記事No | : 1556 |
タイトル | : Re^2: 身を任せる |
投稿日 | : 2012/06/25(Mon) 10:23:18 |
投稿者 | : 桃青 |
法座で「仏に身を任せる」と話されると、どうも、気になってしかたない。
そ・れ・は
もしかして、講師はキリスト教の「神にすがるしかない。」や
真宗の「阿弥陀様にお任せするしかない。」的に、
「仏様にお任せして。」を、捉えているのではないか。
という懸念です。
「仏の知恵の中に生きる。」も、もしかしてキリスト教の
「人間の知恵を離れて、イエス様だったらどうするか。と考えて行動する。」的に、この講師は話しているんじゃないか。
という懸念です。
仏の知恵、も、仏に身を任せるも、キリスト教的に捉えては、
その理解は「人間が身につけるべき徳目を説いているのだな。」で止まってしまいそうで、心配でならない。
徳目を並べて、こうなりましょう。では、人間の問題は解決しない。
講師はわかっているのかな?
だいじょうぶかな?
「誰にもどんなものも使命を持って生まれた。
たとえば人間に食べられている動物は人間に美味しく食べられる使命を持って生まれた。」
などと言い出す講師なので、心配でたまらない。
この講師、菩薩の特性を大いに備えたかたなので、余計な心配ならよいのですが・・・。
「仏の智慧」とは「空」のことなのだ、ということを全く言わないと、聞く方は絶対に誤解すると思うよ。