記事No | : 1764 |
タイトル | : 言葉のマジック |
投稿日 | : 2012/11/24(Sat) 00:59:23 |
投稿者 | : 桃青 |
> さて、某M教の民族主義は呆れかえります。
> 我は他よりも劣りもせず、勝りもせず、ただ唯一のもで、他と同じであり違うのだということが何でわからないのかなぁ?やっぱ執着なのかな
某M教会員で活発といわれる方々は、「他と同じでは、わざわざ某M教会員になる意味がない。某M教会は、唯一絶対だからいいのだ。
某M教会が唯一絶対でなくなったら、教会をやめる。」
と、言われるかたばかりです。
傍から見ていると、自分で自分を唯一絶対と自己規定しているのだから、そのように自己規定してる間は、唯一絶対でなくなることなどあり得ないでしょうに。
と、可笑しい。
また某M教のかたの中には、「国境は仮のもの、国という枠組みを取り払った世界(を実現する某M教)」と、仏教のような、はたまたビートルズのようなことをしきりに言われるかたもおられます。
しかし、仏教が言わんとしていることと、某M教の言うところとは違う。
某M教が言うところの国境の否定とは、日本国家や中国国家にとらわれず新たに某M教人(民族)になろう。というものです。
某M教には国土はありませんから、地面や海面の国境はありませんが、某M教を囲む眼に見えない国境はしっかりとある。
眼に見えない国境ですから、既存の国家意識から自由になったと錯覚するかたもおられるのでしょう。
しかし、それは単に、こなたの国家意識を離れて別の国家意識をもったというだけで、眼に見えない国境の中にある民族主義も、他の国家や民族に生じる民族主義もその差は特にはないです。