罪深き絆

 

第三章・炎心・5

 



「ねぇ〜ルヴァ、最近なんだかヘンだと思わない?」
 夕食後、お茶を飲みながらオリヴィエが切り出した。
「……はっ? さて、何がですか?」
 ずずっと熱い玉露をすすりながらルヴァが答えた。
「だからさぁ、あの万年発情男のことよ☆」
「オスカーがどうかしたんですか?」
 呑気な声で聞き返す。
「あんたってホントにお気楽よねぇ…。あの女と見れば口説かずにいられなかった下半身男が、くそ真面目に仕事をして、夜は夜で宮殿や聖地の警護の見回りに精を出すなんて、おかしいと思わないのォ」
 ため息をつきながら、湯飲みを手から話さないルヴァをギロリと睨む。ルヴァは最後までお茶をずずーっと飲み終えると、湯飲みを膝の上に乗せた。
「まあ、いいじゃないですか。オスカーもようやく名実とも守護聖の自覚が出たってところじゃないですか? 人は成長するものです」
 ニコニコ笑ってそう答える
「成長って、アンタマジで言ってんの? あれじゃあ、まるでミニジュリアスじゃないの! いくらジュリアスの抜けた穴は大きいからって、違う人間に代わりが勤まる訳じゃないの! さっきも抜け出したゼフェルを懲らしめてやるって聖地の門へ行ったのよ」
 オリヴィエは机の上をドンッと叩く。ルヴァはその様子を笑顔のまま見つめ返した。
「オリヴィエ、あなたは優しいですねぇ。大丈夫ですよ、ジュリアスやクラヴィスがいなくなったって、聖地はあなたのその細やかな心くばりさえあれば、心配ありませんよ」
 ルヴァの言葉に、オリヴィエはみるみると頬を紅潮させた。
「………何よ、最年長のアンタがしっかりしないから、アタシがよけいな気を回すのよっ! シャキッとしなさいよ! シャキッと!」
「じゃあ、全てを私に任せるっていうことですか? …本当にそれでいいんですね?」 間延びした声で言い返すルヴァを呆れた顔で見返した。
「わかったわよっ! 止めに行けばいいんでしょっ。行ってくるわよっ!」
 面倒臭そうに立ち上がって出て行くオリヴィエに、ルヴァは軽く手を振った。
「あなたがいてくれて、本当に助かりますよ、オリヴィエ…」
 ズンズンと遠ざかるオリヴィエの背中に向かけて、大声で呼びかけた。





「ったく、なんでアタシがこんなことしなくちゃいけないのよ」
 ブツブツ言いながら、でもオリヴィエはこういう役回りが決して嫌いではない。ルヴァはそのことをよくわかっていて、オリヴィエの使い方をわきまえている。いいようにルヴァに使われていると思いつつ、あの軟体クラゲのような口調と言い争うのが面倒臭くなって、いつも自分から折れてしまう。まあ、誰かがやらねばならないなら、しょうがないかなっと、何だかんだ言いつつも、楽天的で世話好きなオリヴィエは気を取り直して、門への道を急いだ。
「……こんばんはオリヴィエ。今夜のような穏やかな夜に、何をお急ぎですか」
 明かりのほとんど灯っていない、木立から声をかけられて、オリヴィエは飛び上がった。
「…………なぁんだ、リュミエールじゃないの。驚かせないでよ、アンタこそこんな暗がりでなにやってんのよ」
 ふふっと水の守護聖は優しく笑いかける。
「気持ちのいい夜なので、散歩と洒落込んでいたんですよ」
「ふ〜ん、そうなの?」
 オリヴィエは半信半疑に言った。
「……あっ、それよりもオスカーとゼフェルに一悶着ありそうなのよっ! 早く見つけないと大変なことになるワッ。アンタも来てっ!」
 オリヴィエたちは速足で歩きだした。しばらく無言で歩いていたが、オリヴィエが口を開いた。
「…アンタは冷静だね」
「はっ?…」
怪訝そうにリュミエールは聞き返した。
「クラヴィスがいなくなってもアンタは以前と変わんない。たとえ今夜のように眠れなくても、あのバカみたいに自分を見失ったりはしてない。偉いよ」
「いいえ」
 リュミエールは小さく頭を振った。
「クラヴィス様がいなくなって、わたくしの見る全てのものが色あせてしまいました。あの方を想いながら、わたくしの心は血を流し続けています。実のところ、オスカーとなんら変わるところはないのですよ」
 そう言って軽く下唇を噛んだ。
「わたくしが正気を保っていられるのは、あの方、クラヴィス様が聖地を去られる前夜わたくしに、言って下さったのです『感謝する』と…」
 遠い目をしながらリュミエールは続ける。
「『感謝する。嫌な顔ひとつせず、わたしの側にいてくれたことを。お前の存在は何物にも替え難かった』………と」
 クラヴィスの言った通りに、一言一句違えずリュミエールは言った。
「その言葉にわたくしは長年の苦労が報われたと感じました。そしてわたくしもまたクラヴィス様をどんなに頼りにしていたかをも、思い知らされました」
 ふふっともう一度小さく笑う。
「ねぇ、オリヴィエ。わたくしはとても幸せなんですよ。クラヴィス様がここにいないのは辛いことですが、でもあの方は常にわたくしたちと共にいるのです。感じませんか? あの方の心を。こんな夜はあの方がわたくしたちを見守っていると思いませんか?」
 リュミエールとオリヴィエは空を見上げた。
 満点の星。
 その輝きは闇の穏やかさに包まれて、二人の頭上に降り注ぐ。
「そうねぇ…」
 オリヴィエは呟いた。
「サクリアをなくすってことは、終わりじゃなくて、宇宙の一部になるってことなんだね。だからみんな幸せそうにここを去って行くんだ…」
「…ふふっ。あなたもなかなかの詩人ですね」
「やあねェ、アンタには負けるわよっ」
 オリヴィエはリュミエールの肩を軽くポンと叩いた。
 ようやく聖地の門が見え始めた時、遠くの方から声が聞こえてきた。オリヴィエたちは声のする方向へ急ぐ。すると数人の人影が門の前にいるのを確認する。
「ちょっとゼフェル! ……アラッ、ランディ、マルセルまでっ!」
 呼びかけるオリヴィエの声に、真剣に話し込んでいた3人はビクッとして振り向いた。
「アンタたちっ、見つからないうちに、早くお帰りッ!」
「ねえ、ねえ、オリヴィエ様っ、ボクたち外界ですっごい情報仕入れちゃったんです」 興奮して頬を真っ赤に染めたマルセルが、小走りで駆け寄ってくる。
「こらぁマルセルっ! てめぇ調子に乗り過ぎると、転ぶぞっ」
「だあって、興奮しない方が無理ダヨ。ねえランディ?」
 マルセルの後ろから走ってくるランディもまた、興奮して頬を紅潮している。
「そうなんですよ、オリヴィエ様、リュミエール様、今外界ではジュリアス様が婚約したって、大ニュースになってるんです」
「あーずるいや、ボクが言おうと思っていたのに…」
 拗ねるマルセルにランディはははっと苦笑いをした。このビッグニュースを聞いたオリヴィエとリュミエールは、言葉を失った。やっとマルセルたちに、追いついてきたゼフェルが、凍りついているふたりを見て吹き出した。
「なぁにそんなに驚いてんだよっ。しっかし笑えるよな、あのジュリアスが、結婚だって? どんな顔して女口説いたのか、見てみたいぜ」
「…………お黙りっ」
 絞り出すような声でオリヴィエは言った。ゼフェルたちは怪訝そうに見る。
「ア、アンタたち、このことまだ誰にも言ってないでしょうね」
「言うも何も、オレたち帰ったばかりで、今初めて言ったんですけど…」
 ランディが明るく答える。オリヴィエはガバッとランディの肩を掴んだ。
「こっ、このことは暫くの間ヒミツよっ、特にオスカーの前で言ってはダメよっ!」
 オリヴィエの物凄い見幕に圧倒されて、3人は不承不承、承知した。
「もう遅いぜ」
 振り返ると、瞳に暗い光を宿したオスカーが、月明かりを背に受けて立っていた。
 その場にいたものたちは、その迫力に縮み上がった。だがオスカーは無言で睨みつけて、去って行った。
 オリヴィエとリュミエールは顔を見合わせ、ため息をついた。


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