経済学について感じること

(原稿作成2000年6月)

マルクス主義経済学と近代経済学

 

 私が経済学部に編入した理由の一つは大学1年のときに読んだマルクス主義経済学の本に触発されたことです。その時はマルクス主義にだいぶあこがれたのですが、しかし、実際に経済学部に編入しじっくり学ぶ始めるとマルクス主義は科学ではなく、宗教または哲学・思想に分類されるものだと気づくのに時間はかかりませんでした。
 ひるがえって、近代経済学はどうでしょうか?頭脳構造が理系の私にはどうしても論理的科学的な側面が乏しいように思ってしまいます。結局、十分な論理性、科学性を持っていさえすれば、マルクス主義経済学などもっと以前に論破・排除できていたはずなのに、実際は旧ソビエトなどの社会主義国の崩壊まで待たなければいけなかった。そして、近代経済学に基づいて立案された経済政策は昨今の日本などをはじめとした各国の不況に対し、なかなか抜本的な経済効果を与えるにはいたっていません。

コペルニクス的転回

 

  近代経済学は誕生してから未だ2百年程度しか起っておらず、十分な成熟を見ておりません。私見では、学問と言うのはその発展段階においてコペルニクス的展開を経ていなければ未だ「学問」とは言い難いと思います。
 物理学においては創生期において、アリストテレス等により天動説が唱えられていました。地上の人間から観測すると直感的には自分が静止して天上が動いているように見え、心情的にもそう解釈したい。まさか自分と地が大宇宙の空間の中を漂って回っているなどという不安定にも感じられることを信じられなかった。ガリレオやコペルニクスの登場によりやっと科学的方法論が確立されたのです。

 

 

 

 すなわち、自分から見て他者が動いて見えるのには二つの可能性があるわけです。(1)自分がとまっていて相手が動いている。(2)相手が止まっていて自分が動いている。(正確には両方とも動いている。と言うもう一つの可能性があります。それはとりあえず省略します。)
 この二つの可能性のなかから選択する際にアリストテレスは直感や人間の心理的都合によって選択してしまった。天体の観察や理論的考察を行わなかった。実験や観察、理論的考察を踏まずに結論を導き出すのは科学ではありません。哲学です。そう彼は実際には哲学者であったのです。(古代においては哲学者が物理学者を兼ねていました。)科学的方法論を知らない哲学者が物理学をかたる資格も無いのに勝手に天動説を唱えていたのです。
 経済学の祖アダムスミスもそうですが、哲学者の語る「科学」には眉につばをつけて聞かなければなりません。

私の試み =経済現象に対する自然科学的アプローチ= 

 

  「経済」と言う曖昧模糊とした現象について哲学的にではなく自然科学的な思考方法を持って基本から考え直してみようと言うのが私の試みです。根本から論理的に考え直してみた結果が近代経済学と同じであればそれはそれで近代経済学の正しさが証明されたことに事になります。

経済学の方法論について

1.   自然科学のもっとも一般的かつ信頼の置ける方法論に対照実験があります。
理論的考察 ⇒ 仮説⇒ 対照実験 ⇒ 結論
と言う順番に進めていくものである。                                      
   
2.   有名な例をひとつ挙げれば、ガリレオの行ったピサの斜塔からの落下実験があります。ガリレオは「軽いものも重いものも同じ速さで落下すると言う仮説を立てた。」それを実証するためにピサの斜塔の上から重い石と軽い石の2つを同時に落としました。もちろん2つは同じ速さで落ちるわけですが、このように落下運動に影響を与えうるほかの条件についてはすべて同じ条件にしたうえで石の重さだけを変えて実験する。このような実証の仕方を対照実験と言います。
   
3.  経済学のテキストによれば経済学の方法論も実証科学的な側面が強いといわれます。  現実の事象から理論(モデル)を構築し、論理的演繹を行い、命題(予測・仮説)をたて、現実の事象と突き合わせ、命題が現実とうまく合致しているかどうか検証すると言うのです。
   
4.  しかしながら、経済現象の場合は物理や化学の実験と違い、現実の経済社会の中で(対照)実験をするのは不可能です。今現在ある、または過去あった経済事象を見つめて考察・検証するしかないのです。たとえばある一定の経済政策を行った場合にどういう結果がおきるかと言うことを検証したい場合に、物理や化学の実験では可能だった「他の条件を同じにする」と言うことが、現実の社会ではほとんど不可能です。
 まず学者はその経済政策を行ったケースを、自国や他国の現在とか過去の中から探すでしょう。そしてその結果が彼の予想していた仮説(命題)と合致していたとしても、その結果がその経済政策を原因として引き起こされたのか、それとも別の要因によって引き起こされたのか証明することはできないのです。さまざまな要因が絡まりあっている社会・経済現象について、「科学的・論理的」に考察を進めていくのは、困難至極な技なのです。
   
5.  しかし、困難と言ってもあきらめるわけにはいきません。私たちは極力科学的、論理的な思考法で歩みを進めていかなければなりません。
   
6.  ガリレオの方法論には興味深いものがあります。実際にピサの斜塔の上から二つの石を落とす前に、彼は頭の中で「実験」をしていました。
   
7. まず、彼は(頭脳の中のシュミレーションにおいて)大きさ、重さともに同様の3つの石を選んで持ってきました。そして、1回目は大きさ、重さともに同様の石3つを同時に自分の手から離して落とします。もちろん、3つの石は同時に地面に落下するわけですね。
 2回目はそのうち2つの石を紐で結びつけて擬似的に重さが2倍の石を作ったわけです。そして、ふたたび3つの石を同時に落とします。すると彼の頭の中のシュミレーションでは、紐で結びつけた二つの石も、結んでいない方の石も同時に落ちたわけです。なぜなら同じ速さで落下する二つの石を、紐で結びつけただけだからです。紐で結んだだけで落下速度が変化するわけがありません。
   
8.  ガリレオが行ったこの頭の中のシュミレーションを私は「思考実験」と呼んでいます。 この思考過程を経た「落下速度は重量に関わらず一定である」という「仮説」は、実は思考実験の結果を踏まえた「結論」に近いものであったと言えます
   
9.  現実の経済事象は複雑な要因が絡み合った結果ですからそこから何か「定理」を導き出すのは大変困難です。しかし頭の中の実験なら他の条件を一定にして行うことができます。「思考実験」は経済学を進める上でたいへん有用かもしれません。
   
10   経済事象は「対照実験」など不可能です。それだからこそ経済学を進める上においてガリレオのやったような「思考実験(思考シュミレーション)」や論理的科学的な思考法が大変重要だと思います。
   

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