有間皇子(抄)
                              谷島瑤一郎(筆者・24歳)

                    
                  (抜粋)

 私は誰も愛さなかった。
 誰も、だれひとり私を愛さなかった。
 私は危険な皇子であり、やがて非業の死を遂げることは、誰も胸にそれと知って、目を伏せた。
 私はひとりだった。
 そうして一人が好きだった。ことに月夜の、孤独の胸に浸み入るような静謐の調べを私は愛した。そのしらべは歌になった。ひろく、つめたい歌の世界へ踏み入ると、かなしみはしずかに結晶した。私はひとりで、やがて死ぬのだが、それが何だろう。歌を詠むと、ふいに時の流れを越えてしまったと感じることが幾たびかあった。
 あかるい月にあらわれてあるく冬の夜に、歌はふいに心の芯を通りぬけてゆく。そのとき、私は、夜空を果てしなく歩いてきたように錯覚する。星のあいだにうかびあがって、つめたく、しずかな、何もない世界へ来てしまったと、なつかしい悲しみに襲われる。歌の悲しみは、その世界から来るように思われた。
 しかし中大兄と顔を会わせれば夢から醒める、いまだ歌は一時の陶酔にすぎなかった。
                    (後略)



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