記事No | : 2021 |
タイトル | : 「宗教的真実」に心穏やかでいられない。 |
投稿日 | : 2013/05/06(Mon) 10:50:29 |
投稿者 | : 桃青 |
別スレでぽん州さに御示唆をいただいて、母の世話をする時唱題してみた。
唱題してみて、自分の心のざらつきがよく解った。
そして、私は何故、私に向かって説かれた
「桃青さんのお母様は、誰もが嫌がる認知症になってまで、桃青さんに受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのですよ。」
という言葉に、心が穏やかでいられないかも解った。
母はなりたくて認知症になったわけではない。
という現実がある。
母は、認知症を自覚した時から、この話をした導師に向かって「ぼけるってヤだよぉー!!」と、あんなに何度も何度も悲痛に訴えていたではないか。
母は「認知症になりたくない。なりたくない。」と、身悶えするような苦しみのなかに認知症になって行ったのだ。
それを
「わざわざ誰もがなりたくない認知症になってまで、桃青さんを導く菩薩なのです。」
と、説くのでは、母の手に掴んだ砂がこぼれおちるようにずるずると認知症の中に沈んで行く恐怖、不安というものを全く度外視しているではないか。
母はわざわざ認知症になってくれたのではない。
母ばかりでなく認知症になるひとは、誰ひとり、あの者に仏道修行させてやろうとなど思って認知症になるわけではないだろうに。