記事No | : 2303 |
タイトル | : Re^3: 法華を知るものは世法を得べきか |
投稿日 | : 2013/11/26(Tue) 18:28:55 |
投稿者 | : 桃青 |
HIROMIさん
コメントありがとうございます。
> 敗戦後の日本は宗教アレルギーが蔓延し、さらにオウム事件でアレルギーはアナフィラキシーへとこじれました。
教義を捻じ曲げて戦争に協力した宗教界への不信もあったろうし、
左翼思想の一般化とともに、「宗教は麻薬だ。」というマルクスの言葉も社会的に認知されて、人々の宗教への不信感を高めるのに一役かったのでしょう。
それでも、オオムの事件が起きる直前までは、「21世紀は心の時代、宗教の時代」とマスコミはこぞって21世紀は物質文明に行き詰まった人間が精神的ものを求めることによって、物質文明を超えて行く時代だと、論じ、宗教はそういう新たな世界へのけん引役となるだろう。と、締めくくっていたものです。
オウムも最初は、そのような21世紀へ何かのトビラを開いてくれる思想としてマスコミに最初は、どちらかと言えば好意的に取り上げられて登場して来たのですが、たちまち、胡散臭さが露呈して、危険視されるようになりましたね。
オウムの事件は宗教というものの危険な側面を端的に示したと言われますが、これは少々違うのではないかと思います。
「宗教の危険な側面」を示したのではなく、「人間がどういう思想を持つと危険なのか」を示した事件だったというべきだろう、と思います。
何故なら、
良い結果となるのなら、テロもやむなし。→良い結果となるのなら、積極的にテロするのだ。
という思想は、宗教とは関わりないところにも生じるものですし、いったんこの思想に取りつかれるとそこから抜け出すのは宗教がらみでなくても難しいです。
長くなりますので、つづきはまた後で。