私の山遍路旅
カンチェンジュンガの氷河沿いに左岸を緩やかに登る。ウェッジピーク(6750m)が鋭く切れ落ちた雪のヒマラヤ肌を輝かせている。ネパールピーク(6910m)やツインズ(7350m)が荒々しい氷河の上に姿を燦然と現した。パンペマはもうすぐだ。ウェッジピークの後ろに隠れていたカンチェンジュンガ(8586m)が雪風をかすかにたなびかせて姿を現した。待望のパンペマBCだ。万歳!前回のゴーキョの時頂いたカタを今回持参したのでチベット仏教の坊さんでもあるサブサーダーのニマ君に教えを請いながら祭事用の岩に結び安全を祈願した。
今回は飛行機や体調の障害が次から次へと私に襲い掛かりヒマラヤの恐ろしさを改めて認識させられた長い旅でした。


参考資料:
 ツアー会社   ヒマラヤ観光(マウンテントラベル)
 ツアーリダー  丸山節子氏
 参加人員    11名
 現地スタッフ  サーダー、シェルパ5名、コック6名、ヤク5頭ヤク使い1名 パーソナルポーター9名(兼任有)
 航空会社    成田〜バンコク〜カトマンズ タイ国際航空
           カトマンズ〜タブレジュン〜ビラトガナール イエテイ航空
 提供写真:   同行参加者の中野 保氏、荒川謙司氏、中村靖弘氏から多くの写真をご提供いただきました。御礼を申し上げます。

編集後記:
 中高年トレッカーの参加者ばかりになった感のヒマラヤですがツアー会社がより難易度の高い所や日程が長くなるコースを開拓する
 あまりヘリコプターを使用し3000mを大きく超える場所まで安易に移動するケースが多くなってきています。高度障害の恐れが高く
 非常に危険を伴います。ヒマラヤのトレッキングを計画している方はツアー会社の選別に充分な調査と参加した方からの情報を広く
 集めることをお勧めいたします。以下は06年7月9日の朝日新聞のネットに掲載された高山病などの記事です。
 ネパール、ペルー、タンザニアの3カ国の日本大使館が把握した邦人の事例を駐在医務官に確認して分析した。ヒマラヤでは96〜
 05年、登山で9人(平均47.6歳)、より標高が低い山歩きで12人(同50.2歳)が死亡。このうち60歳以上が全体の4割近くを占
 め、女性は2人いた。滑落や遭難などの事故死は含んでいない。インカ帝国の都・クスコなど標高3000メートル以上の観光地があ
 るペルーでは03〜06年、邦人7人(同53.9歳)が重い高山病になり、45歳と69歳の女性2人が死亡。タンザニアのキリマンジャ
 ロ(5895メートル)でも03〜06年、3人が呼吸不全などで死亡した。高山病は、2500メートル以上の高地に急に登ると、気圧や酸
 素濃度の低下で頭痛や食欲不振、めまい、吐き気といった症状が出る病気。重症になると脳浮腫などで死亡するときもある。
 
03年のゴーキョピークの時サーダーから安全祈願で頂いた正絹の布(カタ)を祭事用の岩の綱に結び祈る(パンペマ5100m)
 パンペマからカンチェンジュンガ(8586m)を望む

TANGGA(6433m)流域の川とカンチェンジュンガ氷河から流れ出る川の扇状地的なところに位置するカンバチェンは比較的広く良いテントサイトである。風邪の症状は順調に回復しつつある。20時シュラフザックに潜り込む。03年のゴキョピークの時はパンツと長袖シャツだけで寝ていたのが風邪の症状があるとはいえダウンまで着込む始末で加齢のせいか?走りこみによる体重減少(72kgから62kg)で皮下脂肪が減少したためか。少し自信を失い気味である。(今回の山行で62kgから57kgに体重減)同室者を気にしながらテントのファスナーを4箇所をジーと音をさせながらトイレに起きる。用を済ませて満天の星空を眺める。無数の星たちがおしくらまんじゅうをしているような天の川。渓谷沿いに大きな姿を横たえる北斗七星(渓谷や山との対比で目の錯覚現象)。電気や車の照明や街の明かりの照り返しなどが無い山中では真っ白に雪を抱いた山々に煌く星明りが照り映えて幻想的な輝きを放っている。流れ星がスーと長く尾を引いて銀色に輝く6〜7000mの山々の頂に消えた。
星たちが何かをささやいた気がした。静寂。午前2時気温はマイナス13度位だろうか。

午前5時30分頃からんころんとヤクのカウベルが渓谷にこだまする。6時モーニングコール。熱いミルクティーをコックたちがテントまで運んでくる。7時朝食。
カンチェンジュンガのモレーン沿いの道を進む。左の傾斜地の山肌にホワイトシープの約20頭の群れが移動している。やがて大きな石ころが落ちてきそうな急な傾斜地を慎重に通過しランタンで4000mを超えて昼食。なだらかな放牧地のロナークに到着。メラ(6344m)が美しい稜線を描き照り輝いている。ヨーロッパから来ているアタック隊はメラを登頂すると言う。同じテントサイトに大きなテントをいくつも張っていた。
    風邪を克服しカンバチェンを目指し歩く途中で一休み
      モレーンを深く切り刻み聳えるジャヌー
空中を飛んで高度を上げたためグンサで高度順応のため2泊する。最悪のコンデションでスタートとなる。同行者に風邪を移してはいけないと食事や高度順応の散策は遠慮してテントでなるべく過ごし回復を図る。一時はグンサで停滞やカトマンズに引き返すことを真剣に考えた。食料もこんな時を考えて自分が好きなものをあれこれと用意をしたのだがダッフルバックの中に入っているものを思い出さなかったり行動を起こすことが面倒になったり思考能力が落ちてしまう。これが高所障害の怖いところだ。同行者に迷惑になってはいけないので慎重に体調を考える。3日目には体温も下がり食欲も少し出たので皆のスピードに遅れは取らないだろう。出発を決意。
川沿いのなだらかなコースを左岸に渡るまで登る。ジャヌーからのモレーンが見えるところからガレ場の急登が始まる。先頭はシェルパのスピードを煽ってしまうので2〜3番目を歩く。遅れや息切れもなく順調に歩ける。安堵する。怪峰ジャヌーが姿を見せる。怪獣が羽を広げたように白く輝く姿は私の心に深い印象を与えた。やがてカンバチェンのテントサイトに日が沈んだ薄暗い時刻に到着。
         怪峰ジャヌーの残照 7710m 
  グンサのキャンプサイト今日からテント生活が始まる
カンチェンジュンガ・パンペマBC〜ミルギン・ラ(22日間)   2005年10月26日〜11月16日
 
日程
  成田(泊)〜バンコク(泊)〜カトマンズ(泊)〜ビラトガナール(泊)〜タブレジュン〜(ヘリ)〜グンサ(2泊3500m)〜カンバチェン(2泊4090m)〜ロナーク(泊478   5m)〜パンペマ(2泊5150m)〜ロナーク(泊)〜カンバチェン(泊)〜グンサ(2泊)〜シェレレ(泊4290m)〜ミルギン・ラ(泊4480m)〜グンサ(泊)〜(ヘリ)〜タブ  レジュン(泊2200m)〜カトマンズ(泊)〜バンコク(トランジェット)〜成田

カトマンズから飛び立ったイエティ航空のセスナ機は約1時間でタブレジュン上空に到着。しかし尾根上の2200mにある草原の空港には雲が上空や谷底から次々に襲い着陸が難しい状況だ。パイロットは前方と空港を睨めながら着陸の機会を窺って飛行を継続すること約1時間。私は飛行機が苦手で特に小さい飛行機は死ぬ思いでいつも乗っている。パイロットのすぐ後ろの席にいる私からドアがない操縦席は手に取るように見える。深い渓谷沿いを旋回し操縦をするパイロットに「早く着陸してくれ」と「無理して突っ込まないでくれ」との矛盾する考えが頭の中を交差し続けた。旋回を繰り返していた機首が上昇しスピードを上げた。雲の上に出た機体は約20分でインドとの国境まで5〜6kmの亜熱帯に位置するビラトガナール(約40m)の空港に着陸。昼食を済ませ2時間後再度挑戦しタブレジュンの上空に到達。約40分旋回するもまたも着陸は果たせずビラトガナールに。1時間後機長が乗れと合図。急ぎ機上の人となるも滑走路に機体が出るまもなくUターン。結局、この日はあえなく空港の近くの恐ろしく汚いホテルに宿泊となる。翌朝神様、仏様に今度こそとの願いを乗せて飛ぶ。少し旋回後着陸。万歳!拍手で機長に感謝。まもなくヘリに乗り換えグンサの収穫を終えたジャガイモ畑の埃を巻き上げ到着。30℃を超える亜熱帯からマイナスの気温の3500mに一気に降り立った私の体は加齢のせいもあり温度調節が追いつかず不覚にも風邪を引き込んでしまった。最悪のスタートになる。
参考資料
 ツアー会社   アルパインツアー  ツアーリダー 渡部純一郎氏
 参加人員    8名
 現地スタッフ  7名  サーダー、シェルパ2名、コック3名、ヤク使い1名
 航空会社    成田〜バンコク〜カトマンズ タイ国際航空
           カトマンズ〜ルクラ イエテイ航空
    ゴーキョ湖湖畔のケルンで
        ゴーキョピークで寛ぐ
ドーレ付近からは今までの狭く深い峡谷から比較的広いなだらかなコースとなる。毎日快晴の天候で体調も回復し日々脱落を恐れていたストレスも解消し快適なトレッキングとなる。やがてマチェルモ。新陳代謝を促進する薬ダイアモックスを飲んでいるため夜中に2〜3度小トイレに起きる。長袖シャツとパンツ1枚だけでシュラフザックに潜り込んで寝ていると夜中にトイレに起きるのが大変である。外気温は−13度位なのでシュラフザックの周りに脱ぎ捨ててある完全なる防寒衣類を身に纏い用を足して戻り今度は逆の仕草をしなければならない。朝方だとついつい我慢を強いられる。ただ悪いことばかりではない。雪を擁き白く輝く6000m〜8000mの山々の空間に輝く満天の夜空を仰ぎ見ることが楽しみの一つでした。天の川などは星達が複層に輝いて見え時折頂から頂に流れる流星に心を躍らせもした。

マチェルモを出て暫くするとチョーオユーから流れ出るモレーンの先端に達しすこしガレバを登りきると紺碧の美しい氷河湖がいくつか現れる。湖面にはアカツクシガモが何羽か浮かんでいて感動。やがて最終キャンプ地ゴーキョに到着。眼前には明日の朝登るゴーキョピークが急登を見せ付けるかのように行く手に聳え立っている。今日は熟睡できるようシュラフザックを良く乾かして明日に備えて早めに寝よう。
早朝に起床し食事を取り出発。湖畔を巡りやがて急登が始まる。体調が回復したことと4920ccの肺活量のお陰で息切れもなく順調に高度を稼いだ。眼下には美しいゴーキョ湖が朝日に照らされて美しい姿を見せて心を和ませてくれる。
万歳!山頂である。同行者達と互いに握手をし肩を叩き合って喜びを体一杯で表現しあった。眼前にチョーオユー、カンチェン・ピーク遠くにエベレスト、ローチェ、ヌプチェ。眼前にはチョーオユーが押し出す氷河が長く荒々しく横たわって流れている。初めてのヒマラヤ。不安一杯でストレスがすごかった旅だったが来て良かった。自然と涙が頬を伝った。我がままを許してくれた女房に遠く5400mの頂から感謝の気持ちを送った。
エベレストとローチェ
   ゴーキョ湖付近
エベレスト街道の名峰アマダブラム
チョーオユーを背にドーレ付近
キャンズマから約4000mのモーン峠を喘ぎながら越えポルチェタンガへ。高度順応のためポルチェまで往復。この村は我々に同行する14歳の最年少シェルパの出身地である。後にルクラでのシェルパたちとのお別れパーテーで彼は我々からのプレゼントが集中したかわいい好青年でした。
朝目覚めるとうっすらとテントに雪化粧。全行程で唯一の積雪でした。樹林帯を抜けると渓谷沿いのなだらかな夏季の放牧地が続く。前方にはチョーオユーが姿を見せてくる。4000mを越えた。高所障害の下痢も止まり体調は良好となりドーレのキャンプサイトに到着。

6時起床サーダー(現地スタッフのまとめ役)がグットモーニングと熱いミルクティーをテントまで持って来てくれる。これが結構美味しいのだ。熱いお湯が洗面器に入れられてテント前に運ばれてくる。マイナス10度を越える凛とした空気の中顔を洗う。ダッフルバックに今日の不要なものを押し込みテント前に置き必要なものは自分のザックにいれシュラフザックをカバーの中にふうふう言いながら押し込み今日の準備OK。7時朝食。おかゆやナンのような小麦粉を焼いたパンなどが多く出る。新陳代謝を良くするため水分を多く取るように心がける。ミルクチョコレート(ココア)や蜂蜜入りの紅茶などを良く飲んだ。朝食を終えるとシェルパ達はテントをたたみヤクの背中にくくりつけもう出発の準備が完了している。コック達も食事が終えるとすばやく食器を洗い竹で編んだ背負い籠に入れ出発する。8時出発。酸素が薄いのでゆっくりゆっくり歩く。テントなどの荷物を運ぶヤクは次のテント場に向かうためコック達は我々の昼食の準備のため10時頃には我々を追い越してゆく。
ヤク使いに誘われて街道を行く
エベレストビューホテルにて
クンビラを背にサンボチェにて
サガルマータ国立公園事務所前
私が選んだ最初のヒマラヤトレッキングが無謀にもゴーキョピーク18日間だった。3000mをすこし越えた高度の難易度が比較的低いコースを選ばずいきなり5000mを越える難易度の高いコースを選んだ。事前の健康診断では肺活量も4920ccありその他の内臓器官の数値も良好との診断を受けたが高所障害がどのように私を襲うかとの不安感一杯で成田を出発。
ルクラに降り立ち5000〜6000mの山々を仰ぎ念願のヒマラヤだと涙が流れそうに嬉しさがこみ上げてくる。今日からはテント生活が始まる。
ルクラから一度下り渓谷沿いの集落をいくつか通過し吊橋を渡るとパクディンのテントサイトに到着。ヒマラヤ最初の夜である。渓流の瀬音とすこし高揚した気持ちとが寝つきを悪くした。やがてサガルマータ国立公園のチェックポイントで入園手続きをする。すこし恐怖心のする高く長い吊橋を渡り終えると高度差600mのナムチェバザールへの登りが始まる。途中木々の間からエベレストが見える場所があり元気付けてくれる。トレッカーの装備や食料を積んだゾッキョ(牛)や高いところではヤクたちが再三すれ違いエベレスト街道の賑わいが感じられる。6000m級のクスムカング−ルが見えて感動。
結構きつい傾斜地に所狭しとロッジや土産店が立ち並ぶ街道一の集落のナムチェバザールに到着。空き地ではチベット方面からの露天商たちが日用雑貨や登山用衣類などを商っている。ほとんどが中国製のコピー商品のようだ。ここで高度順応のため2泊する。

高所障害順応のためサンボチェからエベレストビューホテルまで往復する。エベレスト、ローツ、ヌプツエ、アマダブラム、タムセルク、カンテガ、コンデ・リなどの6000m〜8000mの若かりし頃夢にまで見た憧れの山々を仰ぎ見て感動。余った時間はナムチェバザールのお土産店を覗いて帰りのお土産の品定めをする。

3440mのナムチェバザール付近から高所障害が顕著に現れてくると言われている。私もここから消化不良からくる下痢に3日間悩まされることになる。水分だけ摂取し絶食を試みて克服する。高度を上げるに従い血液中の酸素濃度が85前後から70代後半に安静時の心拍数は95〜120に落ちてくる。脱落は明日か明後日かとストレスがすごくなる。比較的広い土地と日当たりの良さで豊かなクムジュンを経てキャンズマで宿泊。ライチョウの仲間を畑の中に見る。全行程夕食はロッジの中でとるのだがストーブの中で燃えているのは乾かしたヤクの糞で火力が弱く寒い。こんな過酷な土地で生活しているシェルパ族の人々を思うと不思議な気持ちになる。
  ゴーキョピーク登頂
マチェルモ付近のモレーンを背に
ゴーキョ湖とチョーオユーを背に最年少のシェルパと
サンボチェからエベレスト、ローチェ、ヌプチェ、アマダブラムを望む
エベレスト・ゴーキョピーク(19日間)  2003年11月5日〜11月23日
・日程
  成田(泊)〜バンコク(泊)〜カトマンズ(泊)〜ルクラ〜パクディン(泊)〜ナムチェ(3440m)(2泊)〜クムジュン〜キャンズマ(泊)〜モ
  ーン峠(3979m)〜ポルテェタンガ(泊)〜ドーレ(4040m泊)〜マチェルマ(4410m泊)〜ゴーキョ(4750m泊)〜ゴーキョピーク
  (5360m)登頂〜ゴーキョ〜マチェルマ(泊)〜モーン峠〜ドーレ〜キャンズマ(泊)〜ナムチェ〜ジョサレ(泊)〜ルクラ(泊)〜カトマン
  ズ(2泊)〜バンコク(トランジェット泊)〜成田
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