思 い 出
                              谷 島 瑤一郎(筆者・19歳)


 はじめて私が大井川を渡ったのは、小学校四年の春休みのことでした。
 いまから丁度十年も前のことになりますが、おぼろげな記憶の中でもふしぎにくっきり、その日の大井川を描き出すことができます
 それは、牧之原台地の中腹にある金谷駅から汽車に乗り、なだらかな斜面を下ってゆくとき、車窓からながめた春の日曜日の、きららかな午後の風景でした。
 遠くにつらなる峰々のむこうに、富士の頂が、残雪にうすい空のいろをうつして聳えています。規則的にひびく汽車の音と、茶園の香りに満ちたゆるやかな風をうけて、窓に肘をついて外をながめていた私は、ぼうっとした春霞の景色の中を、一筋、真白の輝きをつよめながら近づいてくる大井川の白砂に限をうつしていました.。
 静岡の四月の太陽は、時おり初夏の暑さを思わせるほどに照り輝くことがあります。その砂金のふるような光をうけて、河原にひろがる白砂や、砂を採掘した穴の水たまりが、まばゆい黄金色にきらめくのです。対岸がかすむほど幅広い大井川も、普段の水嵩はごく僅かなもので、広大な河原の中に、二・三のほそい流れがゆるゆると流れているだけです。
 その時、車内のどこかで、ラジオがかすかな琴の音を流していました。それは確か、「春の海」か、「六段」のいずれかで、幼い私も耳にしたことのあるさわやかな琴の連弾でした。ふと鉄橋の下からおどろいたように舞いたつ白い鳥の群が、まるい弧を虚ろな春の空にしるして飛びゆく、その方角に、南アルプスの蒼峰がつらなっています。
 私は、ずっと昔、蝶を採集にさまよいあるいた故郷の森の中に妖しく飛び交う色あぎやかな蝶と、酔ったようにそれを追いかけている自分の姿とを想い起していました。
 夏の休みは、蝶の採集や、森の小川の淵に魚を釣ったり、滝のふかみに溺れかかったり、始終まわりの人たちをはらはらさせ通しでした。


 ある日私は、いたずらをして父にしかられ、泣きながらあてどもなく森の中をさまよったことがあります。
 それは夕暮時にちかく、森の梢のすき問に、満月がのぼろうとしていました。
 うす暗い木立ちの中は、湖の底にいるようにしずまって、きつつきの幹をたたく音、低いふくろうの鳴き声、ひぐらしの悲しい声とかが、長い間をおいて、聞こえるだけでした。涙のこぼれ落ちるままに、折りとった小枝を幹にたたきつけたり、ぬらめく苔に、足をすべらせてころんだりしながら、時の経つのも忘れて歩きつづけました。
 やがて森の底に夜露がひかるころになると、私は泣きやみ、しずけさにうっとりして、歌をうたいながらあるきました。
 かすかな私をよぶ声が聞こえました。
 耳を澄ますと、木霊でした。
 鳥肌がたって、私は盲滅法に走ってゆくと、ふと淡い月のひかりが、絹糸のように、梢のきれ聞から洩れてきます。
 その時どうしてか、祈るように切なく、月を見たいと思いました。
 そうして、森の一部が丸く切りとられている個所を見つけると、私は落葉をかさこそ鳴らしながら近づいてゆきました。木洩れる月の光は、まだ私の胸のところです。
 立ち止まって、杉のすき間に差すひかりの膜に、顔を半分照らしてみました。
 右眼がまぶしい。
 すこし行くと、、大きな沼のほとりに出て、怖いような満月を夜空に仰ぐことができました。
 ほとりのひばの木の下に坐ると、露にぬれた葉が、ひやりと足にさわります。
 ひっそりとしていました。
 草のほそい葉が、ゆれてきらきらそよぎ、油をはったような沼の面に、満月の影がゆらめいています。それが、沼のむこうの闇にふたつ光る、狐の限のかがやきよりも、はるかに美しいと思うと、なぜか底の方から不思議な笑いがこみあげてくるのでした。
 私は立ち上って、沼の淵まであるいてゆき、底を覗いてみました。底は見えず、月と、しろい私の顔がうつっています。私はすこしほほえんでみました。沼はゆらいで、私のしろい顔も、紅い口びるも、さらに大きく笑ったり、泣いたりもするように見えました。
 そうして長いことほとりに佇み、夢のようにあたりを見まわしていると、羊歯の緑に覆われた杉の根もとに、真っ黒い口があいています。近寄ってみると、それはかなり大きな洞穴でした。
 私は、恐怖より、身を捨てるような衝動にまかせて、呑みこまれるようにその洞穴に入ってゆきました。


 洞穴は丁度腰をかがめて歩けるくらいの高さで、思いの外簡単に入ってゆくことができます。所々つめたい清水が湧き出し、つま先からくるぶしのあたりまで、凍るように固くなりました。今でもその時の、徴くさい空気の感触が、折にふれてしっとりと肌によみがえります。
 穴の奥に、ふたつ、きらめくものが見えました。
 ゆれながら近づいてくるようです。私は息を止めて、見つめました。
 一旦止まって、また来ます。
 私の鼻さきに、笑うような、白狐の顔がうかびました。紅い舌で、固くなった私の顔を舐めずり、くるりとふり返ると、もうまったくの闇でした。
 壁の一面に苔が生え、体をささえているてのひらに、異様にうごめく虫を感じながら、私は幻に酔うように立っていました。
 やがて、私はなんだかうれしさに踊るようになって、漆黒の聞の中を奥へ奥へと這いずってゆきます。顔から背すじから、体中じっとりと汗を湧かせてふと頭をもたげると、闇の底に、白い光の点が眼にとまったのです。
 しばらく這ってゆくと、やはり出口であることが、あわい月あかりがクリームのように丸くさしこんでいるのを見てわかりました。
 あかりの中へにじり寄り、なんとか頭だけを、丁度ころげ落ちた生首のようにさし出して、ぐるりとあたりを見廻すと、さやさやと風が、夏の青葉にさやめき、月を照りかえして還くには、天王山城の城跡がまぼろしのように閣に浮きあがっています。
 私は穴の一部を崩して這い出し、その城跡に向って歩きはじめました。天王山の頂上にある月が、青白い光を浴びせて私の影をくっきりと地に印していました。
 城跡に近づくと、崩れ落ちた大きな切り石が月を浴びて、いちめんの青草のなかに白く浮かぶようです。
 私はもう洞穴の異様な匂いはすっかり忘れて、月の蒼さと、燐光を帯びたような城跡の美しさに茫然と見入っていました。
 しばらく舞うようにあたりを歩いて、最も大きな切り石の陰から、一歩踏み出すと、白い姿が眼にとまったのです。とっさに岩陰
に身を隠し、草間からそのゆらめく姿を見守りました。


 やがて白い姿が鮮かな輪郭をとって現われると、すぐさまそれが、幼い私でさえも知っている、この近辺では有名な狂女であることがわかりました。
 彼女は葛葉のかなり大きな地主の娘で、姉が婿をとって家を継ぐと、まちかねていたように嫁いでいったのでした。それは隣町の材木問屋で、彼女が女学校に通っていたころからそこの長男との間には固い約束が結ばれていたのだと、しきりに噂されるほどの、情熱的な恋愛の末の結婚でしたから、某年の大火の折に、不運にも瞬時にして子供と夫を失った時の彼女の悲嘆の様は、到底私たちの思い及ぶものではありますまい。


 その大火というのは、歳も暮れの夜半のことで、風がつよく、しかし月あかりは真昼のように街なみを照らし、追手町の小間物問屋から出た火が風にあおられて矢継ぎ早に、屋根から屋根へと飛び移ってゆく様は、緋色の衣をまとった悪魔が、月あかりにうかれて、人の不幸を笑いながら踊り狂っているような、残酷な美しさであったと言われます。
 材木問屋の屋根まで火の手が飛び移ってくるのは出火から間もなくのことで、離れの二階に若夫婦と子供が三人枕を並べていたのでしたが、妻の方は夜なかに一度眼がさめるとなかなか寝つかれない性なので、その夜やはり眼がさめると、あまりの寒さに一階に降りて火鉢にあたっていました。
 ところがしばらくすると、遠くのほうから不気味なごうごうという唸りがひびきはじめ、しだいに近づきながら、その底にかん高い子供の声すら混じりだしたのです。
 不審に思った彼女が、寒い冬のことだから、きっちりと閉めた窓の雨戸をあけて外を見ると、一面、血のような炎の壁です。
 彼女は火焔から身をそむけて放心したように見つめたまま、足が動きません。悲鳴が、声にならず、顔が燃えて、逃げようとする
のか、二階の夫と子供に知らせようとするのか、ただ髪の焼ける匂いが鼻を突いてきます。
 彼女は階段を見ました。
 突然玄関の戸を突き破って、数人の男が飛びこんできました。
 助け出そうとする男たちに、階段を指さし、鬼のようになって腕をふりほどこうとするのだが、非力です。
 「二階へ! 二階へ!」と、彼女は髪をふり乱して叫ぶ。男たちにも、その意味は十分にわかっていたのです。だがその時はもう、屋根は崩れ落ちる寸前だったのです。
 一人助け出された女が、目の前で焼き殺される夫子の、助けを呼ぶ悲痛な声と、しかも屋根が崩れはじめた時、大小ふたつの黒い影が、二階の窓から火のかたまりとなって飛び出し、地面にたたきつけられるや否や、火を吹く柱の、壁の、下敷きになってゆくのを、多勢の人が手をこまねいて見守るなかで、自分だけは助けに行こうと思いながらも、押さえつけられて涙をこぼし、愛しい夫と子供の名を呼ぶことしかできぬ。この時ほど彼女が、一瞬のためらいと女の非力とを、うらめしく心の奥底から呪ったことはありますまい。 しばらくして、間の抜けた消防署のサイレシと、消防車のあわただしい音がきこえるころには、家は跡かたもなく、ただ燃え崩れた残骸の、ぶすぶすと月明りの中で、黒い煙のゆらめき上るのと、時おりどす赤い炎の舌が、底意地悪く残骸の間からのぞくのが見られるだけでした。
 そして彼女は発狂したのです。


 すぐさま葛葉の里につれ戻され、両親と姉夫婦との心をつくした介抱が何年となく続いたのですが、快復のきぎしは一向に見られないのでした。
 それ以来、月のあかるい夜になると、母を母とも見分けのつかぬ彼女が、夫と我が子の名を虚ろに呼びながら何処ともなくさ迷い歩くようになったのでした。
 私は切り石の陰にじっと隠れて、夏草のすき間に瞳を凝らし、狂女の白い姿を見つめています。
 彼女のふしぎに澄みきった瞳は、大火の時にはどす紅い血のような炎が晴天にゆらめき立ち上っていたであろう、遠い隣町の空を眺めているようにも見え、また、気のふれた脳の記憶の片隅に、城跡の附近にまつわる、白狐に導かれて月夜に舞いさまよう亡霊の伝説をとどめていて、あらぬ我が子と夫の亡霊を見つめ、かすかに微笑んでいるかのようにもみえました。
 狂女の白い姿は、陽炎のように青草の上にゆらめいています。
 その時、しろさに透き通るような狂女の顔が、能面に似た妖しさをもって、こちらをふり向きました。真紅の唇に、幽遠な笑みをうかべています。
 私を手まねくのです。
 いたたまれなくなって、私は逃げ出そうとしたのですが、不思議にも金縛りにあったように立ちつくしたまま、ゆっくりと近寄ってくる狂女の顔の、物凄い美しさに魅入られてしまったのです。私はその時、体中の一切の感覚を忘れて、ただこの世のものならぬ妖艶な微笑をうかべてあゆみ来る、狂女の面のみに、魂を吸い寄せられていました。
 青草を分けて、私の前にゆらりと立ち止った狂女の顔は、片面を月にあらわれ、しろい瞼は彫られたように、ぴくりとも動かず、幽遠な微笑だけが口元の線をゆるやかにしています。私は痺れたような頭の奥に、かすかな意識をとどめ、この狂女の微笑と、瞳の底に燃えゆらぐ灯とが、私を自分の子供の亡霊と見誤っている喜びだと、わかってはいたのです。
 濡れた狂女の眼が私を見つめ、細い指がゆるやかに私の頬をおさえると、涙にひかる蒼白の頬を、そおっとすりよせてきます。
 私を抱きすくめ、か細く祈るように、子供の名前を呼びました。謝罪するような声でした。
 そうして囁きつづけながら、足もとにうずくまり見上げるように私を見つめていました。
 きゅうに悲鳴をあげ、狂女のロが大きくひらかれました。違いに気づいたのです。
 忽ち隠れていた意識がふくれあがって、私は力いっぱい狂女の肩を突き放し、飛ぶように夏草を蹴散らし、麓に向けて走りに走りました。しかし幼い私の足では、どれ程走ったとはいえ、僅かな距離でした。走りぎまにふり向くと、追いせまる狂女の長い髪が、海の底にゆれる藻のようにゆれながら、蒼白の顔を光らせて白蛇のように追いかけて来る。


 私の記憶は、そこでぶっつりど切れています。
 後から両親に聞くと、走りゆく行く手の崖下に、私は気絶して倒れていたそうですから、あのとき狂女も、崖下までは追いかけてこなかったのでしょう。
 それから、これは怪我が快復してから聞いたことなのですが、私の見た狂女というのは、実は、あの城跡のところで月あかりの夜に、着ている衣に火をつけて焼身自殺をしたということですから、あの狂女こそが亡霊だったのかもしれません。
 しかし狂女の左の頬のやわらかさと、涙のつめたさとを首すじに想い起すと、どうしても亡霊であったなどとは思えません。
 どうとられようと結講ですが、私はあの狂女が、今でも実在しているものと確信しています。

                                  (昭和45年6月6日脱稿)             



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