罪深き絆

 

第二章・波紋・

 



 それから数刻後。
 重い扉が開け放たれ、薄暗い室内に光が差し込まれた。
「クラヴィス、クラヴィス、いないのか」
 つかつかとジュリアスが入って来る。
 執務室のどこにもクラヴィスの姿は見当たらない。
「またしても、職務怠慢か…」
 ジュリアスはそう呟くと、主のいない部屋を見渡す。
 穏やかな日差しの午後だというのに窓も扉も固く閉ざされ、さらにその上を黒いビロードの厚いカーテンで幾重にも覆っている。人気が無いだけにより数倍もの密度で厭世観が増していた。
 ジュリアスは暗い空気を振り払うように、豊かな黄金色の髪を苛立たしげに振った。
 諦めて踵を返しかけた時、奥の私室に通じる扉からかすかな明かりが漏れているのに気づく。 「クラヴィス。いるのなら返事をしろ」
 扉をに向かい、険のある言葉を投げつける。
「クラヴィス様なら、お留守ですが…」
 扉の向こう側から涼しげな声が聞こえ、リュミエールの優美な姿がその中から現れた。
「………全く」
 執務中に無断で出歩くクラヴィスもクラヴィスだが、留守だというのに私室に居座っているリュミエールにも驚いた。ジュリアスは、咎めるように呟いた。
 リュミエールは怪訝そうに小首を傾げた。
「…ジュリアス様?」
 ジュリアスは再び苛立たしげに頭を振り、「…いや、すまない。しかし…全く、あの男はいつまで経っても学習するということを知らぬ。そなたが甘やかすから、つけあがって便利に使われているのだと、そなたなら察している筈だ」と、言い、踵を返して部屋を後にしようとした。
「……気になるのですか」
「…何だ」
 ジュリアスは足を止め振り返った。リュミエールは先程と同じ場所に穏やかな微笑を浮かべて立っていた。
「気になるのですか、と言ったのです。クラヴィス様の私室にわたくしがいたことを」 ジュリアスは碧い瞳を細めた。
「………私には、与り知らぬことだ」
 ジュリアスは無関心にそう言うと、再び背を向けた。
「クラヴィス様に何かご用なら、伝言を承りますが…」
 リュミエールはジュリアスを追いかけるように言った。
「よい。そなたには関係ない。また出直すことにする」
「お待ち下さい、ジュリアス様」
 リュミエールは扉に手をかけたジュリアスを引き留めた。
「関係がないとは、どういう意味なのでしょうか。…わたくしとて守護聖の一員です。サクリアや宇宙の運行に問題が生じた場合、わたくしにも関わりがあるはずです。……そのお言葉は、到底納得できません」
 ジュリアスがクラヴィスに対して意見を言ったり、言いつのるのは、ここ聖地では日常茶飯事となっている。いつもリュミエールはそんな二人を、困惑した表情で見守っていた。ジュリアスがリュミエールのことで真っ先に思い浮かべるのは、その表情だ。そしてまた儚げな雰囲気を身に纏い、会議の席で積極的に意見を言うでなく、ひっそりとクラヴィスの横に座っている姿も浮かび上がる。クラヴィスに近づき過ぎるのは、危険だと感じていたが、ただ守護聖の職務は的確にこなすし、他の者の意見もよく聞く。同期のオスカーに比べると頼りないと思うが、守護聖としてはまずまずだと評価していた。
 しかし今日のリュミエールはあくまでも穏やかな表情こそは崩さないが、その声が、瞳が、一歩も引きませんと語っていた。
 ジュリアスは驚いた。リュミエールに対する自分の認識が、間違っていたかも知れないと気づく。今日のようなリュミエールは見たことがない。自分はリュミエールの何を知っているというのだ、ジュリアスはそう思った。
「…どうなさったのですか? まるで人を初めて見るような顔をして、わたくしたちは一日に何度も顔を合わせているではないですか。集いの間で、ここクラヴィス様の執務室で」
 リュミエールは哀しそうに首を傾けた。
「ジュリアス様、あなたにとってちっぽけな存在であるわたくしにも、感じる心があるとは思わないのですか? …ああ、そうでしたね。あなたの視線はいつもわたくしを通り過ぎて、他の人に注目していらっしゃいました。あなたは自分の見たいものしか見つめない、自分の考えしか信じない。…あの方がどんなに煩わしそうにしていても、あなたは自分のやり方を押し通そうとする。どんなに拒もうとも、まるで判を押したように、毎日ここへ足を運んでくる。何故でしょう…。お二人の間には、他の者とは違う何か特別な係わりがあるのですか?」
 すでに、その表情からは優しさの仮面は剥がれ落ち、心の奥底にしまい込んでいた不安があふれ出ていた。
 ジュリアスはそんなリュミエールをため息まじりに見やり、一呼吸置いて口を開いた。
「リュミエール、そなたの考え過ぎだ。私は、あの者のだらけきった態度を正そうと努力をしているだけだ。我らは女王陛下の両翼。陛下を助け、宇宙を支えてゆかねばならぬという立場を思い出させ、自覚させたいだけだ」
 ジュリアスはそう言うと、リュミエールの横を通り抜けようとした。
「……それでは答えになっていません」
 リュミエールはジュリアスに取り縋った。

BACKHOMENEXT