記事No | : 2206 |
タイトル | : Re: 邪教糾弾 |
投稿日 | : 2013/08/12(Mon) 10:03:32 |
投稿者 | : 桃青 |
> 木で鼻をくくったような返事とはこのこと。
そりゃ、たかやなぎさんが「十界互具」を御存知ないからそうとしか思えないのでしょう。
>名古屋のある寺の僧侶も桃青と名乗っていたとさる掲示板にでてるぞ。
芭蕉の若いころの号も桃青。
香淳皇太后の日本画の画号も桃青。
白蛇伝の白蛇の女主人に仕える御供の可愛い子蛇は小青。
毛沢東の夫人は江青。
>それにたまおと名乗ってモルモンのブタさんと漫才してなかったけ。
たまおは玉青。作家に有吉玉青さんというかたがいる。
> さる仏教教団のように一時は麻薬汚染してたと聞く(ノリピーがいい例)。真言立川流という邪教もあったそうな。オウムや創価はいまでもカルトでしょう。意外と恐ろしい仏教でした。オウムのシバ神のようにヒンズーの邪神もおそろしい。
こういう例を見ると、つくづく伝える側が仏教の教えを正しく伝えても聴き手に正しく伝わるとは限らないんだなあ。と思いますね。
実際、私の身近にも大乗仏教の根本である「空」を聴いても、どうしても仏教は個の霊魂に不滅を説いているとしか聞こえないかたや仏をキリスト教など一神教の神のようにしか捉えられないというかたは珍しくないですし、御題目を自分の願いを叶える呪文のように捉えているかたは、すごく多いし・・・。
>「人の不幸はわが喜び」の仏教ではこまりますよ。
せっかく御釈迦様が人間の苦を深く御覧になって「苦を滅する法がある。」と、説いてくださったのにね。
先に人生について名言を教えてくださった講師は、よく「心ここにあらずば、見えるものも見えず」とも言われていましたが、「仏教とはこういうものだ。」と、いう固定観念をもって、話を聞くと、耳は聞いていても何も聞いていない。というもあるのですよね。
伝えるということは、本当に、本当に、難しいですね。