記事No | : 2274 |
タイトル | : 出家(出離)の心と親心 |
投稿日 | : 2013/10/01(Tue) 23:48:48 |
投稿者 | : 桃青 |
某M教を脱会されたかたから、
「仏教ももう少し家族の大切さを説くべきだ。」
と、言われたことがあります。
しかし、どうでしょう。
世間一般、どちらかと言えば、家族など知ったことかというようなひとよりは、家族を愛してやまないひとのほうがはるかに多いのではないでしょうか。
それは、出離の心を説いているはずの仏教の教えを耳に聞いても、
法灯を掲げながら「○○家」の家内安全、子孫繁栄の御祈祷だけに明けくれるようになり、世襲の弊害をいわれながらも、どこでもかしこでも、親の七光に煌々と照らされた者ばかりが、日の当たるところに居ることになるのをみても、「自分の家族だけが幸せになればよい。」
と、いう思いでいっぱいの者が殆どだろうと思われます。
家族は愛しい。自分は可愛い。
人間とは、自分が可愛くてならないもの。
我が子だけが可愛くて、我が子のためなら他所の子供を犠牲にしてもかまわないというほど我が子が可愛くて可愛くてたまらないという鬼子母神の母心は、実は鬼心と表裏一体なのだ。
と、鋭く見破り、そうした鬼心を持つ人間にもふと現れる大悲の心、出離の心の存在を説く仏教の視線が、昨今、「家族が大切」「家族が大切」の合唱に押されて忘れられて行くのは残念でなりません。