記事No | : 2195 |
タイトル | : 糞袋ではないかも。 |
投稿日 | : 2013/08/09(Fri) 09:42:15 |
投稿者 | : 桃青 |
>所詮人は糞袋。桃青さんも糞袋。桃青さんの御堂も糞袋。この掲示板のみんなも糞袋。
そう言われるかたもおられますけども、糞袋ではないでしょうね。
実際には、人間の身体は一本の管のようなものです。
管の片方を口と名付け、もう片方を肛門と呼びまして、その管にいろんな器官がぶら下がっている。みたいなものです。
なので、一本の管の肛門側に糞があるという状態は、ストローの端にジュースがあるようなものなので、糞袋という喩はどうもオカシイ。
ここは、大学時代の講師が言われた
「人間、生まれて食って糞して寝るの繰り返し。合い間に時々セックスする。ただそれだけ。」
のほうが、「人間糞袋」より、はるかに現実に即した御言葉だと思われます。
>ガハハ、人の不幸は蜜の味(最近の桃青さんはそうなりかけていないか心配)。高齢者の方には配慮を。
どうなんでしょうね。
世の中「人の不幸が蜜の味」と嬉しくて仕方のないかたもおられるでしょうが、そうでないかたもおられますよ。
少なくとも人間の苦を深く御覧になって、苦を滅する法(四諦)を説かれた釈尊はそうではないし、釈尊の言葉に心から共感して、仏法を学び伝えて来た方々も、そうではないでしょうね。
今、現在、仏法、とりわけ中観の思想が伝わっているところを見ても、世の中には人の不幸を喜ぶ人ばかりではない、ということが解りますね。
>最近の桃青さんはそうなりかけていないか
私が、介護に苦しむひとの有様を書くと、私が「人の不幸は蜜の味」と思っているように見えるのでしょうか?
私は「介護は嫁や娘がしてくれて当たり前。」と思っているかたがたや、「介護は家族の問題。」あるいは「そんなもの、施設へいれたらいいじゃん!」としがちな社会の人々に、「本当にそれでいいのですか?」
と、問題提起をしているつもりなんですけれど・・・・。