経済学の目的

 

  (中谷 巌氏 「痛快経済学」より)

私たちの欲望は無限だが、経済資源は有限。したがって生産されるものも有限だから所得も有限

経済学は限りある資源を効率的に活用することによって、限りない欲望をできる限り満たしてやるための知恵である


私の考え方

1.「欲望と需要」

既存の経済学では「人間の欲望は無限」と定義している。確かに数学的には、人類の中でたった一人でも無限の欲望を持つ人がいれば、人類全体の欲望の総合計は無限になる。しかし、われわれ一人一人は通常無限の欲望を持つだろうか?「世界中の全ての土地を所有したい」とか「毎日最高級のグルメをたらふく食べたい」と思う人も中には居るだろうが、全員がそうではない。例えばより多くのサービスを楽しみたいと思っても、映画を見ながらインターネットを楽しめるだろうか?毎日グルメをたらふく食べていたら直ぐに成人病になってしまう。人間は一生の間に享受できるモノ・サービスには限度があるのだ。たとえ無意識の中では無限の欲望(願望)を持っていたとしても、物理的、生理的な制約から具現化できる欲望は有限である。さらに具現化された欲望の中でも「経済的な対価を支払っても実現したい欲望」(これを「需要」と定義したい)となるとさらに範囲は狭まる。


経済の好景気が長期に続くとみな豊かになってくる。より多くの商品を購入したり、高級品を買ったりするが、その内、所得の伸びにもかかわらず、需要が伸びなくなってくる。ある程度欲望が充足されたために起きる「消費の一服感」というやつである。所得が上昇している場合で、欲望が無限であるなら需要も比例的に上昇して「消費の一服感」などあるはずが無い。


「人類の欲望は数学的・哲学的には無限、マクロ経済的には有限である」と理解するのが正しいと思う。


2.生産・供給と需要とのバランス

資本主義経済の下では、科学技術・生産技術が進歩して、より少ない労働力で同量の生産が可能になれば、(企業利潤の最大化という目的のために)「失業」などを通じ労働者所得が減少する。そしてこれは「需要の減少」を招く。

科学技術の発展による「労働生産性の向上」は、労働者所得の減少を通じて需要を減少させる方向に働く。そしてもう一方では、技術の発展は生産・供給能力を増大させる。つまり、需給ギャップを(供給側に大になる様に)大きくする方向に働く性質があることになる。

つまり、資本主義的な経済発展は必ずどこかでいきづまってしまうことになる。


3.経済学の目指すべきもの・目的

「不況」という現象を「供給(生産)」よりも「需要」が下回ることと定義するなら、たびたび有限らしく振舞う「需要」を、科学・生産技術の発展により増大しつづける「生産・供給能力」とどのようにマッチさせるかが経済学の大きなテーマであると思う。

「科学技術・生産技術・労働生産性の進歩が労働者・消費者の豊かさにつながる」「より少ない労働で豊かな生活ができるようになり、余暇の増大などを通じ、需要の増加・サービス・情報産業の発展を促す」ような経済システムを立案・構築を試みると言うのが現在の経済学者に課せられた使命ではないだろうか?

また、後段の章でも説明するが、「モノ・サービス(効用・使用価値)がより多くの人に、そしてより多く、効率的に交換・分配されるようなシステムを考えていくことが経済学の重要な目的の一つだと思う。


=過去の経済発展とこれから=

歴史的に見れば産業革命以降人類の文明と経済はかなりのスピードで発展してきた。科学技術の発展とインフラの整備・所得の向上などが同時に進行してきたため常に新たな産業の創出・需要の増加が続いてきた。そのため技術進歩による労働生産性の向上が進行しても必ずしも「失業」や「労働者所得の減少」がおきなかった。しかし、現在の先進国の状況を見れば文明はある程度成熟し、インフラも整備されているので必ずしも「新たな産業の創出」「需要の増加」を期待できない可能性が大きい。

=資本主義は今後も最適な経済システムなのか?=

資本主義経済は科学技術や文明・経済を未開拓の状態からダイナミックに成熟へと発展させる力を持っていた。しかし、経済や文明が成熟した状態においては必ずしも最適な経済システムではないように思える。 (現在の資本主義の下では、「科学技術の発展→生産性の向上→需給ギャップの拡大→不況の要因に」のように連鎖する)

最適な経済システムはもちろん社会主義ではないと思う。しかし、現在の資本主義とはまったく違うシステムになるのかまたは現状の資本主義を修正した形になるのかまったく今の私にはわからない。それを今後考えていきたいと思う。


私の想い

「経済学とは希少な資源を使って何をどれだけ生産し、誰に分配するのかと言った選択の問題を研究するものである。」という定義は、アダムスミスの頃の必ずしも供給能力が成熟していなかった時代の考え方であり、「各人が自己の最大利益を求めて行動すれば社会全体の利益が増進される」と言うのは彼の時代背景である帝国主義により生じた貧富の格差から富裕層・資本家の行動を正当化するために生まれた論理のような気がしてならない。

 


  この章の内容についてご意見ご質問

 ホームページへ

テーマ一覧へ                    前のテーマへ                    次のテーマへ

 


 Since July 2000.

Copyright(c) 2000 Nakayama Nozomu All rights reserved.