剣
                         谷島瑤一郎(筆者22歳)


 その夜、
 彼岸桜の花びらが散っていた。
 月は無かった。
 登り続ける山道の両脇づたいに、ところどころ仄白い桜の灯がともされ、山陰に夜道の消えたところで、花の灯は闇に紛れた。
 はだけた剣道着の胸元からすベり入る夜気は、皮膚の表面に、ひしと薄氷を張りつめそうな冷たさだった。
 頭上の、星空の深淵に、散り際ちかい桜の雲がうかんでいる。
 刀を掴む手は、寒気に凍って感触が無い。山道の傾斜はしだいに険しくなったが、俺は身体をあたためようと脚を早め、小走りにその道を登り詰めて行った。
 山頂の森に、八坂神社が在った。
 走り方に、朱い神社の鳥居を垣間見て、俺は歩を止め、ひと息つくと、あわく火照る身体を夜風に曝した。
 左手の麓に、街のネオンがひろがっている。俺は桜の下に立ち、花の雨の簾ごしに、きらびやかな都市の地獄を見るように覚えて、風のつめたさを忘れていた。
 俺が生れた、街の灯。幼くから剣を学び、剣に懸けてきた俺の血は疎まれ、やがて一滴まで吸われて、海月のように生きのぴた、平和な街の灯。剣はただ愛玩のためにのみ磨がれ、剣道は婦女子の舞踊にもて噺される。だが、俺の血は、ふたたぴ剣の中に眼醒めた。
 そうだ、俺はこの受苦にも似た剣の鍛錬のうちに、遠くから呼んでいる、旺んな血の呼び声を幾度か聞いた。
 素振りに腕が痺れ、冷えた足が石になって、剣尖に死の影が暗くかがやきはじめたとき、魂は云いしれぬほど昂り、俺は欣びの血にあふれた。それから夜ごとに、俺は、杉木立の立ちならぶ神社の境内に木刀をふるい、ふたたび剣の稽古に励むようになったのだった。
 僅か山道を行くと、森にはさまれた石段が、夜空の高い鳥居まで築き上げられている。
 鳥居の傍に、三日月が上った。
                     (後略)



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