罪深き絆 |
第三章・炎心・3 |
その夜。 ジュリアスは寝付かれず、寝室の窓辺に立っていた。 間もなく自分は聖地を去る。 去るといってもそれは一時のことで、時が来れば再び舞い戻ってくるのだ。 それが自分の使命であり、そのために存在している。 聖地は変わらず迎えてくれるだろう。だが、そこには見知らぬ仲間“守護聖”がいる。そう、今ここにいる仲間はもう聖地にはいないのだ。 そのことがジュリアスの心の奥に引っ掛かっている。 幾度も転生を繰り返し、そのことは承知しているのに、どうして苛立つのか。 自分はひとりではない。クラヴィスもまた同じだけ転生を繰り返してきた。 光の守護聖としての自分は納得している。 だが納得できないのだ、ジュリアスという人間の心が…。 すっかり自分一人の物思いに沈み込んでいたジュリアスは、客の来訪を告げられても気が付かなかった。 背後からじっと見つめている視線を感じて、我に返ったように振り向いた。 立っているのは赤毛の大柄な青年。 光の守護聖ジュリアスの片腕である、炎の守護聖。 「オスカー」 こんな深夜に何用だ、と咎めるようにジュリアスは呼びかけた。 「申し訳ありません。聖地の夜の警護の確認をしていたところ、ジュリアス様の館に明かりが見えたものですから、そのう…」 終いまで言う前に、ジュリアスの手に遮られた。 「警護をするのに近ごろは酒を飲むのか?」 オスカーの頬が紅潮する。 「…まあよい」 ジュリアスはそれ以上咎め立てせずに、真顔でオスカーを見つめる。 「…そなたに黙っていたのは、済まないと思う。そう、予兆はかなり以前からあった。そのことを気取られて、そなたに要らぬ心配をかけたくなかったからだ。…………だが、その様子では、逆効果だったようだな」 「…ジュリアス様…」 オスカーはやっとの思いでそう言った。 「何だ」 「ジュリアス様…」 「オスカー、言ってみろ」 ジュリアスは優しい声でオスカーを促す。そうして黙ったままのオスカーの俯いた頬に手を触れた。オスカーはジュリアスの手の感触に、ビクッっとして後ずさる。慌てるオスカーをジュリアスは訝しげな瞳で見る。 「あっ、あの…、昼間は申し訳ありませんでした」 オスカーは深々と頭を下げる。 「気が動転してしまって、失礼な事を言ってしまいまして…。俺なんかより、よっぽど、ジュリアス様の方がお辛いのに、軽率でした」 頭を下げたまま、一気にまくし立てた。すると頭の上からジュリアスの笑い声が聞こえてくる。顔を上げるとジュリアスは微笑んでいた。 「守護聖をやめることは、辛くなどない。私が惜しむとしたら、失われる時だ。…私はそなたを信頼してきた。そなたはよくやってくれた。…そうだな、そなたとこうして話すこともなくなると思うと、寂しいぞ。そなたの下手くそなチェスに付き合ってやることも、なくなることもな」 ジュリアスの瞳がいたずらっぽく輝いた。 「不思議だ。つい先程までは、私は不安に思っていた。しかし今は心の中の靄が晴れて、とても清々しい気持ちだ…。…………まるでそなたが私に聖地を去る心の強さを与えてくれたようだな」 「ジュリアス様…」 呆然としているオスカーの腕を、ジュリアスは力づけるようにそっとさすった。 暖かなジュリアスの手の感触に、オスカーの瞳が希望で輝いた。傍らに立つジュリアスの肩の上を流れる金髪に口づけようと顔を寄せた。 オスカーを見つめる碧い瞳は、制止しようとはしない。 しかしそれ以上動かなかった。 「ジュリアス様、このオスカー、ジュリアス様が聖地を去るその日まで、精一杯あなたの片腕として、あなたの信頼に足る働きをさせて頂きます」 一歩後ろに下がってそう言うと、オスカーは一礼してジュリアスの前に跪いた。 「そうか。期待するぞ」 ジュリアスの館から出たオスカーは、湖に見慣れた姿を発見した。 「眠れないのか?」 「あなたこそ、こんな時間にどうしたのですか」 リュミエールが静かに言った。 「…わかっている筈だ」 そう言って湖に石を投げ入れるオスカーの後ろ姿を、寂しげにリュミエールは見つめた。 眠れない理由など、言わないでもわかる。二人とも同じ思いを共有しているのだ。どさっと横に腰を下ろすオスカーをそっと横目で伺うと、静かに竪琴を奏で始めた。 「なあ………」 暫くしてオスカーが口を開いた。 「…俺さ」 言いかけて、少し言いよどむ。 「……………俺、今夜あの人を抱くつもりだった。抵抗されても、無理矢理自分のものにするつもりだった。多分ジュリアス様もそれはわかっていたと思う。俺が行動に移しても、拒まなかっただろう。……でも俺は出来なかった」 傍らの草をむしりながら、自分に言い聞かすように言った。 「あの人に触れようと手を伸ばしかけた時、以前クラヴィス様に言われた言葉が頭に浮かんだんだ。『炎は、闇の中で光を作り出す。その光を所有したいと、思わないか』っていう言葉がな…。 …………それが炎のサクリアの本質なんだって……冗談じゃねぇ! ただ闇雲に光を所有したいだなんて、そんなチンケなものである訳がない。俺は、俺の炎はあの人をより強く輝かすためにあるんだ。闇の中であっても、あの人は光でなければならない。俺はその手助けをするためにここにいるんだ」 オスカーは皮肉に笑った。 「結局俺も、守護聖であることに縛られていたんだな。…だがそれで良かったと思うんだ。きっと一度光を手に入れたら、決して手放せなくなるだろうから……」 ふと空を見上げると、月は西の彼方へと消え、夜の気配が遠ざかっていく。 闇の時は終わりを告げ、光の世界が始まる。 オスカーは白み始めた空を一瞬眩しそうに見ると、立ち上がってズボンについた泥を叩き始めた。 「なあ、リュミエール。今俺が言ったことはお前の心にしまっておいてくれ。このオスカー様が弱気になっているなんて、カッコ悪いじゃないか」 横目でウインクすると、オスカーは朝日の中に消えて行った。 |