水底の虜囚 |
最終章・炎の傷痕・3 |
「おい、リュミエール!」 オスカーはノックもせず、乱暴にリュミエールの執務室の扉を開けた。 机の上で真剣になにか書き物をしていたリュミエールはそれを引き出しの中にしまった。 「何を隠したんだ」 目ざといオスカーはすかさず追求する。 「仕事の書類です。見たければどうぞ」 冷静に答えるリュミエールにオスカーは憮然となる。 怒りのため黙りこくってしまったオスカーにリュミエールが声をかけた。 「何かご用ですか? わたくしも忙しい身です。お早めにお願いします」 それでもオスカーは何も言い出そうとせず、冷たい視線でリュミエールを見つめている。 リュミエールは痺れを切らした。机に上の書類を持って立ち上がった。 「用がないようなので、わたくしは失礼させていただきます。この報告書を今日中に提出しろとジュリアス様に言われているので…」 「ジュリアス様だと?」 オスカーはピクッと反応した。 「待て! リュミエール」 慌てて扉へ向かうリュミエールを呼び止めた。 リュミエールはゆっくりと振り向き、銀青色の髪が緩やかに揺れた。澄んだ水色の瞳はオスカーの声に驚いたように開かれた。オスカーの気に障るようなことを自分は何をしたのだと、言いたげな表情を浮かべた。 そんなしおらしいリュミエールにオスカーはカチンときた。 「お前も相当な狸だな……いや、狐か。俺は見たんだ、昨夜ジュリアス様がお前の館から出てくるのを」 リュミエールは驚いた表情をした。そして次の瞬間にはせせら笑うような不敵な笑みを浮かべる。 「だから、それがどうしたんですか。あなたには関係ないことだと思いますが」 冷静なリュミエールな答えにオスカーはますます怒りを募らせた。 「関係ないだと? お前こそ…」 「お前こそ、だなんて…あなたこそジュリアス様のプライベートまでご自分に占有権があるとでもお思いですか?」 「ぐっ……」 確かにリュミエールの言う通りだ。オスカーは言い返せず、言葉を詰まらせた。 怒りで顔を真っ赤に染めているオスカーをリュミエールは考え深く見つめる。 「ふふっ…オスカー別にあなたを怒らせるつもりはないのです。実はジュリアス様に頼まれて肖像画を描いているのです。皆には内密と言われているので、わたくしはその約束を守っているにすぎません」 リュミエールがそう言うとオスカーはいくぶん固い表情を緩めた。 「よろしかったら、今度見に来ませんか?」 リュミエールの提案にオスカーは眉をひそめた。 「……いいのか? 内密のはずじゃなかったのか?」 オスカーらしくなく、ためらった。 「ええ、あなたなら、ジュリアス様の信頼も厚いことですし、なりより、当事者以外の客観的な意見を聞きたいと思っていたのです」 「……お前がそこまで言うのなら、そうしよう。だが、ジュリアス様の許可がなければ、俺は行かないぞ」 リュミエールはにっこりと笑う。 「もちろんです。さっそくジュリアス様に使いを出しましょう。次は火の曜日に予定しています。午後10時にいらして下さい」 10時だなんて遅い時間に絵を描くのだろうかとオスカーは疑問に思った。だが多忙なジュリアスのことだ、深夜まで仕事をすることは珍しくない。 「承知した、遅れないよう気をつけるぜ」 「よろしくお願いします」 オスカーは軽く頷くと帰って行った。 リュミエールは扉が閉まり、ひとりきりになると先程机の中にしまった紙を取り出した。ジュリアスの裸体をデッサンしたクロッキー。 「まさかこのようなものを描いているとは、さすがのオスカーも想像だにしていないでしょうね」 リュミエールは未完成のクロッキーを見つめた。 「これでようやくあの瞬間を客観的に見ることができるのですね。ジュリアス様とわたくしの秘密に第三者を引き入れるのは気が進みませんが、仕方ありません。……ですが考えてみれば、これであの方の心まで完全に支配できるかもしれませんね」 クスリと小さく笑う。 オマエノモクテキハ、シハイスルコトナノカ? ソレガ、オマエニトッテノ、ごおるナノカ? 「そうかも知れませんね。わたくしは絶対唯一のものを手に入れるのです。他の誰でもない、このわたくしが…」 リュミエールはそう呟くと、内なる声に向かって薄く笑った。 |