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續・辭書ヲタクへの道


今回は、私の持っている2冊の雑誌から、辞書についての記事を拾ってきます。だいぶ過去の雑誌なので、今の辞書の状況とは違っているところも多いと思いますが・・・。

引用してくる雑誌は、
「BOOKMAN」#15、 1986 (トパーズプレス) (先日お亡くなりになった、瀬戸川猛資さんの編集だったのですね)
「CREA」1993.11月号 (文藝春秋社)
です。


「BOOKMAN」で、「日本六大辞書列伝」として挙げているのは、次の辞書。「ベスト6」というより、「さまざまな意味で日本出版史上特筆さるべき大辞書」という観点から、とのこと。

大槻文彦著『大言海』冨山房
「日本の国語辞書の親本 すべてはここに始まる」
三省堂編修所編『広辞林』三省堂
「百科的国語辞典の草分け 現時性は郡を抜く」
新村出編『広辞苑』岩波書店
「超の字のつくベストセラー 売れ行きの秘密は?」
日本大辞典刊行会『日本国語大辞典』小学館
「日本最大の国語辞典 詳しすぎて困ることもある」
諸橋轍次著『大漢和辞典』大修館書店
「一度は手にしてみたい 史上最大の漢字の辞典」
吉田東伍著『大日本地名辞書』冨山房
「十三年間かけて一人で完成 明治の超人が書いた大地誌」

『広辞林』と『広辞苑』との相違はこう書かれています。

『広辞苑』は、”岩波のシンボルである伝統の名辞書”というのは、実は違うらしいのです。岩波は、戦後この分野に乗り出すにあたり、戦前に博文館から出ていた新村出『辞苑』の出版権を買い、昭和三十年に 『広辞苑』 と大型化して出したのだそうです。”岩波のシンボル”というべきは、小型の『岩波国語辞典』だそうですよ。

そして、『広辞苑』ばかりなぜ売れるのか、と理由の推測を三つ挙げています。

  1. 「断然、他を圧して中身が優れているから」 → そして、『広辞林』 『学研 国語大辞典』と次の言葉をひきくらべています。「醇化」(じゅんか)「容喙」(ようかい)「憑依」(ひょうい)「乖離」(かいり)「韜晦」(とうかい)。そして、『広辞苑』 の解釈を、「意外にそっけなく、不親切」 と述べています。
  2. 「項目数が多く、使いやすくて便利だから」 → 人名まで載せて、百科項目は圧倒的としながらも、疑問を投げている。表音表記である(「たづな」を「たずな」、「つづく」を「つずく」と表記しているという)ことや、漢字も思い切った俗字を使う場合がある、と。
  3. よって結論は、第三の理由。「天下の岩波の出版物だから」。これが、案外、正解ではないだろうか。と。

ユニークな辞書を1冊。『学研 国語大辞典』(学研)。「固有名詞や古語を大胆にカット、標的を現代語のみに絞り、用例を徹底して掲げる」といったもの。その用例の元が、尾崎紅葉から司馬遼太郎に至る三五〇編の小説をはじめ、評論、随筆、戯曲、詩歌、俳句、新聞記事などからとられている。例えば、「清冽」。「美しい水草をなびかせて、--な水の走っている溝があった<三島・金閣寺>」といったように。そして、例えば、「世界」という見出し語の後には、「--観」や「--記録」など、頭に「世界の」つくものは載っているけれど、この辞書は「銀--」「新--」といったように、挙げていっているという。

私はこれで、この辞書を買ってしまいました。


お次は「CREA」から。「鬼気迫る辞書の名品10選」という記事を、武藤康史氏が書いています。その10選は、次のとおり。コメントがついているので、せっかくですから一緒に引用します。

『三省堂国語辞典』(三省堂)
日常的なことばを確実にすくい上げる点、また新しいことばを速やかに拾い上げる点でこの辞書の右に出るものはない。ほかのどんな辞書と比べても、これにしか載ってない語がゴロゴロ見出せるだろう。語釈の平易さにも脱帽だ。単なる平易さではなく、考えぬかれた平易さに圧倒される。
『辞林21』(三省堂)
国語辞書としては新語、特に外来語をより採り入れている点が評価できる。百科事典としては、たとえば都道府県名を引くと全市町村の面積・人口までが一覧表になっている、というような詳しさが頼もしい。書名や人名の項目が長く、踏み込んだ記述に間間驚かされる(映画の項目には首をかしげるものもある)。百科事典的要素のために横組みが生きていて、見やすい。
『新潮現代国語辞典』(新潮社)
語釈はちょっと甘いと思うときもあるが、この辞書の命は例文だ。漱石や鴎外や荷風や芥川や、そういう人の作品からどしどし引いてくる。たとえば「たいらげる」を引くと「天婦羅を四杯−げた[坊つ]」と「坊ちゃん」の例の場面だ。それが楽しいし、昭和二十年までの文献に限られているから、この辞書に頼っていればおのずから古風な文体感覚が身に備わるだろう。現代風な文章を書くなんてのは、そのあとでいいのである。そう言いたくなる人がたくさんいる。
『日本語逆引き辞典』(大修館書店)
レジスタンス→タップダンス→茶箪笥→フラダンス、のように末尾からの五十音順で並べた辞書。同義語が並ぶことにもなる。この辞書では、同じ末尾のことばのグループを囲って別置してあるからなおさら便利で、たとえば「笑い」を見ると「愛想− 薄ら− 薄− 大− 思い出し− 御− 豪傑− 忍び− 空− 高− 追従− 作り− 泣き− 苦− 盗み− 馬鹿− 独り− 含み− 福− 物−」と一覧できて痛快だ。末尾を漠然と記憶することばを呼び出してくれるからありがたい。
『新明解国語辞典』(三省堂)
鋭く、厳格で、念押しが多い語釈のことは広く喧伝されており、もはや常識だろう(例、「人生経験」。)「疑問」の例文として「−を・禁じ得ない(捨て切れない・解く・抱く・覚える・持つ・呈する・投げかける)」と列挙されているような(抄出)、語結合の例の豊かさも大きな特徴である。例によって大幅に改稿されるから第三版以前の版では決して満足せず、第四版を(それもなるべく新しい刷り、できれば七刷以降を)机辺に備えるよう。
『熟語本位英和中辞典』(岩波書店)
Spoonyを「鼻下長、二本棒、でれすけ」と訳し、'Till death do us part'を「お前百までわしや九十九まで」と言い換え、'woman's reason'は「女の理屈(とは好きだから好きだ、惚れたから惚れたの類)」と説明する。斎藤秀三郎が尨大な文献と格闘して書き上げた辞書だが、訳語として日本語の古い言い回しがズバリ採用され、読み出したら止まらない。
『学習基本古語辞典』(大修館書店)
学習用古語辞典としてはこれより親切丁寧なものがいくらでも出ているが、なにしろ「この辞典は、わたくし自身が書いたものであり、解釈も、用例も、他の辞典から借用したのは、ひとつも無い」とあの小西甚一が言い切った代物なので、『日本文藝史』の愛読者ならこれを引かざるをえないのではないか。
『現代漢語例解辞典』(小学館)
学習参考書としての面に重きが置かれた漢和辞典だが、読書一般に十分有用であろう。メリハリの効いたレイアウトは見やすくて明るい気分になる。検索法にもいろいろなアイデイアが盛り込まれていて、至って引きやすい。熟語を字義別に並べた点も重宝だ。
『新編大言海』(冨山房)
大槻文彦が作り上げた日本最初の近代的国語辞典、それが『言海』(1891)。増補したのが『大言海』(1932-37)。『新編大言海』は見出しを現代かなづかいに直したものだが(もとの見出しも右傍に小字で残す)、語釈には手は加わっていないから安心して利用できる。大胆な語源説などは批判的に読まなければなるまいが、すくなくとも古語辞典として現役だ。
『類語の辞典』(講談社学術文庫)
類語辞典はいろいろあるようだが、私にとってはこれが一番。1909年に刊行され、1974年に復刻が出ていた『日本類語大辞典』を文庫化、改題したもの。「落とす」を引くと「かんざしを−」「なみだを−」「はなしるを−」などなど意味別にことばがずらずら並ぶ、というスタイル。見出し語も文語体だし、挙げてあることばも古典語が中心ではあるのだが、そのほうが私の心の中のあちこちのボタンを押される感じがして、原稿書きが進むのだ。

さて、『新明解国語辞典』で、「読書」の語釈が、同じ第四版でも刷の違いで違うらしい。第二刷では(ちなみに私が持っている三刷でも同じ)、

[研究調査のためや興味本位ではなく]教養のために書物を読むこと・[寝ころがって読んだり雑誌・週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない]

なのが、第十一刷になると、こうなっている。

[研究調査や受験勉強の時などと違って]想(ソウ)を思いきり浮世(フセイ)の外に馳せ精神を道の世界に遊ばせたり人生観を確固不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けること無く本を読むこと。[寝ころがって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない]

ついでに、第五版第一刷では、「想を思いきり浮世の外に馳せ」のところが、「現実の世界を離れ」とシンプルになっています。

(1999/4/30)

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