罪深き絆

 

第二章・波紋・

 



「ジュリアス様、先程の調査の件ですが…」
 ノックと共に用件を切り出しながら、風のようにオスカーが入ってくる。
「……どうかなさったのですか?」
 少し青ざめたジュリアスを見て、心配そうにオスカーは尋ねた。
「……大したことはない」
 ジュリアスはそう言うと、オスカーに向き直った。
「…しかし、お顔の色が」
「構うな、…下がれ」
 ジュリアスは硬い声でそう言って、手を振った。
「いいえ、帰りません」
 オスカーはきっぱりと言った。
「通常の執務に加えて、滅びの波動の事後処理と、全て何もかも、その身に抱え込まれてしまっては、いくら強大なサクリアを持つジュリアス様とて、お疲れになるのは当前です」
 ジュリアスの手を取ると、ソファーに誘った。
「たまには休養をお取り下さい。ジュリアスの代わりは務まらなくとも、留守ぐらいはこの私でも、守れるつもりです」
 オスカーは優しく微笑んだ。ジュリアスはオスカーの手を火傷でもしたように、振りほどき、「下がれと言っただろう、そなたはわたしの命が聞けぬのか…」と、きっと睨みつけた。
 見えない壁がオスカーの目の前に立ちはだかる。
(……またか)
 オスカーは心の中で舌打ちをした。
 ジュリアスが自分を信頼し、好もしく思ってくれているのは承知している。
 だが、もう一歩でも踏み込もうとすると、忽ち壁が張り巡らされて、押し返されてしまう。いつも、いつも………。
 自分は本当にこの人に必要とされているのだろうか。たまたまいつも側にいるからだけであって、別に他の誰かでもいいのかと疑念が頭に浮かんでくる。
 でもこの問いは口に出さない。
 絶対に言わない。
 これ以上ジュリアスとの間に壁を作りたくないから。
「…承知しました」
 オスカーは一礼して、去って行った。
 ジュリアスはオスカーの背中に一瞬、物言いたげに口を開いたが、そのまま見送った。
 宮殿の廊下を歩きながら、オスカーは訝しく思った。
 ジュリアスの動揺した姿など始めて見た。
 自分や他の守護聖たちが取り乱したり、人間的な感情を露にすることは別に珍しくない。しかしジュリアスだけは何があろうと毅然として、守護聖の長として君臨してきた。自ら犠牲となってアクアノールに残ろうとしたときでさえ、彼の瞳には迷いがなかった。
 そのジュリアスが青ざめていた。
 無防備になっていた。
 こんなことは未だ嘗てなかった。
 いや、宮殿の前で兵士に切りつけられた時、一瞬だけ無防備になっていたかも知れない。
 …何故自分はあの時、その場にいなかったんだろう。
 あの人が助けを必要とした時、救ってあげることが出来なかったのだろう。
 その場にいなかったのだから、仕方がなかったと言えばそうだが、悔いが残る。
 堂々巡りの思いに、オスカーはため息をついた。
 そうこうしているうちに、こちらに歩いてくる人物の姿が目の端に入ってくる。
 闇の守護聖クラヴィス。
 オスカーは頭を下げ、道を譲った。
「……ご苦労なことだ、お前の忠義心は揺るぎないようだな」
 そう言って前を通り過ぎると、ジュリアス執務室の扉の前で止まった。
「クラヴィス様。ジュリアス様はお加減が優れないようですので、…ご遠慮願います」
 クラヴィスは紫水晶の瞳をオスカーに向けると、ふっと笑った。
「いつから、お前はあいつの門番になったのだ?」
 「いいえ。…ただあなたのその陰気な顔を見ると、一層気分を害されそうなんでね」
 クラヴィスは横目でチロリと見た。
「オスカー、お前は自分の闇を否定するが、全てのものは光と闇で構成されている。お前の中にも闇の部分はあるのだ。現に炎は闇の中で、光を作り出す。………お前はその光を自分のものにしたいとは思わないのか?」
 クラヴィスは皮肉に笑うと、扉の中に姿を消した。
 オスカーはその場に一人残された。
「……そんなこと、全然思わないぜ」
 オスカーはそう呟くと、唾を吐き捨てて大股で歩き去っていった。

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