記事No | : 1969 |
タイトル | : 自分の頭のハエを追えない者が |
投稿日 | : 2013/03/30(Sat) 19:08:34 |
投稿者 | : 桃青 |
日蓮系へ向けての批判はいろいろありますが、
最大のものは、
「自行もできてないものが、化他行などおこがましいわ。」
「至ってもいないものが、法を説いているよ。」
というものではないかと思います。
それは、宗祖日蓮聖人が、「理解できない言葉でも、仏法の真髄を伝えている言葉なら、とりあえず聞いたほうがよい。伝えたほうが良い。」
というかたであったということもあるでしょう。
さて、自分の頭のハエも追えていない者が、他人の力になりたいと願うことは非難されるべきことなのでしょうか?
アメリカ生まれのキリスト教らしく「自己責任」を説く某M教では、「まずは自分の暮らしを成り立たせてから、ボランティアをしなさい。」という姿勢です。
これで充分というほど生活が成り立っていると思えるひとはどれだけいるのでしょう。
大抵のひとは、まだまだ苦しい、できればもっと生活レベルを上げたい。
と願っているのではないでしょうか?
日蓮系を「至ってもいない者が、化他行なんてちゃんちゃらおかしい。」「生半可な理解のものが伝えると間違いが起きる。」
と、苦々しく見る人々とは、「これで充分というほど自分の生活が良くなったら、他人の御世話もしますけれど、自分の頭のハエも追えてないのに、他人のことなど考える余裕はありません。」
という人々と同じようなものではないか。
と、思うのですね。