記事No | : 1645 |
タイトル | : 鬱病と自己愛性人格障害 |
投稿日 | : 2012/09/10(Mon) 10:40:23 |
投稿者 | : 桃青 |
私は、ほめられもせず、苦にもされず、黙々と菩薩行する宮沢賢治の生き方に惹かれるが、某M教では、そのような生き方はツマラナイものに見えるようだ。
某M教のかたに言わせると、
そもそも宮沢賢治の生き方に惹かれる事自体日本的であって、アメリカでは
「いかに自分が徳が高く、善いことをしているかをアピールするのが正しい行いであり、当たり前」
なのだそうだ。
なるほど。
日本人は古来鬱病的で、一億総(躁、の間違いではありません。)鬱病、なんて一時期、盛んに言われたことがありましたね。
その言いかたでいえば、アメリカ人総自己愛性人格障害、と言えなくもない。(笑)
某M教のかたとやりとりすると、アメリカ人の考え方とは、どういうものなのか、がなんとなく解ってくる。
某M教の学者も、「アメリカというものが知りたくて(←あの年代なら、アメリカに憧れて?)某M教徒になったが、その直感は正しかった。
某M教はアメリカそのものだ。」
と、いうようなことを書かれていたので、私の感じるところも、当たらずと言えども、遠からず。なのでしょう。と思っているのですが・・・。
自省的過ぎるのも問題の本質を見誤らせるが、問題を捉えるのに、他罰的観点ばかりでも問題は解決しないねー。
かって自らを一億総鬱病と捉えたのも日本人でしたが、最近は「世界では、自分に非があっても、自分は悪くない、と大声で激しく自己主張するほうが、主流らしい。」
と勘づいたのか、アメリカナイズされたのか、
自己愛性人格障害風のひとが、なんだか目立って来た。
「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ。」
と、思え。と強要される社会もイヤだけれど、
「たとえ自分に非があっても、とにかく私は悪くない。と大声で叫ぶべきだ。」
と、いう社会もイヤだなあ。