こんな工合で、猫にはまあ便利なものでした。

ところが今のおはなしからちょうど半年ばかりたったとき、とうとうこの第六事務所が廃止になってしまいました。
というわけは、もうみなさんもお気づきでしょうが、四番書記のかま猫は、上の方の三人の書記からひどく憎まれていましたし、ことに三番書記の三毛猫は、このかま猫の仕事をじぶんがやって見たくてたまらなくなったのです。
かま猫は、何とかみんなによく思われようといろいろ工夫をしましたが、どうもかえっていけませんでした。
 たとえば、ある日となりの虎猫が、ひるのべんとうを、机の上に出してたべはじめようとしたときに、急にあくびに襲われました。
 そこで虎猫は、みじかい両手をあらんかぎり高く延ばして、ずいぶん大きなあくびをやりました。


これは猫仲間では、目上の人にも無礼なことでも何でもなく、人ならばまず鬚でもひねるぐらいのところですから、それはかまいませんけれども、いけないことは、 足をふんばったために、テーブルが少し坂になって、べんとうばこがするするっと滑って、とうとうがたっと事務長の前の床に落ちてしまったのです。
それはでこぼこではありましたが、アルミニュームでできていましたから、大丈夫こわれませんでした。そこで虎猫は急いであくびを切り上げて、机の上から手をのばして、それを取ろうとしましたが、やっと手がかかるかかからないか位なので、べんとうばこは、あっちへ行ったりこっちへ寄ったり、なかなかうまくつかまりませんでした。

「君、だめだよ。とどかないよ。」と事務長の黒猫が、もしゃもしゃパンを喰べながら笑って云いました。

その時四番書記のかま猫も、ちょうどべんとうの蓋を開いたところでしたが、それを見てすばやく立って、辨当を拾って虎猫に渡そうとしました。
ところが虎猫は急にひどく怒り出して、折角かま猫の出した辨当も受け取らず、手をうしろに廻して、自暴にからだを振りながらどなりました。 「何だい。君は僕にこの辨当を喰べろというのかい。机から床の上へ落ちた弁当を君は僕に喰えというのかい。」
「いいえ、あなたが拾おうとなさるもんですから、拾ってあげただけでございます。」
「いつ僕が拾おうとしたんだ。うん。僕はただそれが事務長さんの前に落ちてあんまり失礼なもんだから、僕の机の下へ押し込もうと思ったんだ。」
「そうですか。私はまた、あんまり辨当があっちこっち動くもんですから…………」
「何だと失敬な。決闘を………」

「ジャラジャラジャラジャラン。」
事務長が高くどなりました。これは決闘をしろと云ってしまわせない為に、わざと邪魔をしたのです。
「いや、喧嘩するのはよしたまえ。かま猫君も虎猫君に喰べさせようというんで拾ったんじゃなかろう。それから今朝云うのを忘れたが虎猫君は月給が十銭あがったよ。」

 虎猫は、はじめは恐い顔をしてそれでも頭を下げて聴いていましたが、とうとう、よろこんで笑い出しました。
「どうもおさわがせいたしましてお申しわけございません。」それからとなりのかま猫をじろっと見て腰掛けました。

 みなさんぼくはかま猫に同情します。


それから又五六日たって、丁度これに似たことが起ったのです。
こんなことがたびたび起るわけは、一つは猫どもの無精なたちと、も一つは猫の前あし即ち手が、あんまり短いためです。

 今度は向うの三番書記の三毛猫が、朝仕事を始める前に、筆がポロポロころがって、とうとう床に落ちました。
三毛猫はすぐ立てばいいのを、骨惜みして早速前に虎猫のやった通り、両手を机越しに延ばして、それを拾い上げようとしました。
 今度もやっぱり届きません。
三毛猫は殊にせいが低かったので、だんだん乗り出して、とうとう足が腰掛けからはなれてしまいました。
かま猫は拾ってやろうかやるまいか、この前のこともありますので、しばらくためらって眼をパチパチさせて居ましたが、とうとう見るに見兼ねて、立ちあがりました。
 ところが丁度この時に、三毛猫はあんまり乗り出し過ぎてガタンとひっくり返ってひどく頭をついて机から落ちました。それが大分ひどい音でしたから、事務長の黒猫もびっくりして立ちあがって、うしろの棚から、気付けのアンモニア水の瓶を取りました。ところが三毛猫はすぐ起き上って、かんしゃくまぎれにいきなり、
「かま猫、きさまはよくも僕を押しのめしたな。」とどなりました。

 今度はしかし、事務長がすぐ三毛猫をなだめました。
「いや、三毛君。それは君のまちがいだよ。
かま猫君は好意でちょっと立っただけだ。君にさわりも何もしない。
しかしまあ、こんな小さなことは、なんでもありゃしないじゃないか。
さあ、ええとサントンタンの転居届けと。ええ。」
事務長はさっさと仕事にかかりました。
そこで三毛猫も、仕方なく、仕事にかかりはじめましたがやっぱりたびたびこわい目をしてかま猫を見ていました。

こんな工合ですからかま猫は実につらいのでした。


 かま猫はあたりまえの猫になろうと何べん窓の外にねて見ましたが、どうしても夜中に寒くてくしゃみが出てたまらないので、やっぱり仕方なく竈のなかに入るのでした。
 なぜそんなに寒くなるかというのに皮がうすいためで、なぜ皮が薄いかというのに、それは土用に生れたからです。やっぱり僕が悪いんだ、仕方ないなあと、かま猫は考えて、なみだをまん円な眼一杯にためました。
 けれども事務長さんがあんなに親切にして下さる、それにかま猫仲間のみんながあんなに僕の事務所に居るのを名誉に思ってよろこぶのだ、どんなにつらくてもぼくはやめないぞ、きっとこらえるぞと、かま猫は泣きながら、にぎりこぶしを握りました。


 ところがその事務長も、あてにならなくなりました。それは猫なんていうものは、賢いようでばかなものです。
ある時、かま猫は運わるく風邪を引いて、足のつけねを椀のように腫らし、どうしても歩けませんでしたから、とうとう一日やすんでしまいました。


               
かま猫のもがきようといったらありません。泣いて泣いて泣きました。納屋の小さな窓から射し込んで来る黄いろな光をながめながら、一日一杯眼をこすって泣いていました。

 
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