記事No | : 2067 |
タイトル | : 何のために信仰を保つのか。 |
投稿日 | : 2013/05/24(Fri) 10:54:15 |
投稿者 | : 桃青 |
何のために法華経信仰を保つのでしょう。
日蓮宗は、「法華経こそが仏に成る教え」と、声をからして主張しますが、そもそもなんで仏に成らなくてはいけないのでしょう?
何故、成仏しなくては!と願うのでしょうね?
それに対する答えの無いところで「仏教は仏に成ることを目指す教え」「法華経こそが仏に成る教え」も何もないもんだ、と思うのですけども。
私は、涅槃静寂な常寂光土への願いこそが本来法華経信仰の源泉であったろうと思います。
涅槃静寂な常寂光土の実現のために、少しでも仏の智慧、仏の慈悲を知って、自由自在に菩薩の働きができるようになりたい。仏になりたい。と願うのが法華経信仰の「仏に成りたい」なのではないでしょうか。
常寂光土実現の願いを忘れた法華経信仰は、単なる御利益信仰に堕して行く。
ただし、布施行の大切さを正面に出して説く場合、御利益欲しさにしろ、一生懸命布施行を行うという行動が、浄土化運動の車輪を知らず知らず回すということはある。
なので、正面きって布施行が説かれなくなると、そこに残るのは御利益信仰だけ。ということになる。
「御題目を手放さず、一家をあげて法華経を信仰して来たお陰で、○○家はこんなに隆盛になりました。」
確かに、それはそれで素晴らしいことです。
「ああ、良かったなあ。」と思いこそすれ、羨ましいとは思わないけれど、なんかさびしいのですよね。
「法華経への信仰を保ち、御題目を手放さない。」の目的が、○○家の隆盛だけというような話を毎度毎度聞いていると、だんだん疲れて来るのです。