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記事No : 2283
タイトル 「棚上げ」するための「仏にまかせなさい。」
投稿日: 2013/10/08(Tue) 11:10:31
投稿者桃青

身近なところで「仏にまかせなさい。」という言葉が発せられる場面ですが、いろいろあります。

その多くは、煮詰まった頭を休めるための「棚上げ」を試みているように思われます。

一番多いのは老齢のかたが、経済問題、病気、家族関係に悩みをもっておられる時、老齢のかたが果てしなく繰り返すこれらに関する愚痴に対しての
「仏様にまかせなさい。」でしょうか。

こういう場合、言われたほうが言われた途端、「そうですね。仏様にまかせることにします。」
とは、ならない。
そりゃそうだ。
言われたほうは悩みの何か具体的な解決を望んでいるので仏様に任せても、先の不安を打ち消すほどのカネが何処からかやってくることはまず無いだろうと予測するし、病気の果てには、死は確実に訪れる。
仏様に任せたら、自分の思うようになっていない家族関係が一挙に思うように解決するかと言えば、そんなことはないだろうと、これまた予測できる。

「仏様に任せなさい。」と、言ってる方も言ってるほうで、果てしなく続く老人の繰りごとにうんざりして、「いい加減仏に任せる気にならんもんかいな〜。信仰心が無いひとはこういう時に困る。」と思っているようなことも無きにしも非ずだったりして??

別の場面はそうですね〜。
例えば、老齢でなくても、様々なことが思うようにならなくて苦悩しているかたに対して、「御題目を唱え、仏様に任せていたら、いつの間にか思うようになった。」
という自信を持っておられるかたほど、相手の苦悩がどのようなものであるかを全く聞く事無く、
「結局、仏にまかせることが出来るか、出来ないかだ。」
と、力強く言われ、御自身がうまく行った体験ばかりを語られるという例も多いです。

以上どちらも、「仏様に任せなさい。」で、しようとしていることは、心理学的には「問題の棚上げ。」で、「棚上げがができるか、できないかだけのことなのですけれどね。
なまじ、仏教の現場にいると、問題の棚上げができるひと=信仰心があるひと、問題の棚上げができないひと=信仰心が無いダメなひと。
という見方になってしまう。

考えてみれば、「問題を解決したい。問題を解決しなければ。何とか上手い方法は無いものか。」と、思いつめているひとに、
「仏に任せなさい。」と言うことは、
「問題を解決しようとするな。」と言うのと同じですから、そうそう簡単に「ハイ、そうですね。」とならないのは当たり前でしょうに。

相手の苦悩の有りどころも見ずに、「仏に任せなさい。」とだけ連呼していても、問題の「棚上げ」は、無理だろうな。と私には思われてなりません。


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