記事No | : 2306 |
タイトル | : 宗教の恐さとは |
投稿日 | : 2013/11/29(Fri) 17:37:48 |
投稿者 | : 桃青 |
別のところで書きかけた「宗教の恐さ」ですが、
宗教にはまると、その宗教の呈示する言葉でしかモノを見れなくなる。モノを考えられなくなるということがあります。
たとえば日蓮系では
「私が現在幸福であるのは、私が御題目を唱えてきたからだ。」「あのひとが不幸なのは、あのひとが御題目を唱えなかったからだ。」
というような、はじめに御題目ありきの思考に落ちてしまうとか?
空観を知ったかたが「しょせん、なにもかも、空なのだ。」と、周囲の人々に苦しみに全く無関心になってしまわれるとか?
神の啓示を知ったかたが、「人間の眼からどんなに辻褄が合わなくても、神の言葉は正しい。」というところから、一歩も出られなくなったりとか?
そういう例を見ると、宗教嫌いのかたが「宗教なんて無くても生きて行ける。人間には宗教など必要ない。」と、言いたくなる気持ちも解るような気がしてきます。