記事No | : 2043 |
タイトル | : Re^4: う○こ祭り |
投稿日 | : 2013/05/17(Fri) 11:42:42 |
投稿者 | : 桃青 |
> お袋は腸閉塞だったから、排便コントロールしてたので
> 下の世話は他人任せ。 で 臭いに関しては どーだったかな
> 覚えていないけど 臭いと思えば臭いような気もするね。
お母様は、腸閉塞という御事情もあったので、また違うのでしょうが、
たとえ認知症のかたが仏菩薩であっても、誰かがそのかたのう○この御世話をして、「う○こ、くっさーい!気色悪ーい!」という嫌な思いを引きうけることには変わらないのですね。
私や皆さんが、認知症になれば、誰かに「う○こ、くさ〜。気色わるーい」という嫌な思いを引きうけて貰わなくては、身を保つことができないのです。
誰かに、嫌な思いを押しつけながら、その誰かに向かって
「私は、あなたを法に導くため認知症になったのですよ。」
と、言えますか?思えますか?
私は思えません!!
どんなに介護に慣れても、たとえ専門職であってもう○こ祭りに出会えば、気持ちは萎えるものなのです。
たとえ、仏菩薩のう○こ祭りであっても、う○この形状や祭りの様相が同じであれば、気持ちは萎えるでしょう。
そういう気持ちの萎えを汲みとることも、抜苦与楽の菩薩行を目指すのなら、必要なのではないのでしょうか。
おそらく、介護保険の制度化に尽力したひとや製紙会社の製品開発のひとのほうが、「わざわざ認知症になってまで、あなたに法に出会う機会を与えてくれた菩薩である。」と、説くひとよりは、そのような介護する立場の者の気持ちの萎え(苦悩)に理解を持って、現実的な解決を模索しているような気がしてきた・・・。
釈尊は人間の苦しむ姿をみて、法を説かれたはずなのに・・・。