記事No | : 1802 |
タイトル | : Re: 発達障害と修辞学 |
投稿日 | : 2012/12/21(Fri) 18:46:15 |
投稿者 | : 桃青 |
実際にビッグブックを使って「自助の会」のようなことをされているかたの記事の中に、次のような文章があった。
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発達障害を抱えた人がビッグブックを読むと、ビルの修辞法によって混乱させられてしまうことはしばしばです。
例えば42ページには「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章があります。これだけ読んだら「なんのこっちゃ」ですが、前後の文章や、ビッグブック全体の組み立てを見れば、意味は分かります。
ビッグブックが書かれた時代、つまり初期のAAメンバーたちは、12ステップ(の原型)によってアルコホーリクが回復できるのか心許なかったわけです。「か弱い葦」というのは頼りなさの表現です。けれど、最初はビル・W一人から始まった12ステップが、3年ほどで数十人を回復させるだけの実績を残しました。その結果、彼らは12ステップには確かにアルコホーリクを回復させる力があると確信を深めた、というわけです。それが「力強い神の愛の手」という表現です。
ところが「ここに出てくる<神>って何だろう」というような細部に囚われてしまうと、ビルの言いたいことがくみ取れなくなってしまいます。
だから、「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章を、「最初は私たちも12ステップでアルコホーリクが回復できるのか自信がなかったが、多くの実績が積み上がるにつれ、確かに12ステップで回復できるのだと確信を抱くようになった」というふうに修辞を解いた文章にして伝える必要があるわけです。
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その一。
発達障害でなくても、修辞を解いた文章にしてもらわなくては、解りにくいでしょう。
その二。
「ビッグブックは解りにくい。」ということになっているのは、全体を通して、この例のような修辞で書かれているからだそうだが、
実はこの例に似た文章は、私には馴染み深い。
そう、某M教会の文書で既に経験済みなのです。
私は、つい、某M教の文書を修辞を解いて読んでしまい、不謹慎にも「このように凡庸な内容が、人々をあれほどまでに惹きつけるのは何故だろう?」などと思ってしまいますが、某M教に惹かれるひとというのは、私がぬぐい去ってしまう修辞にこそに惹かれるのかもしれませんね。