記事No | : 2189 |
タイトル | : 皆、幸せになろうよ。 |
投稿日 | : 2013/08/03(Sat) 12:29:15 |
投稿者 | : 桃青 |
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> 話は逸れますが私の身内に、自分以外家族が全員病人、という壮絶な生活をしている人がいます。
> 「病人の世話をするために、仏さんが丈夫な私をこの家に送り込んだんやね」と、その人は言っていました。
> そう思わなきゃやってらんない、というのが本当のところだと思います。
> 実際自分を見つめる余裕もないみたいです。
> 泣いて、気をとりなおして頑張り、また泣いて、そしてまた気をとりなおす。そんな毎日。
ほんとにねー。世の中には、そういうかたはいらっしゃるのですよ。
私の知っているひとたちも、外へ向けては一言も「辛い」とも「私の人生なんなの?」ともおっしゃらない。
「私がやるしかない。」という思いだけで頑張っておられる。
世話される病人も辛いけれど、世話するほうも苦しいはずです。
あるかた、40そこそこで寝たきりになられた御主人を介護保険のない時代に40年近く介抱して、
「主人が亡くなったのですよ!」と、なんともいえない明るい顔をされていて、「本当にお疲れ様でしたねー。これからは楽しいことも考えていただけますね。」「そうするつもりなんですよー。」という会話を交わして、何日も経たないのに、
「主人の姉を看ることになったのですよ。うちが実家なので。」
と、言いに来られた時の暗い顔を、今でも忘れられません。
その後、諦めきったような疲れた顔で老婦人に肩を貸して歩いておられるのを見かけたことがありますがどうされたのでしょう。
ほんの僅かな日々でも、「ああ、もう誰の面倒も見なくてもよいのだ。一日全部を自由に使っても良いのだ。」と、いう日々が晩年にあったことを祈っていますが・・・。
こういう方は、今も昔も、沢山おられるのでしょうね。
介護される側の意識も変えて行ったほうが良い、と思いますけど。
「私にはイザとなったら介護してくれる子供が居るから大丈夫。(大きくして給料取れるようにしてやったのだから。)」
「私にはイザとなったら介護してくれる妻がいるから大丈夫。(長年妻を養ってきたのだから。)」
という問題ではない、と思うのですけれど・・・。