「お金」とは何か−3−

副題:貨幣の「価値尺度機能」を相対性の観点から考える

1.「相対性」

例えば地球の直径の長さは「長い」とも言えますが、太陽や木星のそれと比べれば「短い」とも言えます。

日本人の平均貯蓄額は「多い」とも言えますが、日本の年金制度の先行き不安の中では老後の準備としては「少ない」とも言えます。
 

 

このように比較の対象や観点により物事の評価は変わり得ます。(つまり物事の評価は主観的なものだと言うことです。)
これが「相対性」と言われるもので、物理的現象だけでなく社会的な事象も含めて当然に成立する定理です。 

 

そこで、自然科学では事象を測定するためには不変の量を基準にした尺度(単位)を用います。例えば「物の長さ」を測定するための尺度はkmやmなどを使います。そして例えば長さの単位であるmを重さの単位として使用したり、容積や時間の単位として使用することはありません。 

 

  さて、以下2.では視点をかえて経済的な事象を考えてみましょう。

 2.「お金」は価値尺度なのか?

 200万円で販売されている1台の自動車があります。200万で販売されているヨットがあります。自動車もヨットも商品には違いありませんが、その使用価値はまったく違います。自動車は生活必需品であり移動するための手段です。ヨットは移動手段と言うよりもレジャー用品です 

 

 Aさんがこの自動車を購入した場合は、Aさんがこの自動車の使用価値に対して対価として200万円(もしくはそれ以上)を支払っても良いと考えたからです。Bさんが自動車を物色していてもこの自動車を選ばなかったとしたら、Bさんはこの自動車に対して200万円以上の対価を支払うほどの使用価値を感じなかったのです。またBさんがこのヨットを購入したとしても、レジャーに全く興味の無いCさんにとってはこのヨットは100円の価値も無いかもしれません。ここで確認したい事は(1)使用価値は商品によってその性質が全く違います。(2)同じ商品であったとしてもその使用価値に対する評価は人によって違います。と言うことです。 

 

 また(3)同じ現金200万円でも人によってその価値は違います。所得や貯蓄の多い人にとってはさほど多額でないと感じるかもしれません。所得や貯蓄が平均か平均以下の人にとっては、消費するに当たっては躊躇するか、十分に吟味検討する必要のある金額です。(上記の(2)や(3)で述べたことが「相対性」に該当します。)

 

 経済を考察する上で自然科学と決定的に違う点の一つに尺度の問題があります。自然科学ではある物の量を測るには、その物と同質の尺度(単位)を用います。そしてその尺度(単位)は、物理的に不変なものを基準として規定されています。(注) 

 

上記のケースに戻るとヨットに200万円の価値があるかのように表現されることがあります。しかしヨットの使用価値と現金200万円の価値は基本的に異質なものです。Aさんのケースでは「ヨットと引換に現金200万円を支払った」と言うことは間違いの無い事実ですが、交換価値である「お金」で商品の使用価値を測定することはできません。なぜならそれは異質なものだからです。あくまでも「それを購入する対価としてお金を支払った」と言うことだけが事実なのです。そして「対価としてその金額を支払うに妥当な使用価値をその商品が有しているか」どうかはあくまでも人により(あるいは時代によっても)評価は異なります。 

 

また貨幣を尺度(単位)として考えた場合、不変な量を基準として規定されていないと言うことがあげられます。

 

例えば1mの物差しを見て「長い」と感じる人もいれば、「短い」と感じる人もいます。その意味では物理的な尺度も「お金」と同じく相対的なのですが、「相対的な世界の中で比較の基準を作るため、不変な量を基準として尺度(単位)を規定している」のが自然科学です。これに対して価値尺度としての「お金」を考えた場合、その尺度(単位)は不変なものにより規定されているのではなく、あくまでも商品(使用価値)との交換比率によってその大きさが表現されています。時代や社会状況、需要と供給のバランスなどにより貨幣と商品の交換比率は常に変動する可能性があります。
 

 

ある部屋にちょうど5mの長さの木の棒と、1mの長さの物差しがあります。仮にこの部屋に人間がいて、この木の棒の長さを物差しで測ろうと測るまいと、「木の棒の長さは物差しの5倍の長さである」と言う事実は存在しています。

 

ヨットの使用価値は人間が存在しなくても200万円の価値があるのでしょうか?違います。文字通り、「使用価値」は使用する人間が介在して初めて生まれる価値であり、さらに「価値尺度としてのお金」との交換比率も人間により主観的・相対的に評価されるものなのです。 

 

繰り返し、まとめになりますが、以上のように「価値尺度としてのお金」を考えた場合、測られる側の「使用価値」と測る側の「交換価値(お金)」は直接結びつくものではなく、「人(経済主体)」を介在して初めて交換(測定、評価)されるものだと言えます。そして「尺度としてのお金」の価値の大きさについて考えると、例えば、「200万円の現金はこのヨットの使用価値と交換するに値する価値の大きさである」と言う認識はこれまで述べたように相対的ですから、基準の無い、言わば「バーチャルな」「仮想の尺度」と言えます。 

 

これらの点は自然科学と決定的に違う点であり、経済的な事象を方程式などを使って検討するに当たっては十分に留意しなければならないと思います。
 

3.留意点のまとめ

 

(1)

経済事象を計測する単位である「貨幣」は自然科学のそれと違って、「不変な量を基準として規定されていない。」
(価値尺度である「貨幣」の価値の大きさは、あくまでも商品(使用価値)との交換比率(可変的)により表現されるに過ぎない)

(2)

人間が介在しなければ計測評価(交換)できない。またその計測評価も人や状況により変わりうる。

(3)

使用価値を交換価値に置き換えて評価しようとしたとき、もともと両者は異質なものである 

 

 したがって経済事象を科学的に考察しようとする際にはこれらの点に十分に留意しなければならない。

4.経済理論との関係

 

 

以上の「単位」や「尺度」「相対性」についての説明は自然科学における基本認識です。しかしながら、伝統的な経済理論の中にはこの基本認識を意識していないのではないかと思われるものもあります。

 

「財」の価格は相対的であり「人間が介在しなければ交換・評価・測定できません。」そうであれば、「財の価格」に関する理論も「人間の意識・判断」を考慮しないところで理論立てが完了できるわけは有りません。しかし中には人間の意思決定を度外視して、経済変数(財の数量、貨幣の量など)のみで証明をしたつもりの伝統的な理論もまだ生きています。
(造幣益に関する理論:このHPの「14章:造幣益は経済政策として可能か」で説明)

 

経済学はこのような自然科学の基本を再認識した上で再構築しなければいけない部分もあるかと思います。

 (注)の補足説明

自然科学における単位(尺度)の例

(1)1メートル

地球の子午線(地球の表面に沿って北極から南極を結んだ線)の長さの1000万分の1

(2)キログラム

水1リットルの重さを基に「キログラム原器」を作成

(3)1℃(温度)

1気圧の基で水が氷結する温度を0℃、沸騰する温度を100℃としてその間を100等分したもの

 ※この表の説明は単位制定当初の考え方の概略であり、現在では更に精密な定義のされ方が行われています。

 


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