記事No | : 1604 |
タイトル | : Re: 不二の法門 |
投稿日 | : 2012/08/04(Sat) 12:09:54 |
投稿者 | : 桃青 |
>
> 私は以前キリスト教を学ぶため、キリ否掲示板に参加していたことがあり、そこでオムナイさんという某M教の方から某M教の教義の基礎を教えて頂いたことがあります。
なんちゅうか・・・あの御方の某M教解説は
ウソ・大げさ・誤解を招く。
ですからね。
しかも、意図的にそうされている。
「歩く不正広告」としてJAROに告発したいくらいです。(笑)
> 某M教は徹底した二元論でちょっと滑稽味のある宗教ですね。(笑)
>
某M教を100Mくらい離れて見てるだけなら、ね。(笑)
でも、いったん二元論にはまってしまうと、見えるはずの出口も見えなくなってしまうのですよね。
二元論思考(それも、プリミィティブと言っていいほど単純な)を推奨する某M教の教義は問題だと思う。
> 仏教には二元論を否定した不二の法門という教えがあります。
不二の法門の「不二」は、単に某M教のような単純な二元論を否定するから「不二」と言うのに留まるものではないでしょう。
では、何を言っているかといえば、一口では言えないようなもの。
(維摩経でも維摩は不二の法門について質問されても黙して語りませんものね。)
そしてその一口では言えないもろもろは「空」へ集約して行くんですよね。
そういう意味では、
> ネットなどで調べると、二つとない素晴しい教えだなどと出鱈目なことを書いているサイトがありますが、
「二つとない素晴らしい教え」という解説も、あながちデタラメでもないような・・・。
富士山の富士は古くは「不二」と書いたように、
不二という言葉からは、「譬えようもなく清々しく、不思議(神秘さと言ってもよいような)素晴らしいただ一つの」という語感を私は感じるのですよ。
「素晴らしいただ一つ」とは、すなわち「空」であり、「仏知見」であり・・・。
「不二とは(某M教で教えるような単純な)二元論は間違ってます。の意味です。」では、「不二の法門」がなんだかショボクないですか?(笑)
> 某M教の方も維摩経を読まれると考え方が変わるかもしれませんね。
変わらないでしょう。
二元論思考にはまってしまうと、仏教の二元論を離れたモノの見方、考え方は異質すぎてたぶん理解できないんじゃないかな?
それと、二元論で自分を善の側に置いて、悪を糾弾するというかたちで議論したり、行動したりするのって精神的に楽じゃないですか?
そういう意味でもいったん二元論にはまると、なかなか捨てられないのでしょうね。