記事No | : 2062 |
タイトル | : Re^2: 疲れています。 |
投稿日 | : 2013/05/23(Thu) 09:03:10 |
投稿者 | : 桃青 |
> 山を見るなら 山を離れよ とか 修行で いわれませんか。
>
見たい山とは、なんでしょう?
> 桃青さんの人生すべて菩薩行という生き様には 感銘しますが、俺にはできねー。
ですから、私がしていることが菩薩行になっているかどうか、と問われたら、「わかりません。」と、答えるしかないですよ。
ただ浄土化運動というものに、蟻のひと押しのような働き(菩薩行)がなんとかできないものか、
と、思っているだけです。
日蓮宗は浄土化運動という言葉もよく使いますが、私の周囲には、この浄土化運動という観点から、御話をされるかたがおひとりもいらっしゃいません。
信仰を保つことによって、○○家の家内安全、子孫繁栄の願いが成就された話はたくさんありますけど。
家内安全な○○家、もまた浄土なのでしょうが、ただそれだけでは、やっぱりさびしくなるのですね。
だって、○○家がいかに浄土であろうと、○○家の一員ではない私は○○家の浄土化運動に共に参加することはできません。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか」
(宮沢賢治『農民芸術概論綱要』)
「国亡び人滅せば仏を誰か崇む可き法を誰か信ず可きや」
(日蓮聖人『立正安国論』)
このような立場での浄土化運動なら、私も参加できる。誰でも参加できる。
そうした誰でもその気になれば参加できる浄土化運動の御話を全く聞く機会がないのが、私はさびしくて、だんだん心も疲れて行くのです。