水底の虜囚

 

最終章・炎の傷痕・5

 




 そのままオスカーは全身をブルブル震わせながら立ち尽くしていた。
 どうしてリュミエールが、数日来の疑念がまた頭をもたげてくる。そしてまたジュリアスがそれをよしとしているのだろうか。

 こんなところで悠長に待ってなんかいられない。
 オスカーは書斎を出ると来たのと逆の方向、館の奥へと足を踏み入れて行った。
 廊下の先は今まで以上暗い。館全体を覆う静けさに身震いがしてくる。だがそれ以上の怒りの感情がオスカーを突き動かしていた。

 ジブンハ、ナニニタイシテ、オコッテイルノダ?
 ソノ、ケンリガ、オマエニアルノカ?

 心の奥が警告を発する。
 オスカーはその声を無視した。

 取り返しがつかないことが起こることも、これから自分が見たくないものを見ることも、わかっているつもりだ。
 しかし自分の知らないところで、起こってしまったことは許せない。

 その時の彼は、いつものオスカーではなくなってしまっていた。
 ただひとりの恋に破れた若者ようだ。今オスカーはそれでしかありえなかった。
 暗い通路をしばらく歩くと突き当たりにたどり着く。ここから先は行き止まりかと思いオスカーは引き返そうとした。

 「………………」

 何処からか微かな声が聞こえてくる。オスカーは耳をすまし、神経を尖らせた。

 「………」

 また聞こえる。オスカーは暗闇を見渡した。すると左側の部屋から人の気配を感じた。ドアに耳を押し付けて、様子をうかがう。

 「…………」

 間違いない誰かいる。オスカーはドアノブをそっと回してみた。鍵はかかっていないようだ。音を立てないよう素早く部屋の中に身を滑り込ませると、その部屋の奥にもう一つ部屋があるようで、そこから微かな灯りが漏れ出ていた。  オスカーはそこに向かって歩いていく。

 「……ぅ……っ…」

 ここに間違いない、さっきより明瞭に声らしきものが聞こえてくる。
 オスカーの緊張は最高潮に達していた。
 するとひときわ大きな叫び声のようなものが聞こえた。

 「あっ、ああぁ……っ………」

 この声を、聞き間違えることは決してない。
 オスカーは奥の部屋に勢いよく入った。

 深海を思わせる濃い藍色を基調にした部屋の中央に大きな寝台が置かれ、サイドテーブルの小さな燭台の灯火がその上を照らし出していた。

 (……ジュリ…アス…さ、ま……)
 ジュリアスは寝台に全裸で横たわり、肩で息をしながら喘いでいた。
 書斎で見た絵よりも、淫らで、扇情的なその姿。

 彼はオスカーが部屋に入って来たことに全く気づかないようだ。
 情事の後の火照った躰、陶酔で蕩けたような表情。ジュリアスはこんなに美しい姿をオスカーには隠していたのだ。あれだけの長い時間をともに過ごして来たのに、オスカーにはその片鱗さえ見せず、リュミエールには見せるのだ。

 「……いらっしゃいオスカー、来ないかと思いましたよ」
 寝台の横に立っているリュミエールが声をかけた。絵を描いている途中らしく、パレットと筆を手にしていた。

 「…………オスカー……?」
 ジュリアスが訝しげに瞼を上げた。部屋の入り口で射るような瞳でオスカーがこちらを見つめていた。ジュリアスは素早く起き上がると、咄嗟にシーツをたくしあげた。



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