やかで、クリームも濃い。個人的にはブロンディールが好み。
ブロンディールにはフランスの伝統的焼き菓子も充実しているのが魅力的だった。

4/29(日)
スポーツジムは祝日プログラム。午前にも午後にも毎週出ている先生が担当しているクラスがあったのですべてに参加する。こんなに運動することは滅多にないな。

4/25(水)
長山靖生『千里眼事件』平凡社新書
明治時代に「超能力者」があらわれ、(彼女たちの)超能力を科学的に証明しようと学者たちが実験を行う。その事件の過程と顛末。
超能力を信じたい私でさえ、これは明らかにおかしいんじゃ? と思うような「超能力」、そして実験の杜撰さ。著者もそのあたりは途中途中で自説を語っているけれど、それは押し付けがましくなく、あくまでも事件の顛末 を冷静に述べることに重きを置いている。最初は、超能力のあるなしがハッキリするのかと思っていたし、超能力に興味を持って読んでいたのだけど、読み進め るうちに興味はむしろ学者たちの足の引っ張り合いとか周囲の思惑、それらに向いていった。
超能力という証明しようとしてもしにくいものが、それに絡む人たちの思惑によってさらに証明しにくくなっているといったふう。面白かった。

4/24(火)
セキセイインコを探す貼り紙を見た。4月15日にいなく なってしまったとのこと。「むかしむかし……」と語り始めると興味深く聞いている、と書いてあったかなあ。間違ってるかも。 来週また確認してみよう。インコの特徴が細かく書かれていて、写真ももちろん載っている。こういう貼り紙を作って貼るということは大変だと思うのに、せず にはいられないんだろう、それほど大切で。
佐久間淳一『はじめてみよう言語学』研究社 を読み終わった。

4/22(日)
連休中遊びに来ないか、と親に電話をしたら、別にいい、と言われた。こっちに来たらこういうことをしよう、という提案をしたんだけどだめだった。じゃあ遊 びに行こうかな、と行ったら、なんか忙しいから来なくていいよ、と言われた。週に一度電話をしたり、かかってきたりして、その時は結構長く話す。でも、た まには顔を見たいのだった。どうしたら心を動かせるのか、わからない。
この間は電話の最後に「じゃあ元気でね」と言われて、その言葉にちょっとドッキリした。お別れみたいでいやな感じがして、よっぽど電話をかけ直そうと思った。きょう普通に話せたから大丈夫なわけだけど。

4/21(土)
フランス語の勉強に関して。不定冠詞と定冠詞についてはさらっと説明している文法書も多い。とくに、初学者向けのものは。奥が深いことなので、どこまで説明すべきかということもあるのだろう。
さて、ある文法書を読んでいて日本語に関する記述が面白かったので、ちょっと長くなるけれど書き抜いておく。下記の MEMO のところです。

名詞 livre 「本」は、不定冠詞 un をつけて un livre とすると、「何でもいいけど、何か1冊の、またはあなたの知らないある本」ということになります。それに対して、le livre と定冠詞 le をつけると、「例の、その、すでに話題になった本」という意味合いに決まります。
(中略)
例えば、昔話のはじまりで「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」というのがありますね。この場合、「おじいさん」と「おばあさん」は初め て出てくるので、まだ知られていないという意味合いを込めて、それぞれ un vieux、une vieille と不定冠詞を用います。
ところが、続いて「おじいさんは山へ…」「おばあさんは川へ…」と話が展開するときには、「おじいさん」「おばあさん」は既 に出てきたものです。そういう場合には、それぞれ le vieux、la vieille というように定冠詞をつけるのが自然です。

MEMO 「が」と「は」 冠詞のない日本語では、「未知」「既知」は表現できないのでしょうか。上のおとぎ話の例で見ると、最初は「おじいさんとおばあさんが」と いうように助詞「が」で受け、次に「おじいさんは」「おばあさんは」と助詞「は」で受けています。実はこの助詞「が」と「は」が、それぞれ「未知」「既 知」の標識として役立っているらしいのです。
石野好一『フランス語の入門』白水社 pp.34-35

4/20(金)
石崎秀夫『機長のかばん』講談社文庫
機内食を食べるとき、機長と副操縦士では異なるものを食べる。ホットミールとコールドミール。食中毒になってどちらもやられてしまっては大変なので。ベテ ランの高齢の機長ともなると、二度なら二度ともホットミールを選んだりして、結果、副操縦士はどちらもコールドミールということもあるという。でも、コー ヒーだけはいつもホット。コーヒーにあたることはないから、だそうです。
などとやわらかい話もあれば、飛行に関する専門的な話もあって、もりだくさんの内容。
鳥が飛び立つ時は必ず風に向かってだ、というのは知らなかったなあ。

4/13(金)
鏡リュウジ『占いはなぜ当たるのですか』講談社文庫

4/12(木)
髪を切り、少し遠回りしてケーキを買う。

4/11 (水)
江國香織『ぬるい眠り』新潮文庫
短篇集。 「ラブ・ミー・テンダー」「ぬるい眠り」「放物線」「災難の顛末」「とろとろ」「夜と妻と洗剤」「清水夫妻」「ケ イトウの 赤、やなぎの緑」「奇妙な場所」
長編が面白く思えなくなってから手に取ることがなんとなく気恥ずかしくもなり、興味が薄れていた。でも、やっぱり昔好きだった人は気になるもので、短篇だし、読んでみることにした。
作品が発表順に並んでいるのは今回よかったことのひとつ。夫婦関係を描くのにも、変遷があるのだなあと思う。
「ラブ・ミー・テンダー」には、いやらしい感じがなかったころの純粋な江國香織がある。なつかしい感じ。素直に、ああいいな、と思った。
「災難の顛末」での、追いつめられかたと気づいてゆく描きかたが素晴らしくって唸る。「夜と妻と洗剤」は、もしかして著者の中で一番短い作品なのだろう か。夫婦の危機を、妻がなにを思っているのかはわからないまま夫の側からだけ描いたというのに、物足りなさはない。こんなに短くてもこれ以上足せない物語 だろう。これが夫婦。

4/9 (月)
嶽本野ばら『変身』小学館
 著者にしては毒や刺激が少なくて、それはそれで軽く読めて良い。いくら外見が変わっても変わらなかった内面を女性には看破され。でもその経緯があって彼の 心は変わったかもね。

4/8 (日)
桜はこの一週間で散ってしまうと思っていたのに、案外残っていてきょうもお花見の人が多そうだった。なんとなく駅がわさわさしていて、スーパーに花見用の ものが売られていたりするから、という、ただの雰囲気での推測。
選挙に行ってきた。開票速報は予想どおりでつまらなそう。

4/6 (金)
恩田陸『中庭の出来事』新潮社
この本みたいなやり方で物語を描かれると、「読者であるあなたは、あくまでも観客なのですよ」と、虚構と現実の境界線をあまりにもクッキリと見せられた気 がしてつまらなかった。物語に入れない読者なんて全然楽しくないよ。本と読者の関係は、たしかに演劇と観客の関係なぞらえることは可能かもしれない。で も、こんなやり方で演劇を本に取り込んでしまうと、お互いの魅力を消し合ってしまっているように思える。
4/3 (火)
富田正樹『信じる気持ち はじめてのキリスト教』日本キリスト教団出版局
宗教絡みの本は電車の中では読みにくくて、読み終わるのに時間がかかった。
イ エス・キリストや聖書のついての基本的な知識はもちろん書かれているけれど、キリスト教を信じている人 の心、たとえばどういう気持ちでキリスト教に接しているのかということにも焦点が当てられているのが興味深かった。キリスト教に限らず、なにか信仰を持っ ている人というのがすべてこうではないだろ うけれど、ここには「信じる気持ち」のひとつのかたちが書かれている。それがまた妄信的ではなく、一般の人が抱く素朴な疑問に対しても率直な回答をしてい る点もよい。
でも、ひとりひとりが抱く神のイメージは異なっていていいとはいうものの、Wikipediaで日本基督教団をひらいてみると… …。現実はいろいろややこしいんだね。
キリスト教とわたし。
中 学時代に友達でキリスト教信者の子がいて新約聖書をくれたのです。読んでみたらこれがはまってしまった。しばらくの間は熱にうかされたように精神的にどっ ぷりだったけれど、少し経ったら極端に冷静になった。
大学が一応キリ スト教系の学校で、入学式のときに礼拝(?)みたいのがあって、お祈りをしたあとに後ろの席にいた子が祈りの最後に「アーメン」て一緒に唱えていたのが印 象的、ていうか、言い慣れてるな、うらやましい、と思った。そのほかはとくに宗教色のある学校ではなく、礼拝堂のことをトイレだと思ってた友 達もいた。
大学の一般教養でキリスト教概論を取る。興味ではなく純粋に単位のひとつとして。実際に日曜 礼拝に参加しレポートを書くという課題があったので、渋谷の教会に行ってきた。初めて来た人は名前を呼ばれるんだよね、あれはなんか困った。今日だけなの に すみません…て感じ。
4/1 (日)
桜並木の続く川沿いを散歩した。もちろんいつもより人がたくさんいる。シートを広げてくつろいだり、バーベキューをしたりしている人もたくさん。
私はやっぱりバーベキューと鍋は苦手だな……と思いを新たにしながら、それはどうしてなのだろうとまた考え ていた。

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