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記事No : 2052
タイトル 配偶者の認知症
投稿日: 2013/05/20(Mon) 10:21:40
投稿者桃青

少し前に書いた『黄昏流星群』の夫は、認知症になった妻を
「もう自分の手には負えない」と、施設へ入居させた。

が、あの程度の認知症のかたを在宅で介護している家族は、ざらに居る。
我が家の母もあの程度ですが、ショート、デイを利用しての在宅介護です。

配偶者が認知症になって、二人暮らしだと比較的妻は夫を看とるが、夫は施設へ委ねてしまうかたが多い。
もちろん、妻でも夫をさっさと施設へ入れるかたもおられるし、夫でも、妻を愛しく介護されるかたはおられる。
おおまかな傾向としては、ということである。

さて、配偶者が認知症になり、その介護に心萎える者にも、やはり
「あなたの夫は、妻は、わざわざ誰もが嫌がる認知症になってまで、あなたに法華経を受持・読・誦・解説・書写する機会を与えてくださった菩薩なのです。」
と、説くのだろうか、と思う。

たぶん、妻には説きやすい。
しかし、夫には(特に導師が男性の場合)、そのようには説かないか、表向きはそのように説いても、「あなたも男だから、そこはうまくやりなさい。」と、誰も居ないところでは、言うだろう。

黄昏流星群の男性は、妻を離婚せず、愛人をつくって身心の平安を保つことにした。
世の男の全員、そして女性の殆どはそれを赦すだろう。
認知症の妻を施設に入れて、愛人と共に暮らしても、妻を離婚しないで、介護保険の手続きなり、費用を出し続ける、ということで美談にするかもしれない。
しかし、認知症の夫を持つ妻が同じことをしたら、殆どのひとはそれを赦さないだろう。

親の認知症は、「あなたのためにわざわざ認知症になった。」
配偶者の認知症は、とりわけ男性に対しては「と、いうのは建て前」となりがちだ。
同じ認知症なのに親の場合は「わざわざ認知症になってくださった、これ真実。」、配偶者の場合は「単なる困った病気」

方便の教えとはそういうものなのだ。


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